第31話
王都の外れにある、入り組んだ区画。
そこは元々空き地が広がっていたが、生活に窮した人々が住み始め、思い思いに小屋を建てたことから、まるで迷宮のような場所になっていた。
戦時中であることから、軍もそれを半ば黙認――いつしか、そこはスラムと呼ばれるようになっていた。
その一軒のあばら家の中に、一人の男がするりと滑り込むように足を踏み入れた。満身汗だく、息を切らした彼は床に座り込む。
(――危ないところだった……)
汗が止まらない。脂汗、冷や汗が思い出したように流れ出していた。
彼は裏社会でも名の知られた暗殺者だ。数々の依頼をこなし、中には貴族の暗殺を成し遂げたこともある――そんな彼に舞い込んだのが、今回の殺しだった。
ターゲットは、勇者。現在、マーロック家の屋敷に匿われているという。
それを聞いたとき、わずかに彼は逡巡した。
勇者の偉業を知らない者など、この国にいるはずがない。その武勇伝は盛られているとしても、魔王軍の精鋭と互角に渡り合える実力は事実だろう。さらに恐らく周囲には手練れの護衛も配されているはず。
ただ、それだけに提示された報酬は莫大。彼にとって過去最大の仕事になることは間違いなかった。彼は念入りに調査を進めてから、熟考の末に引き受けることを決める。
(勇者とはいえ、人間――背後から急所への一撃には耐えられないはず)
折しも、勇者が出席される茶会がピジョン伯爵の庭園で開催されることが決定したことを受け、そこでの暗殺を画策。数人の仲間と客に扮して潜入した。
潜入してみて、暗殺者たちは思わず拍子抜けした。
警備はあまりにも手薄。無論、充分な警備は配されているが、どちらかというとその注意は参加している貴族たちに向いており、勇者の周囲だけが手薄。
逆に罠ではないか、と疑ってしまうほどだった。
だが、ここまで来て躊躇うことはできない。暗殺者たちは段取り通り、配置を変える。彼は勇者の背後を取ると、素早く特注の武器を取り出した。
それは魔導銃――魔力の撃発で弾丸を撃ち出す、対人用の兵器だ。
その速度は音速に匹敵し、威力は人体を貫通する。さすがの勇者も気づいたとしても反応できない。彼の意識が正面に向いている隙に、彼はそれを構えて迷わずに放ち――。
直後、横にいた令嬢が勇者を突き飛ばしていた。
その瞬間、彼は暗殺の失敗を悟っていた。あらゆる装備を放棄し、素早くその場を離脱。目星をつけていた逃走ルートに疾駆する。
予測では、充分の余裕を以てその場から姿を眩ませられるはずだった。
だが、あまりにも勇者の周りの動きは迅速だった。参加者の一人は瞬時に彼の追跡を始め、執拗に追走。勇者の周囲の男たちも臨戦態勢に入っていた。
(――甘く見ていた……! 周りにいた軍人共を――!)
考えてみれば、あの軍人たちは前線に身を置いた戦人たち――警備や警護を専門とした騎士たちとは経験も考え方も違うのだ。
決断や判断の速度が段違いに違う。恐らく潜伏していた仲間たちも行動を起こすことが一切できなかったはずだ。彼は歯噛みしながら必死に追跡から逃げるしかない。
彼は王都中を駆けまわり、人込みや入り組んだ路地を駆使して逃げ続ける。
だが、追跡はあまりにも執拗で引き離せない。それでも懸命に駆け回り、一瞬の隙を作って下水道に逃げ込み、離脱。念には念を入れて中継地を経由して痕跡を消し、服や靴を変えた上でこの本拠地に戻っていた。
「……一体、なんだっていうんだ、あの男は――」
壁に背をつけ、男は思わずぼやいていた。
追跡を受けながら気づいていた。追ってきているのはテオドール・ギュネス将軍だ。第七軍の指揮を執る者であり、前線で戦う者ではない。
また、それなりに地位もある。ならば、自分が暗殺の対象かもしれない。そういう考えが過ぎり、迂闊な行動はできなくなるはずだ。
だが、それでもテオドールは追い続けてきた――。
結果的に撒くことはできたが正直、想定外。逃げきれたのが幸運と考えられる。
(――まだ、嫌な予感がする。早めにここを離れるか)
吐息を一つつき、立ち上がろうとした瞬間だった。
扉が豪快な音を立てて蹴破られたのは。
それに身を強張らせていると、入り込んできたのは燕尾服姿の壮年の男だった。目が合うと、彼は小さく吐息をこぼして目を細める。
「全く、手間をかけさせないでいただきたい」
「――テオドール・ギュネス……!」
憎々しげに言葉をこぼしながら、男は短刀を引き抜く。だが、侵入者――テオドールは平然としたもので、軽く土埃を叩きながら落ち着いた口調で告げる。
「一応、聞くが投降する気は? 今なら命は取らないことは保証しよう」
その言葉に即し、男は鋭く短刀を投げていた。テオドールは落ち着いて首を傾けて躱すと、冷たい眼差しを向けてくる。
「で、あるか」
テオドールの声を聞きながら、暗殺者が懐に手を突っ込んでいた。あの短刀一本で倒せると思っていない。これはあくまで牽制でしかない。
本命を、懐から抜く。小型の魔導銃だ。
(これで、一か八か――)
そう思った瞬間、背後から一陣の風が吹いた――殺気。
咄嗟に振り返れば、視界に入ったのは一瞬にして崩れ落ちる壁だった。そして、その向こうから姿を現したのは、剣を手にした一人の男。
勇者、アヤト、カンザキだ。
その瞳に真っ直ぐに見据えられた瞬間、男は自覚する。
(――死んだ)
瞬間、その剣が振り抜かれると同時に、頭に衝撃が走り。
一瞬にして視界が真っ黒に染まった。




