第30話
アヤトが今までの戦いを振り返り、穏やかに語るのを聞きながら、ルナリアは小さく吐息をこぼす。その語りは流暢で淀みがない。
最初はルナリアが補足を挟んでいたが、話す内に思い出してきたのか、アヤトの語りは滑らかになっていた。ルナリアも自然と聞き手に回り、耳を傾けて懐かしさに浸る。
(本当に懐かしいことです――よくこんなに戦ってきましたね、私たちは)
無茶苦茶な作戦も多かった。軍事的に考えれば、不可能な作戦の方が多かった。今、彼が語っているモリスト領大返しもその一つ。この作戦ではアヤトの率いる一万の軍勢がたった三日でモリスト領に移動したのだ。何の予兆もなく。
軍は一朝一夕で移動できるものではない。大軍ともなれば準備も必要だし、兵糧なども準備する必要がある。その上、距離は昼夜兼行で移動しても三日はかかる距離だ。
だが、アヤトとルナリアは成し遂げた。
(まぁ、ズルはしたんですけど)
実際に移動したのはアヤトとルナリアだけで、軍勢は移動していない。軍勢は現地で寄せ集めた民兵や老兵ばかり――。
だが、魔王軍はそれを知る由はない。むしろ、アヤトが陣頭に立っているのを見て、一万の兵が移動したと勘違いしたのだ。
「よくそのような作戦を通そうと思われましたな。勇者殿」
「俺たちは寡兵です。だからこそ、こういう賭けは必要でした」
貴族の言葉にアヤトは静かに答えつつ、モリスト領の最後の顛末を語っていく。
結局、軍勢を見た魔王軍は戦わずに撤退。普通ならば、そこで安堵するところだが、アヤトはそこで手を緩めなかった。
アヤトとルナリア、そして一部の志願兵だけで追撃を仕掛けたのである。
その語りに貴族や軍人たちに聞き入っていた。ルナリアも頷きながら小さく吐息をこぼす。もう彼の語りをフォローする必要はなさそうだ。
満足しながら目を細め――ふと視界の端に違和感を覚える。
視線を何気なくそちらに向ければ、一人の客がそっと距離を置く姿が見えた。不審な動きにルナリアは動こうとすると、アヤトの視線が微かにルナリアに向いた。
(――っと、いけません)
ルナリアはなんでもない、と軽く首を振り、続きを促した。アヤトは頷いて語りに集中する。その様子に小さく目を細めた。
(アヤトさんはすぐ私の動きに気づいてしまいますね……)
ここでルナリアが妙に動けば、アヤトはすぐに感づいてしまう。そうなれば語りが中断され、周りが不審がるだろう。
それはできるだけ避けなければならない。ルナリアは自分で動くことを止め、手で使用人たちに合図を出していく。
(少し離れた位置、不審、頼む、誰何――)
その手の動きはすぐに使用人たちに伝わり、サーシャとレイラは動き出す。
だが――その前に、不審な男の動きの方が早かった。
するりとアヤトの死角の方に位置取りすると、瞬時に懐から何かを取り出した。黒い筒状の何かがアヤトの背に向けられる――殺気。
瞬間、ルナリアの思考が切り替わる。令嬢から兵士のものへと。
正座から膝を立てながら振り返る。その直後には筒を突き出した男から魔力が迸る。咄嗟にルナリアは立てた膝のバネでアヤトの身体に飛びついた。
彼の身体を強引に押し倒す。その数瞬後、轟音が響き渡り。
肩に焼けるような痛みが迸った。
「――っ!」
「ルナ……っ!」
がっしりとした身体が一瞬にしてルナリアの身体を抱き留めた。かと思えば、一瞬にして身体が地面に押し倒される。
肩の痛みに顔を顰めながら目を開ければ、真上に見えたのはアヤトの必死な顔だ。彼は辺りを振り返りながら、殺気だった表情で吼える。
「テオドール将軍!」
「分かっている! 逃がしはせん――!」
「サーシャ、レイラ、お客人を安全な場所に逃がせ! 閣下たちは――」
「兵を呼んでくる! 待っておれ!」
ルナリアが指示を出すまでもなく、素早く事態が進んでいく。それからアヤトはルナリアに視線を戻し、必死な表情で訊ねてくる。
「ルナ、大丈夫か――」
「肩、だけですので、軽傷です……」
冷静に答えながら微笑みかけるが、アヤトは首を振るとハンカチを取り出して肩の傷に迷いなく押し当てた。余計に痛みが激しくなる。
「止血を急がないと。魔力のコントロールはできそうか」
「それは、何とか――」
「なら、圧迫止血を……」
「勇者様っ、こちらを」
「っ、かたじけない、メリッサ嬢」
アヤトが懸命にルナリアの肩にスカーフを巻き付け、きつく縛りつける。ルナリアは魔力を肩に集中させながら、ぼんやりと彼の顔に見入る。
(――戦場のときと同じ。格好いい……)
相変わらず惚れ惚れしてしまう。見惚れているうちに、彼はスカーフを巻き終えて辺りに視線を走らせ、そこにレイラの声が響き渡った。
「勇者様、避難誘導は完了しています――」
「分かった。レイラ、ルナを頼んだ」
アヤトはそう言いながらルナリアから離れて立ち上がる。その顔つきは一瞬にして切り替わる――冷徹な戦人としての顔つきへと。
直後、彼は地を蹴り、宙に身を躍らせていた。それを目で追いかけながらルナリアは身を起こす。レイラが慌てて支えようとするのを手で制した。
「私は大丈夫です――肩を貫かれただけですから」
「そ、それって重傷では――」
「戦場では軽傷の内ですよ」
ルナリアは軽く肩に触れ、きっちりと傷口が固定されていることを確かめる。
(さすがアヤトさん、止血はお手の物ですね)
魔力のコントロールですでに傷口の回復は始まっている。血は直に止まるだろう。そう判断しながら努めて冷静に状況を再確認。それから静かに告げる。
「賊はアヤトさんとテオドール将軍閣下たちに任せましょう。私たちはゲストの皆さんを安心させ、速やかにお返しすることです。皆さんは?」
「隣接するピジョン伯爵のお屋敷におられます。使用人も皆もそこで待機中です」
「では、そちらに急ぎましょう――メリッサ嬢も、ご一緒に」
一人だけ避難せずに残っていたメリッサにも声を掛ける。その声に彼女は頷き、だが心配そうにアヤトが立ち去った方向を見る。
「――勇者様は、大丈夫でしょうか」
「大丈夫です。アヤトさんはあの程度の敵に負けることなどあり得ない」
先ほどは不意を衝かれただけのこと。戦場にいるときの彼ならば、攻撃されるような隙は見せなかったはずだ。アヤトもルナリアも完全に油断していた。
だが――今は違う。完全に彼の意識は切り替わっている。
戦場の兵としての、意識へと。
(むしろ、同情すべきは敵の方――)
彼に目を付けられて逃れる術などありはしない。ルナリアは視線を彼が立ち去った方へ向かう。すでに彼は敵を追いかけ、庭園の森へと駆けこんでいた。




