第20話
彼が訊ねてきたのは、アヤトが屋敷に逗留して二週間が経ったある日だった。
「失礼します。勇者様、お嬢様――お客様をお通ししました」
「ああ、どうぞ」
アヤトが声を掛けると、茶室に一人の男性が頭を下げながら入ってくる。軍服姿の壮年の男性であり、厳めしい顔つきをしている。
だが、すぐに彼はアヤトを見ると、悪戯っぽく微笑んで崩れた敬礼をした。
「二週間ぶりだな。アヤト、そしてお嬢は一年ぶりか。健勝そうで何よりである」
「座ったままで失礼します。テオドール将軍」
「将軍、お久しぶりです」
並んで正座するアヤトとルナリアは正座して将軍を見上げる。その姿に気分を害した様子もなく、茶室をぐるりと見渡して感嘆の吐息をこぼす。
「これが東方由来の茶室、か――ふむ、興味深いな」
「本場の再現、とまでは行きませんが……すみません、このような堅苦しい場所にお通ししてしまって」
「なに、久々に茶を楽しみたいと思っていたのだ」
彼は髭を撫でつけながら笑うと、どっかりとその場で腰を下ろして胡坐を掻いた。それからアヤトとルナリアを順番に見て目を細める。
「早速だが、茶を所望していいかね?」
「はい、もちろんです」
ルナリアが早速支度を始める。その様子を穏やかな眼差しで見守っているテオドールを見て、小さくアヤトは吐息をこぼした。
(まさに、第七の父、だな)
テオドール・ギュネスは第七軍を率いる将軍だが、平民出身ということもあり、誰に対しても偏見がない。父性に満ち溢れており、面倒見が良い人なのだ。
アヤトが配属されたのはまだ少年のときだったが、戦い方を丁寧に教えてくれるだけでなく、学問についても手解きしてくれた。
兵として使い潰すのではなく、一人一人が生き延びられるように采配を取っており、最前線でありながら第七軍は死者数が抑えられているのは、まさに彼の指揮の賜物だ。彼の下に配属されなければ、アヤトはどこかの戦場で犬死していたに違いない。
「どうぞ、テオドール将軍」
「うむ、いただこう――」
ルナリアの茶を片手で受け取ると、そのまま豪快に口に運ぶ。作法もへったくれもないが、見ていて気持ちのいい飲みっぷりだ。
一息に飲み干すと、うむ、と満足げにテオドールは頷いてみせた。
「相変わらずの苦さで目が覚めるようだ」
「……まぁ、ありがとうございます、と申しておきます」
「はは、お嬢は相変わらずであるな」
軽く笑い声を上げながらテオドールは器をルナリアに差し出し、彼女は苦笑しながらまたもう一杯支度を始める。彼は視線をアヤトに戻すと、さて、と口火を切る。
「話は聞き及んでいる。アヤト――その、大丈夫だったか?」
その言葉の意味を的確に汲み取る。
「大丈夫、ではありませんでしたね。ルナに拾ってもらえなければ正直、どうなっていたか――今は心身共に無事です」
「礼には及びませんよ。アヤトさん。戦友を助けるのは、至極当然のこと」
ルナリアは手早くテオドールにお代わりを出し、アヤトの茶の支度も始めてくれる。テオドールは茶を受け取りながら目を細める。
「では、私から改めて礼を言わせて欲しい――ありがとう。お嬢がいてくれなかったら、大切な部下を失くしていたかもしれん」
「どういたしまして、将軍。ただ、私も思惑があってこそ、ですので」
「で、あろうな。まぁ、それを込みでの礼だ」
テオドールの苦々しい笑みに、ルナリアはよそ行きの笑顔で応じる。二人とも立場が立場だけに、いろいろと思惑があるのだろう。
ただ、分かっているのは、どちらもアヤトを心配してくれた点だ。
(――ありがとう。将軍、ルナも)
心の中で感謝を述べながら、アヤトは茶を口にして吐息をこぼす。テオドールも一口で茶だけ飲み、それから目を細める。
「さて――もう少し世間話をしたいところではあるが、のんびりするには少々外が騒がしくなってきているようだ」
「ですね。全く、どこから聞きつけたのやら――」
テオドールは首を振り、ルナリアが額を当てながら嘆息する。その様子にアヤトは少し申し訳なく思いながら、視線を窓の外――屋敷の本館の方を見る。
本来ならば将軍は応接間にお通しすべきなのだ。だが、こんな離れに通さねばならなくなったのは、ひっきりなしにこのマーロック家の屋敷に来客があるからだ。
狙いは分かり切っている――アヤトに接触するためだろう。
「すまん、ルナ。迷惑をかけている」
「アヤトさんが謝る必要はありません。それに私も想定外でした。ここまで早くアヤトさんの居場所が割れるとおは思わず」
ルナリアはそう言いながら、ちら、とテオドールを見る。その視線にテオドールは気まずそうに視線を逸らした。
「――すまん、原因は我々だと思う」
「でしょうね。連日、軍の皆さんが来ましたし」
ルナリアは淡々と言い、アヤトは思わず遠い目をする。
(まさか、あんなに皆が来てくれるとはな――)
この数日、ひっきりなしに訪れてきたのは軍の仲間たちだった。しかも第七軍だけでなく、対魔王戦線を担当する第四軍から第六軍も訪問。
全員が見舞いの品や激励の言葉を述べていったのだ。
『軍内では見舞いに行きたいという者が多く、これでも代表者だけで絞り込んだのだ。無論、軍内では情報を統制している』
比較的常識人の第四軍の将軍はそう言っていたものの、一方の第五軍の将軍は血気盛んであり、応接間では血涙を流さんばかりに吼えていた。
『我ら、いや我が国の恩人であるアヤト殿に対して、このような仕打ち……っ! 王女とはいえ許すまじき所業……! 我ら第五軍はこれに抗議し、然るべき対応を王家に求めるつもりだ!』
『か、閣下、ありがたいお言葉ですが、そこまでの大事には――』
『勇者様もこう仰せです。それにまだ王家はこの婚約破棄について何も宣言を出しておりません――それが出てからでも遅くはないかと』
アヤトが宥め、ルナリアが冷静に語り掛けることで、一旦は第五軍の将軍は冷静さを取り戻しつつあったが、軍全体がそういうわけもいかない。
一部の兵たちは王都に来て、王族に対する文句を公然とこぼしているという。
「情報統制しているとはいえ、軍の人間がここまで我が家に訪れているとなれば、他の貴族たちが気づかないはずがありません。今は各家が探りを入れている段階ですので、兄上にお任せすれば問題ありません」
ルナリアはそう言いながら自分で点てた茶を一口。だが、すぐに半眼になって肩身が狭そうなテオドールに視線を向ける。
「ただ、そちらについては、私は責任を取れませんよ? 将軍」
「分かっている……分かっているのだが……」
その言葉にテオドールは苦しそうに呻く。アヤトは瞬きしながらルナリアを見やる。
「……そちらって、なんだ? ルナ」
「軍のごたごたですよ」
ルナリアはアヤトに視線を戻すと、説明を加えてくれる。
「王都に来た兵士たちが、王族に対する不平不満をこぼしている――この件については前話したと思います。となれば、次に出てくる問題は目に見えています」
「……不敬罪、か?」
「それもあります。ただ問題はその罪状で捕まる側と、捕まえられる側です」
捕まえられる方――それは当然、王都に来た兵士たちだろう。
では、捕まえる方は王都の治安維持を担当する近衛騎士たち――。
その両者を想像した瞬間、一気に嫌な予感が膨らみ始めた。顔色からそれを見て取ったルナリアは吐息をこぼしながら頷いた。
「前線の兵士からしてみれば、近衛騎士は王族の狗です。王族に対する不平不満が募っている状態で、血気盛んな彼らが近衛騎士に大人しく捕まるでしょうか?」
「……第四軍はともかく、第五軍はな」
そもそも冷静な思考ができる人間なら、公然の場で文句を口にしたりしない。アヤトとルナリアは視線をテオドールに向けると、彼は晴れない顔で告げる。
「一応、第四軍、第五軍、第六軍の主だった将軍にはすでに面会し、先走るな、と伝えてはいる。だが――それで命令を素直に従うなら、苦労はせん」
「どこにも血気盛んでやんちゃな兵士はいますからね」
「ええ。上手く火消ししても、いずれどこかで煙は立ちます。そして、待っている最悪の事態は明白です」
ルナリアは言葉を切ると、目を細めて告げる。
「近衛騎士と、前線部隊の全面衝突」




