第19話
「失礼します。勇者様、お嬢様――」
メイドのレイラが部屋を訪ねてきたのは、昼下がりのことだった。入室を許可された彼女は扉を開けて一礼。それから部屋に入り――。
ベッドにいるアヤトとルナリアを見て立ち止まった。その瞳が驚きに見開かれる。
「え、あ、お嬢様、えっと――」
戸惑う彼女の声にアヤトは眉を寄せ、振り返る。部屋に置かれた姿見が目に入り、思わずアヤトは黙り込んだ。
(今、やましいことは一切していないんだが――)
だが、姿見に映ったアヤトはベッドの上で仰向けに寝ており。
その腰の上にルナリアが跨っている状態――傍から見ると、誤解を招きそうな体勢だ。レイラが戸惑うのも無理はない。
ルナリアは自覚していないのか、レイラが立ち止まっているのにきょとんとすると、軽く笑って手招きした。
「いいところに来ました。レイラ。少し手伝ってもらえますか」
「お、お手伝い、ですか……っ?」
「ええ、アヤトさんのここ、ガチガチに固くて――んっ、やっぱり太い……っ」
「が、ガチガチに、固くて……太い……」
ごくり、と生唾を飲んでいるレイラ。何を想像したのか、顔を徐々に真っ赤にしている。だが一方で興味津々というか、じりじりと近づいてきている。
(意外とむっつりスケベなのかね。レイラは)
ただ、誤解させ続けても悪い。アヤトはため息をこぼして解説する。
「太ももが、だな。今、ルナリアに太ももをマッサージしてもらっているんだ」
「え――あ、マッサージ……?」
「ええ……というか、逆に何だと思ったのですか? レイラ」
「な、何でもありません……! そ、それより」
顔をますます真っ赤にしたレイラは咳払いをすると、踵を揃えて声を発する。
「お手紙が来ています。勇者様、お嬢様お二人宛てに」
「ん――送り主は?」
「テオドール・ギュネス様、と」
その言葉に思わずアヤトは顔を上げた
(テオドール将軍……?)
アヤトが所属する、第七軍の将軍だ。だが、彼は今、アヤトがルナリアの屋敷にいる事実を知らないはずだが。
ルナリアを振り返ると、彼女は太ももを揉み解す手を休めずに頷いた。
「一応、テオドール将軍にも手紙を出していました。事情があり、アヤトさんを我が屋敷にお泊めいたしている旨を」
「婚約破棄の旨は?」
「伝えていません。ただ、調べはつけているとは思いますが」
「まぁ――噂にはなっているだろうからな」
アヤトはそう言いながらレイラに手招きする。まだ頬を赤らめている彼女はおずおずと近づき、手紙を差し出してくれた。
それを受け取り、開いてみれば見慣れた癖字が並んでいる。
「――将軍は随分と心配してくれているようだな。時を見て都に上るとまで言ってくれている。前線はどうやら落ち着いているのかな」
(となれば、テオドール将軍の計略は進みつつあるのかな――)
テオドール将軍は寡兵で魔王軍と互角に戦いながら、この戦況を打破する計略を進めていた。それが為せば、これ以上の流血は避けられる。
されど、国内からは賛否が起こる計略にて、アヤトやルナリアを含めた一部の者しかその全容を把握していない。だからこそ、進捗については手紙には書かれていない。
あるのは一言――万事つつがなく、とだけだ。
「順調だからこの機会にゆっくり休暇を取るように、との仰せだ。ありがたいことに王都からの命令はのらりくらりとごまかしてくれる、とのこと」
「さすがテオドール将軍。第七の父と呼ばれているだけはあります」
ルナリアはそう言いながらアヤトの背に尻を下ろし、彼の腰をぐいぐい指圧してくれる。解される刺激に吐息をこぼしながら、アヤトは手紙を持った手を持ち上げた。
「ルナリアにも何か書かれているぞ」
「ありがとうございます――レイラ、マッサージを代わってもらえますか?」
「は、はい……えっと勇者様、どこを……」
「ああ、なら肩を頼んでいいか」
「はい……って、すごく固い……っ!」
レイラがアヤトの肩に触れ、驚いた声を上げる。それに苦笑していると、ルナリアは手紙を受け取りながら小さく吐息をこぼした。
「前線なのに、治癒できる魔術師が不足しているのが悩みのタネですよね」
「あ――もしかして、過治療の弊害ですか?」
「よく知っているな……ああ、そういえばレイラも士官学生だったか」
過治療とは、魔術による急速な治療で起きる副作用だ。基本的に治療魔術は、負傷部位に魔力を与え、回復を促進する仕組みになっている。
だが、逆に魔力を与え過ぎる、あるいは何度も同じ箇所に魔力を与えると、その傷口周辺の筋肉、皮膚、血管などが固くなってしまうのだ。
それを過治療といい、前線兵士の職業病として知られている。
「ルナが前線にいた頃はよくこうしてマッサージに付き合ってくれて、過治療で固まった筋肉を解してくれたんだが――さすがに一人だと限界があってな」
「よく、これで、戦えますね……っ、肩の可動域が狭くなっているんじゃ……」
レイラは肩を揉みほぐすだけでなく、彼の腕を取って肩を中心に回すことで筋肉を解そうとしてくれている。それに吐息をこぼしていると、アヤトの上に尻を置いたままのルナリアから手紙を畳む音が聞こえてくる。
「何て書かれていた?」
「アヤトさんから目を離さないように、という旨ですね。すぐに無茶をするので」
「――否定したいが、否定できないよな」
少なくとも、いつも戦場で単騎駆けしていた人間が否定できるはずがない。
苦笑をこぼしながらレイラのマッサージに身を委ねていると、ルナリアはアヤトの腰を再びマッサージを続けながら小さく告げる。
「いずれにせよ、しばらくアヤトさんは屋敷におられた方がいいと思います。今、婚約破棄を聞きつけた貴族たちがあちこちアヤトさんを探し回っているようでして」
「へぇ、それはつまり――俺を引き込もうとして?」
「ほぼ、間違いなく」
「なるほど――なら、しばらくは身を隠しておくべきか」
(将軍の手紙によれば、前線の心配はいらなさそうだし)
貴族たちの政略に巻き込まれるのもうんざりだ。その点、この屋敷は王都内とは思えないほど静かであり、政争とは無縁――。
無論、それはゲオルグやルナリアが気を遣っているからだが。
「恐らく、アヤトさんがこの屋敷にいることは徐々に知られるでしょうが、あしらいの方は任せてください。ただ、軍の来客はお通しするかもしれませんけど」
「それは大丈夫だ。将軍とかには挨拶しないといけないし」
(それに、そこまで顔を見に来る人間もいないだろうし)
第七軍の者ならアヤトとルナリアの繋がりを知っているから、アヤトの居場所はほとんど割れている状態――とはいえ、わざわざ会いに来るのは将軍や一部の将校だけだろう。
気楽に思いながらアヤトはマッサージしてくれるルナリアに声を掛ける。
「折角だから、今日は手合わせでもするか」
「いいですね。レイラもたまにはどうですか? 勇者様に指導していただける貴重な機会になると思いますが」
「ありがたいです……! 是非!」
二人の明るい声に表情を緩ませる。ここでの暮らしは本当に居心地がいい。
――アヤトはこのとき自覚していなかった。
勇者の肩書がどれだけ重いか、自身がどれだけ影響力を持っていたか。
だからこそ、想像していなかった。
まさか、あれほどの来客がこの屋敷に訪れてくるとは――。




