第17話
ゲオルグ視点
ゲオルグ・デュ・マーロックは屋敷内にて緊張していた。
マーロック家は子爵家とはいえ、譜代から王家に仕えてきた名門。その当主であれば常に堂々と構えるべき者である。
ましてや屋敷内はマーロック家敷地内。そこで絶対であるべきは当主――。
であるにも関わらず、ゲオルグは緊張感を漂わせながら目の前の少女を見据える。彼女はつまらなさそうな顔でぱらぱらと書類に目を通していた。
だが、すぐに兄の面持ちに気づき、彼女は苦笑を見せる。
「兄上、そう構えずとも結構です。我らは家族ではありませんか」
「そう、だな。血を分けた兄妹だ」
そう言いながらもゲオルグは肩の力を抜くことはなかった。
(その肉親相手に、容赦ないことをしでかしただろうに――)
思い出すのは、ルナリアがマーロック家に戻されたときのこと。顔を合わせたとき、可憐に育った姿よりもその顔つきに驚かされた。
目つきは据わり、貴族令嬢に似つかわしくない無表情。
それにかける言葉を迷っていると、彼女は目を細めて訊ねたのだ。
『ゲオルグ兄上は、私の味方ですよね?』
『――あ、ああ、当たり前じゃないか』
『そのお言葉を聞いて安心しました』
そこで初めてにこりと微笑んだ妹――だというのに何故か安心できず、直感が警告を放ち続けていた。彼女は何かしでかす、と。
一方でゲオルグたちの父――前当主はルナリアの戦果を称える一方で、裏で手を回して縁談の取りまとめに動いていた。彼女は最初から政略結婚の道具として使われるために、わざわざ最前線から呼び戻されたのである。
相手は伯爵家だが、歳は四十過ぎ――ルナリアを思うとあまりにも不憫。ゲオルグとしてもどうにかしようとは画策していた。
だが、家中の方針はすでに決し、当主の意向には逆らえなかった。
そして――運命の日を迎えた。
『ルナリア、戦功華々しいお前に縁談を持って来たぞ』
ゲオルグたちの父が威厳たっぷりに告げ、マーロック家の全員が笑顔でそれを見守る。その視線の先のルナリアは無表情だった。
喜怒哀楽何も示さない、不気味さ――それに父は気づかずに得意げに語る。
『日取りはこちらで決める。ルナリアは輿入れの準備を……』
『お断りします』
瞬間、静かな声が父の言葉を遮った。静まり返る室内の中、ルナリアはため息を一つつき、うんざりとした目で父を見る。
『そのような縁談、私に受ける筋合いはございません』
『――貴様、当主の言葉に逆らうとでも?』
『当主?』
ふん、と小馬鹿にしたようにルナリアは父親を見据え、指を弾いた。
直後、扉が猛烈な勢いで開かれた。それと同時に踏み入ってくる騎士たち――いずれもマーロック家に仕える騎士だ。彼らは素早く抜剣すると、室内にいる者たちに次々と刃を突き付けていく。
突きつけられていないのは、ルナリアと――何故かゲオルグだけ。
四方から刃を突きつけられて凍り付く父親を前に、ルナリアは悠然と腰を上げると、騎士の一人が恭しく差し出した書類を取り上げ、にこりと笑う。
『父上、これに見覚えはありませんか?』
分厚い紙の束。彼女はそれを父親の机の前に投げる。戸惑った表情の彼はそれを見下ろし――直後、その顔面が一瞬にして強張った。
『これ、憲兵さんたちに見つかったら、さぞかし困るでしょうねぇ』
ルナリアは楽しそうに部屋の中を歩く。父は何か声を絞り出そうとしたが、それを封じるように周りの騎士が喉に刃を突きつける。
再びの沈黙。響き渡るのはルナリアのくすくすという笑い声。
ゲオルグも刃を突きつけられていないのに、一歩も動けない。
(なんだ、父上は何をやっていたんだ? ルナリアは何を突き止めた――?)
止まりそうになる思考を懸命に動かし、状況の把握に努める。その中でルナリアは何故かゲオルグの方に足を向け――彼の椅子の後ろで立ち止まった。
『王家に仕える者として、父上の悪行は看過できない――それ故にこちらでも手を打たせていただきました。ご安心を、マーロック家を取り潰すつもりはありません』
そして、ゲオルグの椅子の背もたれにルナリアは手を載せて宣言する。
『今、この瞬間より父上は急病につき、当主の座をゲオルグ兄上に譲っていただきます』
『そ、そんな無法――』
『通るんですね。これが。もうすでに王家には話は通してあります』
彼女はそう言いながらゲオルグの隣に立ち、手にした紙を見せる。横目で見れば、そこには王家の判が押された書類が見える――見て分かる。偽造ではない。
『王家には我が家の悪行の証拠を提出し、恩赦を願いました。結果、マーロック家は存続を許される代わりに、当主交代するように仰せつかりました』
その言葉に全員が言葉を失った。父に至っては顔面蒼白であり、今にも気絶しそうだ。ゲオルグはゆっくりと吐息をこぼすと、慎重に口を開く。
『ルナリア――少し聞いてもいいか?』
『ええ、どうぞ。兄上』
『……いつの間に、いや、いつから手を打っていた』
『そうですねぇ、大分前から、と申しますか』
ルナリアはのんびりとした口調で言い、視線を扉の方に向ける。そこには数人のメイドが顔を強張らせながら状況を見ていた。
その中にはゲオルグの世話をしてくれている、サーシャの姿もある。
『いずれはこういう無茶を言われるのではないかと思い、それを思い止まっていただくような説得材料を探していたのです。そうしたら、悪行の数々が明らかに』
彼女は指先で父親の前にある書類を呼び出し、淡々とした口調で告げる。
『脱税行為や塩、鉄の密売――それだけにとどまらず違法薬物の取引、人身売買などなど、叩けば埃が出ること、出ること。これを王家に密告するべきか悩みましたが』
そこで言葉を切って、ルナリアはゲオルグを見て笑った。
『兄上が、私の味方だと宣言してくださったので、遠慮なくやらせてもらいました』
『――っ』
何気ないやり取りだと思っていた。
だが、あの一言がルナリアに決定的な言質を与えていたのだ。父、弟、妹の視線がゲオルグに注がれ、やがてそれに憎しみが込められていく。
血の気が引いていく中、ルナリアの手がぽんとゲオルグの肩に載せられた。
そして、耳元で小さく囁かれる。
『兄上は――私の、味方ですよね』
その言葉の底にはどこか冷たい殺気のようなものが孕んでいて。
気づけばゲオルグは深く頷き返していた。
それからの動きもあまりにも迅速だった。
ルナリアはゲオルグ以外の肉親を全て拘束し、ばらばらの場所に送り出した。ゲオルグが行方を確認できているのは妹――彼女だけは修道院に送られている。
だが、父や弟はどこに行ったか分からずしまいだ。
ルナリアにさりげなく聞いてみれば、彼女はほんのわずかに目を細めた。
『父上についてはあまり聞かない方がよろしいかと。病気が移られますよ』
『そ、そうか――ちなみに、弟は?』
『経過を観察していますが、今のところ元気にございますよ』
ルナリアはにこりと笑う――だが、その目は笑っていない。
『というか、元気でいていただかないと。もし、兄上が病気になられた際は、代わりにマーロック家の采配を振るってもらわないと』
『――っ』
その言葉が意味することは一つ。
ゲオルグもルナリアには完全に信頼されていない。もし彼女を裏切ろうとすれば、すぐに彼も『病気』になり、代わりとして弟を当主として擁立するつもりなのだ。
ゲオルグは恐怖を押し殺し、小さく吐息をこぼして頷いた。
『健康には、気をつけるつもりだ』
『ええ、そうですね。お互いに健康でいられれば、仲の良い兄妹ですから』
そう告げたルナリアの笑顔は可憐で――それだけに底知れない恐ろしさがあった。




