第15話
夜、アヤトが自室で就寝の支度をしていると、扉が叩かれた。
その音に眉を寄せる。ルナリアのノックにしては少し間隔が空いていた。振り返りながらアヤトは声を掛ける。
「――どうぞ」
「失礼します。勇者様」
寝室に入ってきたのはサーシャだった。彼女はお盆を手にして、穏やかに微笑むと軽く一礼する。
「本日、お嬢様は少々忙しく、勇者様のお部屋にお邪魔できない旨をお伝えに来ました」
「そうか――いや、別に断りもいらないのだけどな」
ただ、何となく今日もルナリアが来てくれることを待っていた。この一週間でそれが当然のように習慣化していたのだから。
それに気づかされてアヤトは苦笑しつつ、ベッドに腰を下ろした。
「分かった。了解したよ――ちなみに、それは?」
アヤトは視線をサーシャのお盆に向ければ、彼女はにこりと笑う。
「ハーヴティーをお持ちしました。お嬢様の代わりにはならないと思いますが、こちらをぜひお召し上がりいただければ」
「そうか。なら、いただこうかな」
アヤトは頷きながらベッド横のサイドテーブルに視線を移す。サーシャは一つ頷くと、失礼します、と告げて茶の支度を始める。
その手つきはさすがに慣れたもの。カップに茶が注がれると、ふわりと落ち着く香りが立ち上り始めた。
「どうぞ、勇者様」
出されたハーヴティーに手を伸ばし、口に運ぶ。口の中で独特のハーヴの香りが広がり、同時に腹の中でじんわりと温かさが染み渡る。
思わず吐息をこぼし、サーシャに視線を移して頷いた。
「美味しいな――ありがとう」
「いえ、礼には及びません。お嬢様からご事情を伺っていましたので」
サーシャはそう言いながらさりげなくもう一つのカップに茶を注ぎ、それから手近な椅子に腰を下ろす。茶の相手を務めてくれるらしい。
(別にルナリアの代わりをしてくれなくてもいいんだが)
ただ、茶を煎れさせてすぐに下がらせるのも申し訳ない。アヤトはカップを置きながら話を軽く振った。
「サーシャは、ルナが幼い頃からの使用人だったか?」
「はい、当時私はゲオルグ様の使用人でしたが、お嬢様を気に掛け、世話するように命じられていました――勇者様、我が家のご事情は?」
「ルナの周りのことについては、本人の口から」
(彼女は出自から他の弟妹、使用人から冷遇されていた――)
唯一、気を掛けていた人物がゲオルグだった。それを確かめるようにサーシャに視線を向ければ、彼女はこくんと頷いて茶で唇を湿らせた。
「ゲオルグ様以外は、使用人含めお嬢様に冷たく当たるか、またいないもののように振る舞っていました。それを察してか、お嬢様は毎日息を潜めるように暮らしており、ゲオルグ様も次期当主であるために、あまり時間も割けません。ですので、私がお嬢様とご一緒にいることにしました」
「そう――か」
ルナリアの子供の頃を聞こうかと思ったが、改めて解説されると憚れるものがある。だが、サーシャはアヤトの意図を察していたのか、目を細めながら語る。
「その事情故にお嬢様は物静かでしたが、察しが良いお方でした。離れに一人でいるにも関わらず、寂しがったりせず、一人で本を黙々と読み、知識を身に着けていました。そして――この状況に疑念をいただいていたようです」
「疑念?」
「はい、貴族の在り方について。お嬢様が貴族の心得を示した指南書を読んでいた際、口にしたことをよく覚えています」
彼女は思い出すように目を細め、静かに告げる。
「何故、この家が貴族ならば自分が押し込められているのか。他の名門は偉大なことをしているのに、我が家は何も成し遂げていないように見えるのだけど――と」
「……幼い頃から、鋭かったんだな。ルナは」
「ええ、まさに。そのときはたまたまゲオルグ様がご一緒におられましたので、ゲオルグ様は苦笑いしながら滔々と語りました。このマーロック家の歴史、そして当時の状況について――それを聞いても、お嬢様は相変わらず本を読む日々を続けていました」
ゲオルグはきっと分かりやすく、だが正確に話したのだろう。それにルナリアはどう思ったのだろうか。アヤトは小さく吐息をこぼして苦笑する。
(――想像がつかないな。まだ、ルナリアのことをよく知らない)
長年連れ添った戦友でも、まだ知らないことがある。それを改めて実感させられる。アヤトは再びハーヴティーを口に運んでから訊ねる。
「そういえば、ルナが魔術を見出したのは、この屋敷で、ということだったが」
「はい、丁度、ゲオルグ様とマーロック家について語り合った数日後のことです。お嬢様が突然、魔術を教えて欲しい、と仰られまして。それで不肖ながら、私めが」
「――サーシャが、魔術が使えるのか」
アヤトは目を丸くする。人間だれしも魔力を持っているが、その保有量は人それぞれだ。それを使いこなせる才覚があるのは、ほんの一握り。
それ故に魔術を使える者は重宝され、軍や士官学院に召喚されることになる。
現にアヤトやルナリアも魔力を持っていることから軍に関わることになった。
「私の場合は使えますが、保有魔力量が乏しくて。火を起こすだけでも息が上がってしまうんです――」
サーシャはそう言いながら掌を持ち上げ、魔力を込める。そこに浮かび上がった魔力の流れ――通称、魔紋は弱々しい。彼女はそれを見ながら苦笑を滲ませる。
「だから、家から出来損ないとして、追放される形でこの家に奉公に出されたのですが」
(……え?)
その言葉に微かに引っ掛かる。すぐに彼女の魔紋に視線を向けるが、彼女はすでに魔力を引っ込めていた。サーシャは首を振りながら穏やかに微笑む。
「話が逸れましたね。お嬢様の申し出に、私は知ることを少しずつ教え始めました。そして気づかされたのは――お嬢様に膨大な魔力量、そしてそれを扱いこなす技量を持っていることです。すぐに魔力のコツを掴み、見る見る内に身に着けていました」
淡々と感情を押し殺すような声。それを見てサーシャは何を思ったのだろうか。束の間の沈黙が落ち、アヤトとサーシャは静かにハーヴティーを飲む。
やがて、サーシャは囁くような声で告げた。
「そして、私はこの件をご当主様に報告しました。そして――」
「ルナは士官学院に行くことになった、か」




