第13話
「アヤトさんっ」
ゲオルグとの会話を終え、離れを出たアヤトは廊下ですぐにルナリアと顔を合わせた。いつものようにシャツとズボンを身に纏った彼女は一本に結った髪を尻尾のように揺らし、無邪気な笑顔で駆け寄ってくる。
「お疲れ様です――兄上に変なことを言われませんでしたか?」
「いや、全く。ここでの暮らしを気遣ってもらったよ」
「ならいいのですが……兄上に何か言われても気にしないでくださいね? いつまでもこの屋敷にいていただいて構いませんから」
「ありがたいが、いつまでも、というわけにもいかないだろうに」
自然とアヤトとルナリアは廊下を並んで歩き始める。苦笑するアヤトに対し、ルナリアは微かに頬を膨らませ、肩をぶつけてくる。
「いいじゃないですか。アヤトさんは王国を救った勇者様。ならば、その褒美にゆっくりしても許されるはずです――戦況も落ち着いているんですよね?」
「一応な。仮に魔王軍が攻勢を仕掛けても、テオドール将軍がいれば問題ない」
テオドール将軍は兵の運用が上手く寡兵でもよく魔王軍を押しとどめていた。だからこそ、第七軍という最前線部隊を任されているのだろう。
最近はまた別の策を講じることで、魔王軍の動きを封じている。
そのおかげで、アヤトが王都まで来られる余裕が出来ているのだが――。
「事情がどうあれ、休暇明けには一旦、第七軍に戻らないといけないだろうな」
「――そう、ですか」
そういうとへにゃりと眉尻を下げ、目に見えてしゅんとなるルナリア。相変わらず表情が豊かで見ていて飽きない。アヤトは目を細めながら軽く笑った。
「いずれにせよ、まだ先――もう少しここで甘えさせてもらうよ」
「本当ですかっ!」
今度は一転、再び表情が明るくなる。ああ、と軽くアヤトは頷いてみせる。
「一応、休暇期間中だし、急な連絡もなさそうだ。こういうときに焦って動いても仕方ないし、身体を休めるのも重要だからな」
(――あと、ルナリアの気持ちに向き合い、応えないとな)
口には出さず、心の中で付け足す。
今も向けられている、ルナリアのひたむきな好意。それに対して、どんな形で応えていくのか。アヤト自身がどう応えたいのか。
それも時間をかけて決断したいところだった。
(ゲオルグ殿も『しっかり考えて決めなさい』と言ってくれたからな)
特に婚約するとなれば、慎重になりたい。クラリッサのときのように、ルナリアから婚約破棄されてしまったら、きっともうアヤトは立ち直れないから。
ずきり、と心の奥が痛むのを感じていると、ルナリアが軽く腕を引いた。
「そういえば、お菓子焼いたんです。お時間があったら一緒に食べませんか?」
(……やっぱり敵わないな)
一瞬の逡巡から、アヤトの心を感じ取ったらしい。
この一週間もルナリアはアヤトの心が下向いているのを機敏に感じ取り、いろいろと気分転換してくれた。
一緒の部屋で寝ながら、他愛もない雑談をすることはもちろん、一緒にお散歩したり、札遊びに興じたり――時には膝枕や頭を撫でるなど。
スキンシップは本来なら気恥ずかしいのだが、どうしても抗えない魅力があり。
ずるずると、彼女の甘やかしに溺れている。
(ルナの甘やかしは危険だな。心の傷が癒える一方で、自堕落にさせられる)
アヤトは苦笑を一つこぼし、軽口を思わず軽口を叩いた。
「ルナってお菓子作りできたんだな」
「失礼ですねー。それくらいはできますよっ」
「……一度、野営地の竈を吹っ飛ばしたことがあるのに?」
その言葉にルナリアは気まずそうに視線を泳がせた。
ちなみにそれはルナリアが軍に加わったばかりのことだった。炊事当番のときに、薪が湿気って火力が出ないことに業を煮やし、魔術を叩き込んだのだ。
その結果、竈が大爆発。アヤトたちは襲撃かと思って焦らされたものだ。
「い、いつの話をしているんですか。大分昔の話です……っ! 今は炊事くらいできます。時々、屋敷でもお菓子作りはしますし」
「はは、悪い。懐かしくなってな」
「……まぁ、確かに懐かしいですけどね」
苦笑いをこぼし合い、アヤトとルナリアは食堂に向かう。そこにはすでにお菓子が並べられており、二人のメイドがせっせとお茶の支度をしていた。
「あ――みんな、気を遣わなくてもいいのですよ?」
「いえ、これが私どもの仕事ですので」
「後でお話聞かせてくださいね。お嬢様」
楽しそうに笑うメイドたちと、困ったような笑顔を返すルナリア。普段から親しくしているのが分かり、アヤトも少し微笑ましくなる。
メイドたちはお茶の支度を終えると、椅子を引いてルナリアを促す。
「さ、お嬢様、どうぞ」
「勇者様も」
アヤトの分の椅子も引かれる――その位置はルナリアの隣。椅子の感覚も心なしか近い。ルナリアは椅子に腰を下ろすと、アヤトを見上げて期待の眼差しを向けてくる。他のメイドたちもきらきらとした視線――。
それに抗えず、アヤトはその椅子に腰を下ろした。近い距離でルナリアの髪が微かに肩に触れる。嬉しそうにほんの少しだけ頬を染めていたルナリアは早速、目の前のお菓子――クッキーの手を伸ばした。
「見てください。今回のは自信作で、結構綺麗に焼けたんです。ここにいるライカにも手伝ってもらったんですけど」
そう言いながら彼女は摘まんだクッキーを自然な動きでアヤトの口元に運んだ。彼は口を開けば、それが口の中に放り込まれる。
途端に広がる香ばしさとほのかな甘さ――噛みしめると触感もいい。
(ん、これはなかなか――甘さ控えめなのもいいな)
一つ頷いていれば、ふと生暖かい視線が向けられていることに気づく。
視線を上げれば、お茶の支度をしているメイドたちがさっと視線を逸らした。だが、時折、ちらちらとこちらの様子を伺っている。
(……さすがに恥ずかしい)
昔、よくルナリアに味見させられていたので、食べさせられるのは慣れっこだが、見られながらだと少し恥ずかしい。アヤトも視線を逸らすと、ルナリアはふと何か思いついたように二人のメイドを見た。
「二人とも、この後のお仕事は?」
「特にはございません。何か御用でしょうか?」
「ううん、折角なら一緒にお茶でも、と思いまして。どうです? アヤトさん」
「――ああ、いいな。たまには大人数で話すのも」
彼女の提案に、アヤトはすぐに頷いた。
(第三者がいれば、ルナの甘やかしも少し控えめになるだろうし)
ルナリアと二人で話すのも楽しいが、このメイドたちから普段、ルナリアがどういう風に過ごしているのか、少し気になってしまう。
アヤトとルナリアの言葉に二人のメイドは顔を見合わせていたが、やがて一つ頷いて微笑んだ。
「ありがとうございます――では、お言葉に甘えまして」




