第12話
その日、マーロック家の離れにある茶室にて、アヤトは一人の男と向き合っていた。傍には一人のメイドが控えており、正座しながら茶の支度をする。
やがて――香り出したのは紅茶の香りだ。
和室に似つかわしくない香りに思わず苦笑すると、目の前の男も笑った。
「すまないね、アヤト殿――抹茶も悪くないが、私は紅茶の方が好きでね」
「いえ、構いませんよ。まさか、この茶室で紅茶を口にするとは思いませんでしたが」
メイドが紅茶を差し出す。それをアヤトは受け取りながら目を細めた。
「改めて感謝します。ゲオルグ殿。この屋敷での逗留を許していただいて」
「礼には及ばないよ。アヤト殿。貴方はルナリアの恩人だから」
茶室に胡坐を掻いた男――ゲオルグは軽く片目を閉じてから、紅茶を口に運ぶ。その所作は丁寧であり、やはり貴族らしさを感じさせる。
アヤトも紅茶を口に運びながら、わずかに目を細めた。
(――まさか、ゲオルグ殿から茶に招いてくれるとは)
アヤトがマーロック家に来た日、ゲオルグとは挨拶したきり、顔を合わせる機会はなかったが、一週間経ったこの日、久々に顔を合わせ、こうして茶に誘ってくれたのだ。
「本来ならもっと早くアヤト殿と話す時間を設けたかったが、少々忙しくてね。若輩者故に、いろいろと挨拶周りは欠かせないのが辛いところだよ」
「むしろお忙しい中、お時間を取っていただいて恐縮です」
「はは、そうかい? というか、そんなにかしこまる必要はないのだがね」
そう告げるゲオルグの口調はどこか柔らかく、若さが感じられる。当主として、ではなく、まるで一人の友人に接するかのような話し方だ。
彼は紅茶をもう一口飲んでから、真っ直ぐにアヤトを見て微笑む。
「しかし、この一週間で随分と顔色が良くなった。髪も、整えたのかな?」
「はい、ルナに切ってもらって」
「ふむ? ルナリアが髪を?」
「ええ、実は第七軍に彼女がいたときも、しょっちゅう切ってもらっていて」
戦場では髪の毛など気にする人はいなく、気づけばぼさぼさになってしまう。だが、ルナリアはその身なりを気にしてくれ、散髪を買って出てくれていた
最初の頃はその散髪はあまりにもざっくばらんだった。だが、回数を重ねるごとに腕前が上がり、次第に綺麗に切るようになっている。今のアヤトの髪もさっぱりと切り揃えられ、整髪剤も使われているくらいだ。
なるほど、とゲオルグは頷きながら苦笑を浮かべる。
「全く、理髪師でも呼べば良いものを――アヤト殿、不便などはないかね?」
「いえ、全く。むしろ、充実し過ぎて申し訳ないくらいです」
この屋敷では衣食住が整っているどころか、それらが最上級。顔色がいいとすれば、その充実した環境も要因の一つだろう。
アヤトが改めて感謝を示して頭を下げると、ゲオルグは軽く笑って手を振る。
「そこまで感謝してもらう必要はないよ。勇者殿――むしろ、貴方の功績を考えれば、もっと贅沢が許されてもいいと思う」
「そう、でしょうか?」
「ああ、そうだよ。恐らくだけど、他の貴族でもこれくらいのもてなしは当然のようにする。むしろ、もっといろいろなおもてなしをするだろう。例えば毎食珍味を揃えたり、使用人を美女で固めたりとか」
「それは――逆に神経がすり減りそうですね」
アヤトのこぼした言葉に、なるほど、とゲオルグは一つ頷いた。
「ルナリアに聞いた通り、節度を弁えた人なのだな。アヤト殿は」
「己がどういう人間か知っているだけです。ひとたび甘えを許してしまえば、際限なく自堕落になってしまう。だからこそ、引き締めています」
「そういう心構えができている者は少ないものだよ。特に貴族などはね――」
そう告げた彼の表情はどこか苦々しげだった。いろいろと思うところがあるのだろう。アヤトは何も言わずに紅茶を口に運んでいると、ゲオルグはさりげなく切り出す。
「ところで――ルナリアは、迷惑をかけていないかい?」
「――迷惑、ですか?」
「ああ。知っていると思うが、ルナリアは時々手段を選ばず、暴走することが多い。そして知っていると思うが――ルナリアはアヤト殿をえらく気に入っている」
「それは……まぁ」
実際に告白されている上に、ここ数日傍にいるときは好意を隠そうとしない。
手を出さないと宣言した手前、積極的な接触はないものの、できるだけ傍にいて距離感を詰めてきており、ルナリアの気持ちをひしひしと感じている。
ゲオルグは腕を組むと、傍のメイドにちらと見てから続ける。
「使用人に聞いたところだと、この一週間、ルナリアはアヤト殿にべったりだという。その、夜も部屋で一緒だと聞いているが……?」
その言葉にアヤトは言葉を詰まらせる――事実だ。
最初の日、一緒の部屋で寝てからルナリアは毎日、アヤトの傍で寝ている。二人にとってそれに抵抗はないが、言われてみると外聞が悪い。
男女が夜、同じ部屋にいれば、自然とそういう関係と見做されてしまうはずだ。
アヤトは深く吐息をこぼすと、覚悟を決めて深々と頭を下げた。
「申し開きもありません。迂闊でした。ただ、ルナリアに一切手を出すような真似はしておりません。何かあれば、この腹を切って――」
「い、いや、謝ることはないんだ、アヤト殿……っ」
粛々と詫びと覚悟を口にするアヤトに対し、ゲオルグは慌てて手を振った。それから心配そうな眼差しでアヤトを見つめてくる。
「むしろ――私としてはルナリアが君に手を出すことを危惧しているのだが」
「いや、それは全く――ただ、心配する相手が逆なような?」
「逆なものか。あの、ルナリアだぞ」
あの、と部分に力強く強調を加えるゲオルグは小さく吐息をこぼす。
「ルナリアはとにかくこうと決めたことを貫き通す意思と、それだけの実行力を揃えている。前も言ったが、これはアヤト殿の薫陶だそうだが」
「――俺が教えたのは、戦闘教義くらいなものですが」
それも大雑把なものだ。
戦闘はその前の準備が肝心。兵站と戦力は万端にせよ。
戦力を活かすには情報が必要不可欠。情報は常時収拾せよ。
好機が来たと判断をすれば、戦力を惜しまず一気呵成に叩き潰せ。
大体そんなものしか教えず、後は現場の雰囲気や経験で学ばせた。それを自分のものに昇華したとすれば、それはルナリアの実力だろう。
「いずれにせよ、ルナを迷惑と感じたことは一切ありませんよ。むしろ、彼女にはこの一週間助けられてばかりです」
アヤトはそう断言しながら紅茶を一口飲みつつ、自身の心を鑑みる。
婚約破棄の心の傷はまだ生々しく痛む気がする。だが、それはどこか遠くなり、客観的に捉えられるようになってきていた。
それだけ、アヤトの精神に余裕が戻ってきていることを示している。
(――これもルナのおかげだな)
彼女はこの一週間、ずっとアヤトの傍にいてくれた。食事を共にし、茶に誘い、散歩に誘い、そして夜は同じ部屋で眠る。
無論、距離感は戦友としての程よい程度を保ち、一線を越えようとはしない。
つまり、彼女は疑似的に日常を再現してくれていたのだ。
「ルナが日常を作ってくれたおかげで、俺はこうして落ち着いていられています。彼女がいてくれなかったら、俺は酒を飲んでめそめそ女々しく泣いていたかも」
自嘲するようにアヤトが笑うと、ゲオルグは目を丸くしていたが、全く、と苦笑いを滲ませて吐息をこぼした。
「――ルナリアは余程、アヤト殿に惚れ込んでいるようだな。己の欲求を律しつつ、貴方のために尽くそうとしている。我が妹ながら健気なことよ」
「ルナは、仲間に対しては大体健気ですよ。まぁ、本人に言うと否定しますけど」
「違いない。こんなこと、直接は言えないな」
ゲオルグは小さく笑いつつ、アヤトを見つめながら言葉を続ける。
「迷惑ではないなら、引き続きルナリアを傍に置いてくれるかな。あの子はアヤト殿の傍にいるときは、一番活き活きしている――良くも悪くも、だけど」
付け足された言葉はどこか意味深であり、少し気になる。だが、ごまかすようにゲオルグは咳払いし、微笑んで続ける。
「そして――アヤト殿の心が落ち着いたら、ルナリアに向き合ってくれれば尚嬉しい。どんな選択を取ろうと、アヤト殿の判断を私は尊重する」
その言葉にアヤトは少しだけ目を見開いた。
(――すごいな、この人は)
彼は貴族である以上、家の利益や立場を考えなければならない。そうなれば、是が非でもルナリアとアヤトを婚約させたいと思っているはず。
だが、彼はアヤトの心中やルナリアの気持ちを慮り、判断を委ねてきたのだ。
そのアヤトの目を見つめ、ゲオルグは穏やかに告げる。
「しっかりと考えて決めなさい。アヤト殿」
その眼差しはルナリアと同じ色合いをしていて、限りなく柔らかくて――アヤトはそれを受け止め、思わず深々と頭を下げていた。




