第11話
『――あ……』
その発表の場で、ルナリアは頭が真っ白になっていた。
壇上ではアヤトの隣にクラリッサが立っている。照れくさそうに笑うアヤトの傍で、幸せそうに微笑むクラリッサ。その姿に胸がかき乱されそうになっていた。
呼吸が浅くなる。目の前の光景を理解したくなかった。
あの笑顔を別の誰かに向けて欲しくなかった。
自分の傍から離れて欲しくなかった。
泣きたくなる気持ちが込み上げ――そこでようやくルナリアは自覚する。
アヤトのことがいつの間にか、異性として好きになっていたのだと。
その後のことを彼女は覚えていない。
ただ気づけば、ルナリアはマーロック家に戻って寝込んでいた。その彼女をアヤトが心配して見舞ってくれたことも辛さに拍車をかけた。
優しくしないで欲しかった。いっそこの気持ちを忘れたかった。
だけど――どうしても、忘れることはできなかった。
王都にいればいるほど、周りが息苦しく感じて、そういうときほどアヤトの傍が居心地よかったから。真っ直ぐな彼と一緒にいたいと心の底から思えた。
だから、ルナリアは心に決めた。
(結ばれなくていい。だけど――この人を支える戦友の立ち位置は譲らない)
魔王軍に反転攻勢を成功させたとはいえ、当時、まだ魔王軍との戦いは続いており、勇者の力はまだ前線に必要としていた。
ならば、それを支える者も必要――ルナリアはその立ち位置にいることにした。
無論、それはいつまでも一緒にいられるわけではない。
だが、せめて戦いが終わり、彼が結婚するまでは傍で支え続けよう――。
吹っ切れたルナリアは、アヤトに付き従って前線に戻り、戦い続けた。魔王軍との戦いはブリッツ谷の戦いの後、領地の奪い合いに変わっている。
攻勢と防衛が目まぐるしく入れ替わる苛烈な戦いの中、ルナリアはアヤトと共に戦い続けた。この戦いがいつまでも続いてくれればいい――心のどこかでそう思いながら。
だが、その願いは三年の月日が経ったある日、予期せぬ形で破られた。
『ルナリア様、どうか王都にお戻りくださいませ』
それはマーロック家からの使者だった。
話を聞くと、ルナリアの父は彼女の評判――勇者の右腕として支える戦乙女、という高い評価を聞き、手元に戻すことを決めたのだという。
その魂胆は透けて見えた。自身の権威の強化にルナリアを使い、あわよくば政略の道具としてどこかの家に嫁がせるつもりなのだろうと。
(勝手に離れに押し込め、魔力があると分かれば最前線送りにし、利用価値があれば呼び戻す――勝手極まりない人ですね)
浅ましい父親だと呆れ返りながらも、同時に良い機会だと思えた気がした。
アヤトたちの奮戦は戦況を大いに好転させ、支配地域の奪還を成し遂げていた。今や魔王軍の攻勢は消極的である――ともすれば、アヤトが王都に呼び戻される日も近い。
折しも、あと一年ほどでクラリッサは成人する。
そのタイミングこそ、きっとアヤトは結婚することになる――。
(なら――少し早いけど、もういいかもしれませんね)
葛藤はあった。だが、そろそろ潮時だろう。
ルナリアはそう決断して第七軍から除隊することにした。アヤトもルナリアを惜しんでくれたが、引き留めはしなかった。
『――今までありがとう。ルナがいてくれたおかげで、俺はここまで来れた』
『私も、お役に立てて光栄でした。アヤトさん』
礼を口にするアヤトは寂しそうな表情をしていて、後ろ髪を引かれてしまう。
そんな顔をするなら、引き留めて欲しかった。そう思いながらもルナリアは胸の痛みを押し殺し、微笑んで告げた。
『ありがとう、ございました。アヤトさん――』
――さようなら。私が大好きな人。
そうして、ルナリアは己の恋に別れを告げ、前線から王都へと帰還。
マーロック家の一員として、貴族令嬢として生きていく道を歩み始める。やがて帰ってくるアヤトを出迎え、その結婚を祝福する心構えを作りながら。
あとはアヤトとクラリッサの結婚を見届ければ、己の気持ちも整理がつく――。
そう、思っていたはずなのに。
(まさか、こんなことになるなんて――)
回想から意識を引き戻したルナリアは視線を膝の上のアヤトに向けた。アヤトは穏やかな寝息を立てており、寝顔もまた無防備だ。
それに表情を緩めていると、彼は軽く寝返りを打ち、ルナリアのお腹の方に顔を向ける。寝息がお腹に当たり、少しくすぐったくその感触が愛おしい。
それに表情を緩めていたが、やがて複雑な表情で彼女は吐息をこぼした。
(――にしても、一体何故……)
まさか、アヤトが婚約破棄されるなんて、予想すらしていなかった。
普通に考えれば、あり得ない話なのだ。
何しろ、アヤトは勇者であり、魔王軍と正面切って戦える数少ない軍人の一人なのだ。彼の戦いに救われた人たちは数知れずいる。婚約はその彼が持つ戦力、名声、人望などを繋ぎ止めることができる。
裏を返せば、この婚約破棄はそれらを全て投げ捨てるも同義。その悪手をクラリッサは平然とやってしまった、ということになる。
(これによって、彼が王国から離れてしまう――とは考えなかったのでしょうか)
もし、これで今まで通り、アヤトが王国に尽くすことを考えているならば、クラリッサの頭はお花畑だと断言せざるを得ない。
そして何より、彼の心をひどく傷つけたクラリッサを、ルナリアは許すことができそうになかった。
(とりあえず方針としては――まず情報収集)
これは言うまでもない。婚約破棄の詳細を突き止め、クラリッサが何の目的でこんな凶行に及んだのか――貴族としても確認する必要がある。
(そしてもう一つは、彼のケア)
ルナリアは視線を膝の上で眠るアヤトに向け、そっと頭を撫でた。その表情は今でこそ穏やかだが、今日一日話している間も時折、沈み込んだ顔を見せていた。
アヤトがここまで動揺や戸惑いを見せることはそうそうない。
こんな彼を見るのは三年前、裏切者が軍内から出たとき以来だろうか。それだけクラリッサに婚約破棄されたことが、彼の心を揺さぶっているのだ。
だからこそ、今の彼には傍で誰かが支えることが必要だ。
(――彼をこんなに傷つけるなんて……)
ふつふつと煮えたぎるクラリッサへの怒り。それを深呼吸して鎮めると、視線を再び彼に向けて目を細めた。彼女のお腹に顔を埋めるようにして寝る彼の重みが、呼吸が愛おしい。
小さく吐息をこぼすと、彼女はひっそりと誓うように囁いた。
「安心してください。アヤトさん――私は貴方を決して裏切りません。貴方が望むのならば、全てを差し出します――」
そう告げながらルナリアは微笑み、決意を滲ませた瞳でアヤトを見つめる。その瞳は静かに、だが激しく炎のような光が揺らめいていた。




