第55話
時は、流れた。
陰謀の影が晴れた帝国ガルディアには、穏やかな日々が訪れていた。
毒から解き放たれた皇帝ジークハルトは、本来の聡明さと力を、存分に発揮していた。長く彼を蝕んでいた疑心も、少しずつ和らいでいた。誰も信じられなかった男は、いまや、信頼できる者たちに囲まれている。
そして、その傍らには、いつもローザがいた。
皇妃となったローザは、ただ皇帝の隣に座るだけの存在ではなかった。
彼女は、自らの知識を、国のために役立て始めていた。
「陛下。各地で、流行り病に苦しむ者が増えております。医術の心得のある者を育て、薬草を広める仕組みを、整えてはいかがでしょう」
ある日、ローザは、皇帝にそう進言した。
「お前の、母君のように、か」
皇帝は、微笑んだ。
「よかろう。お前に、任せる」
ローザは、母から受け継いだ知識を礎に、医術と薬草の知見を、国中に広める事業を始めた。
まず、各地に薬草園を設け、誰もが正しい知識を学べる場を作った。次に、医術の心得のある者を育て、貧しい地にも派遣した。ローザ自身も、母の薬草書をもとに、わかりやすい手引きを記した。難しい知識を、誰にでも使える形に。それが、ローザの目指すものだった。
貧しい者も、病に苦しむ者も、等しく手当てを受けられるように。かつて母が、たったひとりで領民のために行っていたことを、ローザは、国家の規模で実現しようとしていた。
家で「らしくない」と疎まれた知識。それが、いまや、多くの民の命を救う、尊い力となっている。
亡き母も、きっと、どこかで見てくれている。ローザは、そう思った。異物として扱われ、孤独だったかもしれない母。その母が遺したものが、いま、何千、何万という人々を救っている。それは、母の生き方が、決して間違いではなかったことの、何よりの証だった。
ローザの事業は、人々に深く感謝された。
民の皇妃として、ローザの名は、慕われていった。冷たく華やかなだけの皇妃ではない。民の痛みに寄り添い、その手で救いをもたらす皇妃。その評判は、帝国の隅々にまで、広がっていった。
皇帝もまた、変わっていった。
かつての、冷酷無比と恐れられた皇帝。その面影は、薄れていた。ローザと共に過ごすうちに、彼の治世には、温かさが加わっていった。
民の声に、耳を傾けるようになった。臣下を、頭ごなしに退けることも、減った。むろん、その聡明さと厳しさは、変わらない。だが、そこに、人を思いやる温もりが加わったことで、皇帝の治世は、いっそう揺るぎないものになっていた。恐れだけでなく、敬愛をもって、人々は皇帝を仰ぐようになっていた。
「お前といると、私は、よりよい皇帝でいられる気がする」
ある夜、皇帝は、ローザにそう言った。
「私ひとりでは、ただ恐れられるだけの、孤独な君主だっただろう。だが、お前が、私に、人の心を思い出させてくれた」
ローザは、微笑んだ。
「私もです、陛下。あなたが、私という人間を、見出してくださった。だから、私は、私らしく在ることができるのです」
二人は、互いを高め合う、よき伴侶となっていた。
偽りから始まった二人は、いまや、帝国に新たな時代をもたらす、確かな存在となっていた。
かつて、それぞれが孤独を抱えていた。誰にも顧みられぬ娘と、誰も信じられぬ皇帝。その二人が出会い、支え合い、いまは共に、国の未来を見つめている。これ以上の巡り合わせが、あるだろうか。
穏やかで、温かな治世が、静かに、続いていた。




