第53話
皇帝の宣言には、続きがあった。
会議のあと、皇帝は、ローザを自らのもとへ呼んだ。
二人だけの、静かな一室。皇帝は、ローザの前に立ち、まっすぐにその瞳を見つめた。
会議での威厳に満ちた姿とは、また違っていた。いまの彼は、皇帝としてではなく、ひとりの男として、ローザと向き合っていた。
「重臣たちの前では、皇妃としての功と人格を語った。だが、お前に、本当に伝えたいことは、別にある」
その声は、これまでになく、やわらかかった。
「ローザ。私は、お前を、姉の代わりとして望むのではない。アーベライン家との縁を結ぶ駒として、でもない」
皇帝は、ローザの手を取った。
「私が望むのは――ローザ、お前自身だ。お前という、一人の女性を。お前の知恵を、優しさを、強さを。そのすべてを」
ローザの胸が、熱くなった。
飾らない、まっすぐな言葉だった。誰も信じられなかった人が、ここまで率直に、想いを口にしている。その変化が、ローザには、何よりも嬉しかった。凍りついていた皇帝の心が、確かに、解けているのだ。
ずっと、ローザは、誰かの代わりだった。家では、華やかな姉の影。宮廷では、その姉の身代わり。自分自身を、誰かに望まれたことなど、一度もなかった。
幼い頃から、それが当たり前だと思っていた。自分は、誰かを引き立てるための存在。表に出ることなく、ただ静かに生きていく。そういうものなのだと。だから、自分の価値を信じることなど、考えたこともなかった。
けれど、いま。
この人は、ローザを、ローザとして望んでいる。誰の代わりでもなく。
「陛下……」
ローザの声が、震えた。
「私は……ずっと、自分には価値などないと、思っておりました。家でも、いないものとして扱われ……。誰の役にも立てない、ただ地味なだけの娘だと」
目に、涙がにじむ。
「けれど……陛下は、私を見てくださいました。私の知識を、私の想いを。私を、私として、必要としてくださった。それが、どれほど嬉しかったか……」
皇帝は、そっと、ローザの涙を拭った。
「お前は、価値などないと言うが、それは違う。お前は、この帝国を救った。私の命を救った。そして――私の、凍りついた心を、溶かしたのだ」
皇帝の瞳に、深い想いが滲んだ。
「ローザ。改めて、問おう」
皇帝は、ローザの手を、両手で包み込んだ。
「身代わりとしてではなく。アーベラインの娘としてでもなく。ただ、ローザという一人の女性として――私の、生涯の伴侶となってくれるか」
それは、求婚だった。
偽りの契約から始まった関係。その契約を、いま、皇帝は、自らの意志で、本物の絆へと結び直そうとしている。
ローザは、涙をこぼしながら、力強くうなずいた。
「はい……喜んで。あなたのお傍に、生涯、おります」
その言葉に、嘘も、偽りも、もう何ひとつなかった。心のすべてを込めた、まっすぐな返事だった。
二人は、固く抱き合った。
誰かの代わりではない。ローザ自身として、愛され、望まれた。長く求め続けた居場所を、ローザは、ようやく手に入れたのだ。
かつて、嵐の夜に、家のために覚悟を決めて踏み出した一歩。その先に待っていたのが、こんなにも温かな結末だとは。あのとき震えていた自分に、教えてやりたかった。恐れず進んだその道は、確かに、幸せへと続いていたのだと。
偽りから始まった物語が、いま、本物の愛として、結実しようとしていた。
窓の外には、晴れ渡った青空が広がっていた。あの輿入れの夜の嵐は、もう、どこにもなかった。長い試練を越えた二人を祝福するように、穏やかな光が、部屋いっぱいに差し込んでいた。




