第52話
皇帝は、重臣たちを前に、静かに語り始めた。
「身代わりの婚姻が、正当か否か。皆が、それを問うているのは承知している」
その声は、落ち着いていた。だが、有無を言わせぬ威厳が、こもっていた。
「では、問おう。皇妃にふさわしい者とは、何だ。家柄か。血筋か。形式の正しさか」
重臣たちは、息を呑んで聞き入った。
誰も、すぐには答えられなかった。皇帝の問いは、宮廷に長く根づいてきた、当たり前の価値観そのものを、揺さぶるものだったからだ。家柄や血筋。それを尊ぶことに、誰も疑いを抱いてこなかった。
「私は、長きにわたり、毒に蝕まれていた。誰も、それに気づかなかった。気づいても、何もできなかった。この宮廷で、私を救えた者は、ただ一人――この者だけだ」
皇帝の視線が、扉の向こう、ローザのいる別室へと向けられた。
「この者は、毒を見抜き、密かに解毒を続けた。皇太后の罠を、知恵で切り抜けた。隣国の陰謀を暴き、自らの身を削って、私の命を繋いだ。それも、見返りを求めることなく」
皇帝の言葉に、力がこもっていく。
その一つひとつが、紛れもない事実だった。居並ぶ重臣の中にも、ローザの働きを、間近で見てきた者がいる。誰も、その功績を、否定することはできなかった。
「形式上、この者は身代わりだ。それは認めよう。だが――功においても、心においても、これほど皇妃にふさわしい者が、ほかにいるか」
会議の場が、静まり返った。
誰も、反論できなかった。皇帝の言葉は、揺るぎない事実に裏打ちされていた。
「ゆえに、私は、ここに宣言する」
皇帝は、一同を見渡し、はっきりと告げた。
「ローザ・フォン・アーベラインを、正式に、我が皇妃とする。身代わりとしてではない。彼女自身の、功と人格をもって。これは、私の、確たる意志だ」
その宣言は、会議の場に、深く響き渡った。
それは、ただ一人の女性の地位を定める言葉ではなかった。何を尊び、誰を重んじるか。皇帝自身の、揺るぎない価値観の表明でもあった。家柄でも血筋でもなく、その者が何を成したか。皇帝は、それをこそ尊ぶと、はっきりと示したのだ。
形式の問題は、皇帝の決断によって、乗り越えられた。身代わりという出発点ではなく、ローザ自身の価値によって、その地位は、正式に認められたのだ。
重臣たちは、深く頭を垂れた。
もはや、異を唱える者はいなかった。レオンが擁護し、多くの者が功績を認め、そして皇帝自らが、確たる意志を示した。すべてが、ローザを、正式な皇妃として迎えることに、傾いていた。
別室で、その報せを聞いたローザは――言葉を、失った。
身代わりであった自分が、皇帝自身の意志によって、正式な皇妃として認められた。偽りで始まった立場が、ついに、本物として、公に認められたのだ。
信じられなかった。家の片隅で、空気のように扱われてきた自分。誰にも顧みられず、ただ黙々と薬草をすり潰していた、あの娘が。その自分が、いま、一国の皇妃として、皇帝自らの言葉で、認められている。夢を見ているような心地だった。
ローザの目に、熱いものが込み上げた。
長く、自分を縛り続けていた負い目。その鎖が、いま、音を立てて、解けていく。
偽りの花嫁として、恐怖の中で輿入れした、あの嵐の夜。それからの、長い長い日々。すべてが、この一瞬のために、あったのかもしれない。ローザは、込み上げる涙を、抑えきれなかった。
だが――皇帝の宣言は、まだ、終わってはいなかった。




