第47話
その報せは、夜半に届いた。
「皇妃様! 届きました! ヴィオレッタ様が、生薬を……!」
ハンナが、息を切らして駆け込んできた。その手には、小さな包みが握られている。
ローザは、震える手で、それを受け取った。
包みを開く。中には、乾いた、小さな種子が入っていた。ローザは、母の薬草書の記述と、慎重に照らし合わせた。
種子の形、色、かすかな香り。
間違いない。これこそ、解毒の鍵となる、あの希少な生薬だった。
「お姉様が……」
ローザの目に、涙がにじんだ。
姉が、命がけで届けてくれた現物。それは、囚われの過去を持つ姉だからこそ、繋げた糸だった。罪を償おうとする姉の想いが、いま、ぎりぎりのところで、間に合ったのだ。
ローザは、心の中で、姉に深く感謝した。かつては遠い存在だった姉。けれど、いまは確かに、同じ想いで繋がっている。姉もまた、この生薬に、自らの贖罪と再生を、託したのだろう。
ローザは、すぐさま調合に取りかかった。
母の遺した処方――何を、どう作るかを知る、唯一の鍵。姉が命がけで届けた、現物の生薬――贖罪の証。そして、ローザ自身の、延命の処置と調合の腕。
この三つが、噛み合って、はじめて解毒薬は完成する。誰か一人でも欠けていたら、決して成し得なかった。母も、姉も、ローザも。それぞれの役割が、ここでひとつに結ばれた。
亡き母が遺した知識。罪を償おうとした姉の現物。そして、寝ずに命を繋いだローザの腕。三人の想いが、時を越え、立場を越えて、ひとつの解毒薬へと結晶していく。それは、ローザにとって、何より尊いものに思えた。家族の絆が、こんな形で、ひとつになるとは。
ローザは、徹夜で調合を続けた。
乳鉢で種子をすり潰し、ほかの材料と、正確な配分で組み合わせる。母の処方を、一字一句、違えぬように。やつれた身体に鞭打ち、ローザは、全神経を注いだ。
わずかな配分の狂いも、許されなかった。多すぎても、少なすぎても、薬は毒に変わる。指先の感覚だけが頼りだった。長年、薬草をすり潰してきたその手が――かつて令嬢らしからぬと蔑まれた、まめのあるその手が――いま、確かな仕事をしていた。
やがて、解毒薬が、完成した。
ローザは、それを、慎重に皇帝の口へと含ませた。
あとは――皇帝自身の、生きる力に、託すしかなかった。
ローザは、皇帝の枕元で、看病を続けた。
脈を診て、呼吸を確かめ、わずかな変化も見逃さない。解毒薬が、毒を中和し始めているか。皇帝の身体が、それに応えてくれるか。固唾を呑んで、見守り続けた。
皇帝は、生死の境を、彷徨っていた。
時に、呼吸が乱れ、ローザの心臓を凍らせる。時に、わずかに落ち着き、希望をもたらす。その繰り返しの中で、長い、長い夜が、過ぎていった。
ローザは、一睡もせず、その傍らに座り続けた。疲労は、もはや限界を超えていた。それでも、まぶたを閉じることはできなかった。この人が、生きるか死ぬか。その分かれ目を、自分の目で見届けねばならない。祈ることしか、できることはなかった。けれど、その祈りを、ローザは決してやめなかった。
窓の外が、白み始めた頃。
ローザは、皇帝の手を、握りしめていた。
どうか。どうか、目を覚まして。
祈りを込めて、その手に、自分の額を寄せる。
その時だった。
握りしめた、皇帝の指が――かすかに、動いた。
ローザは、はっと顔を上げた。
見間違いだろうか。けれど、確かに、動いた。あれほど冷たく、力を失っていた指が。ローザの胸に、震えるような希望が、込み上げた。
夜明けの光が、静かに、二人を照らし始めていた。




