第46話
ルートAが、断たれた。
嵐に阻まれ、レオンの早馬は、立ち往生している。実家の遺品にかけた望みは、無情にも閉ざされた。
だが、ローザは諦めなかった。
残された望みは、姉に託したルートBだけ。それが届くまで、何としても、皇帝の命を繋がねばならない。延命の処置で稼げる時間は、もう、ほとんど残されていなかった。
皇帝の容態は、刻一刻と、悪化していた。
呼吸が、再び浅くなる。脈が、危うく乱れる。これまでの延命処置だけでは、もう、抑えきれない。毒が、再び勢いを増し、命を呑み込もうとしている。
眠る皇帝の顔は、蝋のように白かった。あの、刺すように鋭かった眼差しも、いまは固く閉ざされている。このまま、二度と開かないのではないか。そんな恐怖が、ローザの胸を締めつけた。
「陛下……!」
ローザは、決断を迫られた。
通常の処置では、間に合わない。ならば――より踏み込んだ、危険な手を打つしかない。
ローザは、母の薬草書を、再び開いた。そこには、最後の手段ともいうべき、危険な延命の処方が記されていた。効きは強い。だが、用いる者の見立てを誤れば、患者を死なせかねない、諸刃の剣。
母も、よほどの覚悟をもって、この処方を書き記したのだろう。頁の隅には、用いる際の戒めが、念を押すように添えられていた。これは、最後の最後、ほかに手がないときにのみ用いよ、と。いまが、まさにそのときだった。
しかも、その処方は――施す者にも、相応の負担を強いるものだった。
眠らず、食わず、全神経を注いで、つきっきりで毒の巡りを抑え続ける。自らの身を削るような、過酷な処置。
ローザは、迷わなかった。
「やります」
ローザは、自らの代償を厭わず、その賭けに出た。
昼も夜も、ローザは皇帝の傍を離れなかった。わずかな容態の変化も見逃さず、その都度、処置を施す。自分の睡眠も、食事も、すべてを後回しにして。ローザの頬は、みるみるやつれていった。
幾度となく、意識が遠のきかけた。立っているのも、やっとだった。それでも、ローザは気力だけで、自らを奮い立たせた。ここで自分が倒れれば、皇帝の命を繋ぐ者は、誰もいなくなる。だから、倒れるわけにはいかなかった。
それでも、ローザの手は、止まらなかった。
愛する人の命を、その身を削ってでも、繋ぎ続ける。ローザの一念が、消えかけた皇帝の命の火を、かろうじて、保ち続けていた。
その頃――。
囚われの過去を持つ姉ヴィオレッタは、自らの罪を償おうと、必死に動いていた。
囚われの間に通じた、密輸の筋。後ろ暗いその伝手を、姉は再び頼った。皇帝を狙う陰謀に、自分も加担してしまった。その償いとして、せめて、解毒の生薬を手に入れる。それが、姉にできる、たったひとつのことだった。
危険な相手だった。一歩間違えれば、また囚われの身になりかねない。それでも、姉は怯まなかった。妹のため、そして、自分の罪を雪ぐため。かつて、ただ流されるだけだった姉が、いまは自らの意志で、危険な橋を渡ろうとしていた。
「どうか、間に合って……」
姉は、祈るように、生薬の手配に奔走した。
ルートBが、動き始める。
だが――その報せが宮廷に届く頃には、ローザの延命処置も、いよいよ限界に近づいていた。
ローザの身体も、皇帝の命も、もはや、ぎりぎりの淵に立たされていた。
二つの命が、一本の細い糸で、辛うじて繋がれている。その糸が、いつ切れてもおかしくない。それでも、ローザは、握った手を離さなかった。最後の最後まで、諦めはしないと、固く心に決めて。




