第44話
ローザは、夢中で薬草書の頁を繰った。
古びた紙の、一枚一枚。母の几帳面な筆跡が、びっしりと並んでいる。異国の言葉も交じる、膨大な知識の集積。その中から、ローザは、求める一節を探した。
そして――見つけた。
頁の一角に、その薬草の処方が、確かに記されていた。
母が、異国で学んだという、希少な解毒の処方。それは、まさに、皇帝を蝕む異国の毒に対する、解毒法そのものだった。母は、この毒の存在を知り、その解き方までも、書き残していたのだ。
なぜ母が、こんな危険な毒の解毒法を知っていたのか。それは、もう確かめようがない。異国を巡る中で、出会った知識だったのだろう。けれど、その偶然が、いま、何十年もの時を超えて、娘の手に、希望をもたらそうとしている。運命の糸の、不思議な巡り合わせだった。
ローザの手が、震えた。
処方の傍らには、同定のための、押し花の標本が、丁寧に挟まれていた。乾いた、小さな葉と花。それが、解毒に必要な、あの希少な薬草の姿だった。色あせてはいたが、葉の形も、花の作りも、はっきりと見て取れる。これさえあれば、本物かどうかの見分けがつく。
「これだ……。これさえ、あれば……」
ローザは、その処方を、食い入るように読んだ。
必要なのは、その薬草の――乾燥させた、種子。それを、ほかの材料と組み合わせることで、はじめて、毒を根本から中和する解毒薬が完成する。
母の遺した処方こそが、解毒が存在するという事実と、その作り方を知る、唯一の鍵だったのだ。
ローザの目に、涙がにじんだ。
家の中で、ずっと「らしくない」と疎まれてきた、母の知識。ローザが家で居場所を失った、その一因でもあったもの。けれど――その母譲りの「らしくなさ」こそが、いま、皇帝の命を救う、たったひとつの希望になっている。
「お母様……ありがとう、ございます」
ローザは、薬草書を、そっと胸に抱いた。
だが、喜びも束の間だった。
処方は、分かった。必要な生薬も、特定できた。だが――肝心の、その現物が、ローザの手元には、ないのだ。
乾燥した種子。それが、どこかになければ、処方を知っていても、解毒薬は作れない。
ローザは、必死に考えた。
どこに、ある。この希少な種子が、手に入る場所は。
細い望みは、二つだけだった。
ひとつは――実家、アーベライン家。母の遺品が、まだ屋敷に残されているかもしれない。異国を巡った母なら、その種子を、形見の中に遺していた可能性がある。母は、珍しい種子を、よく大切に保管していた。あの遺品の箱の中に、もしかしたら。
もうひとつは――異国の、伝手。隣国でしか採れぬものなら、その筋に通じた者を頼るしかない。だが、ローザに、そんな伝手はない。あるとすれば――。
ローザの脳裏に、ふと、姉の言葉がよぎった。囚われの間に、密輸の筋に通じる者と接点を持った、という、あの話。だが、いまはまだ、その糸の意味に、はっきりとは気づいていなかった。
どちらも、確かな保証はない。そして、時間は、刻一刻と過ぎていく。
ローザは、眠る皇帝の顔を見つめた。
延命の処置で、稼げる時間は、あとわずか。その間に、遠い実家から、あるいは異国の筋から、現物を取り寄せねばならない。
あまりに、時間が足りなかった。
それでも――ローザの目には、もう、諦めの色はなかった。
道は、見えた。細く、頼りない道だが、確かにある。あとは、その道を、全力で駆け抜けるだけだ。ローザは、薬草書を握りしめ、立ち上がった。仲間たちを呼び、それぞれの役を割り振らねばならない。一刻の猶予も、なかった。




