第43話
ローザは、延命の処置を、絶やさず続けていた。
手持ちの薬草を駆使し、毒の進行を、幾重にも遅らせる。皇帝の命は、かろうじて繋がれていた。だが、それも、長くはもたない。完全な解毒なしには、いずれ限界が来る。
砂時計の砂が、刻一刻と落ちていく。そんな焦りが、絶えずローザを追い立てていた。延命はあくまで時間稼ぎ。根本の毒を断たねば、いずれ皇帝は力尽きる。
ローザは、必要な材料を、改めて整理した。
異国の毒を中和するには、いくつもの材料が要る。そのほとんどは、近縁の薬草で代替がきいた。レオンとハンナが集めてきたもの、ローザが手持ちで補えるもの。ひとつ、またひとつと、材料は揃っていった。
ローザは、ひとつずつ、丹念に確かめていった。これは、毒の作用を打ち消す。これは、弱った身体を支える。これは、ほかの薬草の効きを助ける。母の薬草書の知識を頼りに、複雑な解毒薬の設計図が、少しずつ、形を成していく。
だが――。
どうしても、足りないものが、ひとつだけあった。
要となる、最後の一種。隣国産の、希少な生薬。
それは、ほかのどんな薬草でも、代用が利かなかった。毒を根本から中和する、その核心となる成分。それを含むのは、あの希少な薬草だけ。ほかには、何もないのだ。
「これさえ、あれば……!」
ローザは、揃った材料を前に、唇を噛んだ。
九分九厘まで、解毒薬は完成に近づいている。だが、最後のひとつが欠けては、すべては無に帰す。料理に喩えるなら、ほぼ整った皿に、決して欠かせぬ一品だけが、ない。そんな状態だった。
残酷なことだった。あと一歩。本当に、あと一歩のところまで来ているのに。その一歩が、どうしても越えられない。ローザは、揃った材料の山を見つめ、絶望に呑まれそうになった。
ローザは、その薬草の名を、頭の中で反芻した。
隣国でしか採れぬ、希少な生薬。市中には、ない。商人の手にも、ない。レオンが、隈なく探しても、見つからなかった。
ならば、どこに。
ローザは、必死に記憶をたどった。
いつか、どこかで、この薬草のことを目にしたような――そんな、おぼろげな感覚があった。確かに、知っている。この名を、この姿を。どこかで。
市中で見たのではない。誰かに聞いたのでもない。もっと、身近なところで。ローザの記憶の奥底で、何かが、かすかに光っていた。それを手繰り寄せようと、ローザは意識を集中させた。
ローザは、目を閉じた。
脳裏に、ひとつの光景が、よみがえる。古びた書物の頁。そこに、丁寧に書き込まれた、薬草の処方。そして、挟まれた、押し花の標本――。
ローザの目が、はっと見開かれた。
「……お母様の、薬草書」
その言葉が、口をついて出た。
母の形見。肌身離さず持ち歩いてきた、あの古びた薬草書。異国を巡った母が、その知識のすべてを書き記した書。
もしや、あの中に。
ローザの胸が、激しく高鳴った。
母は、異国で、希少な処方を学んでいた。ならば――この、最後のひとつについても、記しているのではないか。
ローザは、震える手で、傍らに置いていた薬草書を、取り上げた。
長く、家で疎まれる一因となった、母譲りの知識。その形見が、いま、皇帝の命を救う、最後の鍵になるかもしれない。
らしくない、と蔑まれた母。その母が遺したものが、ここへ来て、何よりの希望になろうとしている。ローザの胸に、母への、言いようのない感謝が込み上げた。
ローザは、祈るような思いで、その頁を、繰り始めた。




