第40話
追い詰められたアマーリエは、もはや取り繕おうとはしなかった。
逆転した形勢。剥がれ落ちた仮面。だが、この女は、敗北を認めるどころか、不気味なほど落ち着いていた。まるで、最後の切り札を、まだ握っているかのように。
優美な仮面をかなぐり捨て、その顔に浮かんだのは、底知れぬ憎悪だった。
「……ええ、そうよ。すべて、私がやったこと」
低い声が、静まり返った広間に響いた。
「この国は、本来、私が動かすべきだったの。先帝亡きあと、若く愚かな皇帝などに、何ができるというの。私が摂政として、実権を握る。それが、正しい姿だったのよ」
アマーリエの目が、ぎらりと光った。
「だから、緩やかな毒で、この子を弱らせた。生かしたまま、操り人形にするために。隣国の力を借りてでも、私はこの国を、手中に収めるはずだった」
貴族たちは、言葉を失っていた。先帝の后が、これほどの野心を抱いていたとは。
「だけど――」
アマーリエの視線が、ローザへと向いた。憎しみのこもった、刃のような目で。
「お前が、現れた。毒を解き、私の計画を、ことごとく狂わせた。生かして操る、という目論見は、もう成り立たない」
ローザは、背筋に冷たいものを感じた。
あの、毒の変質。新たに盛られていた、より強い毒。その意味が、いま、最悪の形で明らかになろうとしていた。
ローザの解毒が、皇太后の計画を崩した。生かして操ることが叶わぬと悟ったとき、この女は、戦略そのものを捨てたのだ。緩やかに弱らせる、という当初の方針を投げ捨て、ただ皇帝を亡き者にする方へと、舵を切っていた。だからこそ、毒の盛られ方が、ここ最近で変質していたのだ。
「ならば――」
アマーリエの口元が、酷薄に歪んだ。
「生きた傀儡が無理なら、いっそ、道連れにするまで。世継ぎなき玉座が空けば、混乱に乗じて、私の残党や隣国が、つけ入る隙はいくらでもある」
それは、もはや権力欲ですらなかった。自らの計画が潰えたなら、いっそすべてを道連れに崩してしまえという、純然たる破壊への衝動。追い詰められた者の、最も恐ろしい姿だった。
その言葉に、ローザの全身が凍りついた。
「あなた……まさか、もう……!」
「ええ。この大夜会こそ、総仕上げ。お前が掴んだ経路とは、別の手で。とうに、致死量を、盛り終えているわ」
アマーリエが、勝ち誇ったように告げた、その瞬間。
「――陛下!」
ローザの叫びと、ほぼ同時だった。
隣に立っていた皇帝が、突然、胸を押さえた。
顔が、見る間に青ざめていく。額に、脂汗が噴き出す。そして――その長身が、ぐらりと傾いだ。
「陛下――!!」
ローザは、崩れ落ちる皇帝を、必死に抱きとめた。
皇帝の身体は、火のように熱く、そして、激しく痙攣していた。呼吸が、浅く、速い。明らかに、ただ事ではなかった。これまで見てきた、緩やかな毒の発作とは、まるで違う。一気に致死量へと達した、急性の中毒の症状だった。
広間が、騒然となる。貴族たちの悲鳴。入り乱れる足音。
アマーリエは、その混乱の中で、なおも嗤っていた。
「もう、手遅れよ。誰にも、止められはしない」
ローザの腕の中で、皇帝の意識が、急速に遠のいていく。
愛する人が、いま、目の前で、命を奪われようとしている。ようやく本物の絆を結んだばかりの、その人が。ローザの頭の中が、真っ白になりかけた。
だが――ここで取り乱せば、皇帝を失う。ローザは、込み上げる絶望を、必死に押し殺した。いまこそ、母から受け継いだすべてを、注ぐときだった。
「陛下! しっかりなさってください! 陛下――!!」
ローザの悲鳴が、絢爛たる広間に、悲痛に響き渡った。




