第38話
大夜会の朝が、明けようとしていた。
ローザたちは、最後の準備に追われた。姉ヴィオレッタは、皇帝の手の者によって、安全な場所に保護された。大夜会で証言するそのときまで、決して敵に気取られぬよう、厳重に匿われた。
集めた証拠は、一つひとつ確認された。
押収した異国の毒。使節ユリウスの出入りの記録。皇太后と隣国を結ぶ書状の写し。そして何より、姉の生きた証言。これらを、いつ、どの順で突きつけるか。皇帝とローザは、入念に段取りを練った。
ひとつでも順序を誤れば、すべてが水の泡になる。先に手の内を見せれば、皇太后に逃げ道を与えてしまう。逆に、証拠を出す機を逸すれば、ローザの正体だけが暴かれて終わる。綱渡りのような計画を、二人は何度も確かめ合った。
「焦るな」
皇帝が、ローザに言った。
「皇太后は、必ず先に仕掛けてくる。お前の正体を、衆目の前で暴こうとするだろう。だが、それでいい。相手が攻めてきたところを、こちらが受けて、逆に叩く」
ローザは、うなずいた。
「私が身代わりであることを、まずは認めます。そのうえで、姉の証言と物証を突きつけ、本当の罪人が誰なのかを、明らかにするのですね」
「そのとおりだ」
二人の呼吸は、完璧に合っていた。
レオンも、近衛騎士たちを配し、不測の事態に備えた。ハンナは、姉の身の回りの世話をしながら、最後まで味方として支え続けた。
ローザ、皇帝、レオン、ハンナ、そしてヴィオレッタ。五人の結束は、固かった。かつて、孤独に戦っていたローザの周りに、いつしか、これほどの仲間が集まっていた。
身代わりとして、たったひとり、この宮廷に来たときのことを思えば、夢のようだった。誰も信じられず、味方もいなかった日々。それが、いまは違う。互いを信じ、同じ目的のために命を懸けられる仲間が、すぐ傍にいる。
「皆さん、ありがとうございます」
ローザは、深く頭を下げた。
「私ひとりでは、ここまで来られませんでした。今夜、必ず、陰謀を打ち砕いてみせます」
仲間たちの顔に、力強い決意が浮かんだ。
だが――その準備の最中、ローザは、皇帝のある異変に気づいていた。
皇帝の顔色が、優れないのだ。
解毒は進んでいたはずだった。だが、ここ数日、わずかに揺り戻しのような兆候が見える。発作の頻度が、再び増えつつあった。
ローザの胸に、先日気づいた、あの毒の変質が重くのしかかった。
別経路で、新たな毒が、盛られている。これまでの緩やかなものとは違う、より危険なものが。
解毒の手は尽くしているはずだった。だが、敵がローザの知らぬ経路で毒を重ねているのなら、ローザの処置では追いつかない。見えない敵と競うような、もどかしさがあった。
ローザは、皇帝に、それとなく薬を増やした。だが、不安は拭えなかった。
「陛下。今夜は、くれぐれもご無理をなさらず」
ローザが、心配げに言うと、皇帝は微かに笑った。
「案ずるな。今夜を乗り切れば、すべてが終わる」
その言葉とは裏腹に、ローザの胸騒ぎは、収まらなかった。
日が暮れ、宮廷に、きらびやかな灯りが灯り始めた。
貴族たちが、続々と参集してくる。華やかな衣装、磨かれた宝飾。表向きは、平穏な宴。だがその裏で、運命を懸けた戦いが、まさに始まろうとしていた。
ローザは、皇妃の正装に身を包み、鏡の前に立った。映る自分の顔は、青ざめていた。けれど、その瞳には、確かな覚悟が宿っていた。
運命の大夜会の幕が、いよいよ、上がろうとしていた。




