第36話
姉ヴィオレッタは、ぽつりぽつりと、真相を語り始めた。
「あの男は……ユリウスと名乗ったわ」
苦しげな声だった。
「輿入れの話が決まった頃、突然、私の前に現れたの。優しくて、博識で……私は、すっかり、心を奪われてしまった。けれど、それは、すべて仕組まれたことだったのよ」
ローザは、息を呑んだ。ユリウス。その名を、しっかりと胸に刻む。
「ユリウスは、隣国の密偵だった。私を誘惑して、輿入れの直前に連れ出し、縁談を壊すために近づいてきたの。皇帝陛下を、孤立させるために」
姉の声が、震えた。
「気づいたときには、もう遅かった。私は、囚われの身。逃げることも、助けを呼ぶこともできなかった。あなたに手紙を書くのが、精一杯だったの」
姉は、ふと、声を落とした。
「ただ……囚われている間に、ひとつだけ、知り得たことがあるの。ユリウスは、異国から、さまざまな品を密かに運び込んでいる。その裏の筋に通じた者と、私は、ひそかに言葉を交わす機会があったわ。あの男たちは、金さえ積めば、どんな珍しい品でも、国境を越えて運んでくる」
ローザは、その言葉を、心の片隅に留めた。いまは意味の分からぬその情報が、のちに大きな意味を持つことを、このときはまだ知らなかった。
ローザは、姉の手を、強く握りしめた。
姉は、恋に溺れて家を捨てたのではない。巧妙に誘惑され、利用され、囚われたのだ。皇帝を狙う、大きな陰謀の、最初の駒として。
「ユリウスは、ほかにも、恐ろしいことを企んでいるわ」
姉は、声を潜めた。
「この国の、皇太后様と通じているの。皇帝陛下に盛る毒を、異国から手配し、皇太后様に渡している。すべては、ユリウスが、糸を引いているのよ」
ローザの中で、すべての糸が、一本に結ばれた。
姉の失踪も。皇帝への毒も。茶会の異国の薬草も。刺客の紋章も。そして、皇太后が握った身代わりの証拠さえも。すべては、ユリウスという、ひとりの密偵に、つながっていた。
彼こそが、この陰謀の、黒幕だったのだ。
顔も知らぬ、その男。姉を陥れ、皇帝を蝕み、皇太后を操り、この国そのものを内側から崩そうとしている。すべての悪意の源が、いま、ひとつの名を持った。ユリウス。その正体を掴んだことは、大きな前進だった。
「お姉様」
ローザは、まっすぐに姉を見つめた。
「明日、宮廷で大夜会が開かれます。そこで、皇太后様が、私の正体を暴こうとしています。けれど、私たちは、それを逆手に取り、陰謀を暴くつもりです」
ローザは、声に力を込めた。
「そのためには、お姉様の証言が、必要なのです。ユリウスのこと、皇太后様とのつながり、毒のこと。すべてを、貴族たちの前で、語っていただけませんか」
姉の顔が、こわばった。
証言すれば、ユリウスや皇太后の敵に回ることになる。命を、狙われるかもしれない。
長い沈黙のあと、姉は、ゆっくりと顔を上げた。その目には、決意が宿っていた。
「……証言するわ」
姉は、はっきりと言った。
「私のせいで、あなたや陛下を、危険にさらしてしまった。せめて、その償いをさせて。たとえ、命を狙われることになっても」
ローザの目に、涙がにじんだ。
囚われ、利用され続けた姉が、いま、自らの意志で、立ち上がろうとしている。かつての、ただ美しいだけの姉ではない。苦難を経て、覚悟を知った、ひとりの女性がそこにいた。
姉妹の心が、ひとつになった瞬間だった。
ローザは、姉を安全な場所へと移すよう手配し、明日の段取りを確かめた。
決戦の夜は、もう、目の前に迫っていた。




