第29話
使節の存在は、新たな疑問を生んだ。
なぜ、皇太后は、隣国の使節と密かに通じているのか。そもそも、皇太后の真の狙いは、何なのか。
ローザと皇帝は、これまでの情報を、改めて検討した。
「分からぬのは、皇太后の目的だ」
皇帝が、思案げに言った。
「私を、ただ殺したいのであれば、もっと早く、確実な手を打てたはずだ。だが、毒は緩やかで、長きにわたっている。まるで、私を、すぐには死なせたくないかのように」
ローザは、はっとした。
その違和感は、ローザもずっと感じていたものだった。緩やかな毒。なぜ、一気に殺さないのか。
「陛下。もしや……皇太后様の狙いは、陛下を殺すことではなく――」
ローザは、ひとつの考えにたどり着いた。
「生きたまま、無力化することではないでしょうか」
皇帝の目が、鋭くなった。
「続けよ」
「緩やかな毒で、陛下のお身体を弱らせる。政務もままならぬほどに。けれど、死なせはしない。そうすれば――」
ローザは、声を落とした。
「弱った陛下を傀儡として、皇太后様ご自身が、摂政として実権を握ることができます。表向きは陛下を支える忠臣を装いながら、その実、すべての権力を、ご自分の手に」
言いながら、ローザは、皇太后のあの微笑みを思い出していた。穏やかで、気品にあふれ、誰からも敬われる先帝の后。その仮面の下に、これほどの野心が隠されていたとは。
皇帝は、しばし沈黙した。
そして、低く言った。
「筋が、通る」
彼の表情に、苦いものが浮かんだ。
「私が死ねば、世継ぎのない玉座は、継承の混乱を招く。それは、皇太后にとっても、望むところではない。混乱に乗じて、別の者が台頭するかもしれぬからな。ならば――私を生かしたまま、操る。それが、最も確実に権を握る道だ」
「そして」
ローザは、続けた。
「その見返りに、隣国へ便宜を図る。隣国は、皇太后様を通じて、この国に影響を及ぼせる。両者の利害が、一致しているのです」
すべてが、つながった。
皇太后の野心。隣国の思惑。緩やかな毒の意味。それらが、ひとつの絵図として、像を結んだ瞬間だった。
長く謎だった、緩やかな毒の理由。それは、殺意の薄さゆえではなく、むしろ計算され尽くした非情さの表れだった。一思いに殺すよりも、生かして操るほうが、ずっと残酷で、ずっと狡猾なのだ。
ローザは、背筋に冷たいものを感じた。
なんという、底冷えのする企てだろう。皇帝の命を、ぎりぎりのところで弄び、生かさず殺さず、ただ権力の道具として利用する。微笑みの裏で、それほどの非情を企てる皇太后。
「だが、皮肉なものだ」
皇帝が、ふと、ローザを見た。
「お前が現れ、毒を解き始めた。皇太后の計画は、いまや狂い始めている。私の身体は、傀儡となるどころか、回復に向かっているのだからな」
その言葉に、ローザは、ある不安を覚えた。
計画が狂い始めれば、皇太后は、次にどう動くのか。生かして操るという目論見が崩れたとき、あの非情な女は――。
その不吉な予感が、形を成す前に。
ローザのもとに、一通の使いが届いた。
差出人は、皇太后アマーリエ。ローザを名指しで、呼び出す報せだった。
なぜ、いま。ローザの胸が、不穏に騒いだ。茶会のときとは違う、ただならぬ気配が、その短い報せからは漂っていた。まるで、こちらの動きを見透かしているかのように。
ローザは、報せを握りしめ、覚悟を決めた。逃げることは、できない。ならば、相手の出方を、この目で確かめるまでだ。
よく効く薬草ほど、険しい崖に咲くもの。母の薬草書の余白に、母が書き残していた異国の言葉が、ふと脳裏をよぎった。




