第24話
その日から、ローザの心は晴れなかった。
実家に危険が迫っている。それを知りながら、遠い帝都にいる自分には、なすすべがない。公務の合間にも、ふと、辺境の屋敷のことが頭をよぎった。
守りたいと願った人々。自分を顧みなかった家ではあったが、そこには罪のない使用人たちがいる。彼らに、災いが及ぶのではないか。その不安が、ローザの胸を、絶えず締めつけていた。
幼い頃から世話をしてくれた老いた家令。台所でこっそり菓子を分けてくれた女中。家族には疎まれていても、彼らだけは、ローザに優しかった。その人々の顔が、次々と浮かんでは、ローザの胸を痛めた。
ハンナも、ローザの沈んだ様子に気づいていた。
「皇妃様……。何か、お悩みごとでも?」
心配そうに尋ねるハンナに、ローザは力なく微笑んだ。
「いいえ。少し、考えごとをしていただけよ」
本当のことは、言えなかった。言ったところで、ハンナを心配させるだけだ。ローザは、ひとり、不安を抱え込んでいた。
数日が、過ぎた。
ある日、ローザは皇帝に呼ばれた。
何の用かと訝りながら私室を訪れると、皇帝はいつもの落ち着いた様子で、ローザを迎えた。
「お前の実家のことだが」
唐突に、皇帝は切り出した。ローザの心臓が、跳ねる。
「手を、打っておいた」
「……手を、と申しますと?」
「アーベライン家の周辺に、私の手の者を配した。表向きは、辺境視察の名目でな。不審な動きがあれば、すぐに対処できるようにしてある」
ローザは、目を見開いた。
「それと、領地の防備を固めるよう、辺境伯にも内々に伝えた。お前の家が、揺さぶられることは、当面あるまい」
思いがけぬ言葉だった。
ローザは、言葉を失った。皇帝が、自分の実家のために、そこまで手を回してくれていたとは。
「な、なぜ、そこまで……」
ローザが、掠れた声で問うと、皇帝はわずかに視線をそらした。
冷たい皇帝の、ほんのかすかな、ばつの悪そうな表情。それは、これまで見たことのないものだった。威厳に満ちた皇帝が、まるで子供のように、目を合わせられずにいる。その姿が、なぜか愛おしく思えた。
「お前が……気に病んでいるようだったからな」
ぶっきらぼうに、皇帝は言った。
「お前は、薬を調合するとき、いつも静かに集中している。だが、ここ数日は、その手が止まりがちだった。家のことを、案じているのだろうと、見当はついた」
ローザの胸が、熱くなった。
この人は、見ていてくれた。口には出さずとも、自分の沈んだ様子を、ちゃんと気にかけてくれていたのだ。
「……ありがとう、ございます」
ローザの声が、震えた。
「気に病むな」
皇帝は、ぶっきらぼうに、けれど確かな声で言った。
「お前の家は、私が守る。お前は、安心して、私の傍にいればいい」
それは、命令のような、けれど何より優しい言葉だった。
不器用な優しさ。誰にも心を許せずに生きてきた人が、それでも、ローザのために差し出してくれた、ぎこちない思いやり。
ローザは、その優しさに、胸を打たれた。
偽りから始まった関係。けれど、いつしか二人の間には、確かな何かが、静かに育ち始めていた。
それが何なのか、ローザにはまだ、言葉にできなかった。ただ、この人の傍にいると、ひとりではないと思える。長く孤独だった二人が、互いの孤独を、少しずつ埋め合っている。そんな気がするのだった。
窓の外には、茜色に染まる、穏やかな夕暮れの空が広がっていた。先ほどまでの不安が、嘘のように和らいでいた。




