第23話
皇帝の調査は、迅速だった。
誰も信じられぬからこそ、皇帝は独自の情報網を築いてきた。宮廷の隅々まで目を光らせる、彼だけの密偵たち。その網が、いまローザの姉のために動いていた。
数日のうちに、皇帝の密偵たちが、姉ヴィオレッタの失踪についての断片を集めてきた。その報告を、皇帝はローザと共に聞いた。
「妙な点が、いくつもある」
報告書に目を通しながら、皇帝は言った。
「お前の姉は、婚礼の直前に姿を消した。表向きは、駆け落ちとされている。だが、その相手の男の足取りが、まるで掴めぬ。まるで、最初から存在しなかったかのように」
ローザは、息を呑んだ。
「それだけではない。男が姉に近づいたのは、輿入れの話が持ち上がった、ちょうどその頃だ。あまりに、間が良すぎる」
皇帝の指が、報告書の一点を叩いた。
「狙って、近づいたのだ。お前の姉に。輿入れを、ぶち壊すために」
ローザの中で、ばらばらだった疑問が、一気に形を成していった。
姉は、恋に落ちて姿を消したのではない。誰かに、意図的に近づかれ、利用され、輿入れ直前という最悪の時を狙って、失踪させられたのだ。
「なぜ、姉が……」
「お前の家との縁組は、辺境をつなぎとめる、重要な政治の要だ」
皇帝の声が、低く響いた。
「その縁組を壊せば、辺境は揺らぐ。そして、私の足元も。誰かが――この帝国を、内側から弱らせようとしている。その手始めが、お前の姉の失踪だったのだ」
ローザは、愕然とした。
姉は、巨大な陰謀の、最初の駒にされた。そして、その陰謀は、皇帝への毒へと続いている。何もかもが、根のところで、ひとつだったのだ。
あの美しく、誰からも愛されていた姉。家の中で輝いていた姉が、まさかこんな形で、闇の中に引きずり込まれていたとは。ローザの胸に、姉への憐れみと、企てた者への怒りが、同時に込み上げた。
「では……私が身代わりとしてここに来たことも」
「敵の、誤算だっただろうな」
皇帝が、わずかに口元を緩めた。
「縁組を壊したつもりが、お前という、思わぬ駒が立った。しかも、毒を見抜く知恵を持つ娘が。敵にとっては、計算外だったはずだ」
その言葉に、ローザはわずかに救われた思いがした。
偽りの花嫁としてここに来たことが、皮肉にも、敵の企みを狂わせていたのだ。家のために、覚悟を決めて踏み出した一歩。それが、思いがけず、皇帝を守る盾になっていた。母から受け継いだ知識も、その盾を、いっそう強いものにしている。
だが、安堵している場合ではなかった。皇帝の密偵が、もうひとつ、不穏な報せをもたらしていた。
「それと――もうひとつ」
皇帝の表情が、再び険しくなった。
「敵の狙いが、お前の家にも及びつつある。アーベライン家の周辺に、不審な動きがあるという。縁組を壊せなかった敵が、今度は別の手で、お前の家を揺さぶろうとしているのかもしれぬ」
ローザの顔から、血の気が引いた。
「実家が、危ないということですか」
答えは、すぐには返らなかった。
ローザの胸に、新たな恐怖が広がった。捨ててきたはずの家。けれど、そこには、守りたいと願った人々が、まだ暮らしている。その人々に、危険が迫っているのかもしれない。
遠く離れた地で、ローザにできることは、何もなかった。
無力感が、じわりとローザを蝕んでいった。
姉を救うことも、家を守ることも、自分の手の届かぬところで起きている。皇妃という立場にありながら、本当に大切なものには、何ひとつ手が届かない。その歯がゆさが、ローザの胸を締めつけた。
窓の外には、遠い辺境の空につながる、暮れなずむ空が広がっていた。




