2話 現実とは無情である。
さて、私が人間ではないと分かった所でやる事は変わらない。
私の精神は、私を私自身であると定義している。
例え、人間以外の何かになっているのだとしても生きている限りは生き続けたい。
その為にもこの森からはさっさと出ておきたいのだ。
どんな危険があるか分からないし。
一眠りする間、お世話になった巨木の洞から出て辺りを見渡す。
取り敢えず、動物の気配は無し。
森の隙間から微かに見える空も明るいのでちゃんと一晩眠れていた様だ。
森の外に出る為には、今日も歩かねばなるまい。
一つ違う事があるとすれば、相変わらず空腹も覚えず、乾きに悩まされる事も無いので食料も水場も探す必要が無くなったという事か。
お陰で歩くスピードは昨日よりも大分上がっている。
この身体になった事を幸運だとは思いたくはないが、便利なものは便利であると認めるに吝かではない。
相変わらず目印も無いまま歩くのは精神的にキツイものがあるが、無い物ねだりしても仕方なかろう。
と、体感で一時間程は歩いただろうか?
代わり映えのない景色の中に一つ、他とは明確に違うものが見えてきた。
それは地面に空いた巨大な穴だ。
とは言っても落とし穴の様な竪穴ではなく地下に向かう為に斜めに掘っていった様な見た目だが。
(この森の原住民でも住んでたりするのかな?)
まじまじと穴を観察していた事で気付くのが遅れた。
致命的な程に。
ドン!
「がっ」
巨木に叩き付けられた事で痛い思いはしたが運良く怪我はしなかったらしい。
距離が空いた事で襲ってきたものの正体が判明した。
(昨日のデカうさぎ!)
昨日のは乾涸びて死んでいたので無論別個体であろうが、今はそんな事はどうでもいい。
(あの穴!うさぎの巣か!)
不用意に近付かなければよかったと後悔するも既に遅い。
今は逃げねばならない。
全力で逃げたとて、あの質量であの隠密性だ。
穴に気を取られていたにしてもあのサイズに全く気が付かなかった時点で驚異的である。
巣穴から離れる方向に全力ダッシュ。
襲ってきた理由が巣穴にあるのならこれで見逃してくれればいいのだが。
うさぎは動かない。
(よかった。見逃してくれそう……?!)
元々うさぎは後ろ足が発達した生き物である。
そのうさぎがこの異常な森の中で異常な成長を遂げたのだ。
動きの速さなど予想出来て然るべきだった。
だが流石にこれはあんまりだと思う。
一蹴りで50m近い距離を詰めてくるなんて分かるものか。
(もう離した距離が!)
人間サイズの全力ダッシュなど無意味だと言わんばかりに最小限の動きで最短距離を詰めてくる。
そして二度目の衝撃。
ドカッ!!
「がはっ」
今度は腹から巨木に叩き付けられる。
打ち所が悪かったのか口から大量の液体が漏れ出てきた。
辺りに甘い匂いが漂う。
何とか立ち上がるが、うさぎが向かってくるのが目に入る。
(これは流石にもうダメかもしれない…あぁ…喉が渇いたなぁ……)
三度衝撃。
ドカン!
「ぐぅっ」
また口から大量の液体が溢れ落ちる。
巨木を背に巨大なうさぎにのしかかられる形だ。
今度は逃げられそうにない。
だが、諦めたくはない。
こちらも死にたくはないのだ。
(お願いだから怯んで!)
そんな思いで目の前にあったうさぎの目に手を突き立てた。
怯んでくれたらそれでいい。
ギィィィィィィィ!!
私の右手はうさぎの目を潰し、突き刺さっていた。
逃げる事が出来たらそれでよかったのに。
(あぁ…美味しそう……)
私は少し前から覚えていた渇きに身を委ねた。
委ねてしまった。
『ゴクッ』『ゴクッ』『ゴクッ』
水を飲み込む様な音と共に身体が満たされていく。
『ゴクッ』『ゴクッ』『ゴクッ』
それはうさぎの身体が塵に成り果てるまで続いた。
◇
時間にしてほんの数分といったところだろうか?
少しの間、意識を飛ばしていたらしい。
(これ、私が?)
目の前には塵の山。
うさぎが居た痕跡はただそれのみ。
何時の間にやら身体の痛みも消えているし、かすり傷の類も消えている。
ただ、あれが白昼夢などではなかった事はまだ身体に残る余韻が教えてくれている。
甘美な疼きと満足感。
だが、それでも受け入れ難い。
これではまるで
(あの木鹿と同じ…)
どうやら私は人間ではなくなったばかりか化け物になっていた様だ。
◇
暫くその場で座り込んでいたが切り替えて立ち上がった。
私は生きると決めたのだ。
こんな所で時間を浪費している訳にもいかない。
とはいえ、検証はしなければならない。
あの力があれば、もし襲われたとしても助かる可能性は格段に高まる。
その為になら人外の力にだって向き合おう。
もたれ掛かっていた巨木の幹に手を当ててみるが特に何も起こらない。
(やっぱり生物相手じゃないと無理なのかな?)
初めて見た時は木鹿もうさぎを相手に吸い殺していた。
となると、実験をする為には生きている動物を探さなければならないが、流石に危険を犯して動物を探し、更なる危険を呼び寄せては本末転倒というものだろう。
今度はあの力は発動しないかもしれないのだ。
取り敢えず今現状で出来る事は、他にも条件が無いか思考を巡らす事くらいか。
(生物相手以外にも条件があったとして、今とあの時の違いといえば…口から液体…もう血でいいか。血を出していた事かな)
そして、それまで感じなかった渇きを感じた。
(渇き……)
もしやと思うがそれだろうか?
だが検証には痛みが伴う事を考えると気は進まなかった。
(動物に襲われるよりはマシ、動物に襲われるよりはマシ、動物に襲われるよりはマシ!)
覚悟を決めて鋭利な物を探す。
少し探してかなり太いが先端が尖った枝を見付けた。
当然の事ながら薄汚れているし、これで傷を付けるとなると病気が怖いが、そもそも人間ですらないので心配しても無駄かもしれない。
改めて、自分で傷を付けると考えると覚悟が揺らぎそうになるが、進んで自傷した経験がある人間を探す方が難しいのだ。仕方のない事だろう。
(ふぅーっ…)
大きく息を吐き、そこから深呼吸を繰り返す。
そして息を止め、思い切りよく腕を掠らせるように枝を振り下ろした。
(痛っ!)
幸運な事に、狙い誤たず軽く切れただけで済んだ様だ。
傷口から血が流れ出る。
甘い匂いと共に。
(何だろうこの匂い…メープルシロップみたいな)
傷口を近付けて舐めとってみる。
(あまっ)
シロップを直接舐めたかの様な強烈な甘さが舌に広がった。
料理に使えそうな程の甘さである。
それが自分の血でなければの話であるが。
暫く、傷口を眺めていると徐々に血は止まり傷も元から無かったかの様にすっと消えた。
再生した訳ではない。
傷口が合わさって治ったというよりも正に消えたというに相応しい。
瞬きの間に消えたのだから。
と同時にやはりというべきか渇きを覚えた。
(あまり血を流すのはよくなさそうだね。)
とはいえ多少の傷を負っても治るという確証を得られたのは大きい。
どれ程の傷までなら治るのかの検証はしたくもないが。
もう痛い思いはごめんである。
予想通り、血を流す事で渇きは覚えた。
後は実験だ。
(まずは無機物から)
枝を探し当てた時に見付けた埋もれた岩に手を押し当てるが何も起こらない。
(これは予想通り)
次にさっきの枝を握ってみるも、やはり何も起こらない。
(まぁダメだよね)
最後に巨木。
手を当てた瞬間に不思議な感覚を覚えた。
拒絶される感覚とでも言えばいいか。
人間から向けられる嫌悪感の様なものを感じた。
ただ、それでも問題無く吸えそうな気はしている。
(この渇きに身を任せて…)
手を当てた部分を中心に巨木がゆっくりと枯死していく。同時に手から何かを吸い込んでいる感覚。
それは渇きが満たされても止まることはなかった。
ドゴーーーン!!
私が吸い尽くした事で立枯れ状態になった巨木が轟音と共に逆方向に倒れた。
(び、びっくりした)
うさぎの時は塵になったが、余りの巨大さに塵になるまで自重を支え切れなかったのだろう。
逆側に倒れていなかったら今頃死んでいたかもしれない。
実験に危険は付き物だが流石に軽挙妄動にすぎた。
反省はしよう。
だが、得るものはあった。
(私が吸っていたのは水分だけじゃない。多分、生命力みたいなものも一緒に吸っていたんだ。)
だからうさぎは塵になったし、巨木も立枯れの様な状態になった。
これは木鹿との明確な違いである。
それに目印を見付けた。
(あれは…塔?)
巨木が倒れた事で開けた視界に小さく建造物のようなものが見えていた。
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