【42】 夫が消えた原因は?
その日、坂口大輔は奈美の部屋に泊まった。
奈美が真ん中に寝て、左隣では海斗が寝息を立てていた。
奈美「海斗が寝ると静かだわ」
大輔「良く寝ているね」
奈美「うん。なにか落ち着くわ」
奈美が大輔の手を握った。
奈美「夫は突然前ぶれもなく、私の前から姿を消したのよ」
夫の博之は、妻の奈美に喫茶店を調査していることを話していなかった。
大輔「ご主人さんが消えた原因に、なにか心当たりはないんですか?」
奈美「この前、病院の帰りに話した通りよ。忘れたの?」
大輔「忘れました」
奈美「じゃぁ、もういっぺん言うわ」
大輔「はい」
奈美「1、私がいやになって家を出て行った。
2、以前から女が居て、その女と日本のどこかで暮らすことになった。
3、これからの子育てに不安を感じ旅に出た。
4、仕事がいやになってホームレスになった。
5、仕事の関係で恨みを買い殺された。
6、何が理由かわからないけれど、とにかく自死した」
大輔「わかりました。でも、夫婦仲は良かったんですよね」
奈美「ええ」
大輔「浮気とか、不倫ということもなさそうですね?」
奈美「とにかく、真面目な人でした」
大輔「子供が嫌いとか?」
奈美「いいえ、海斗とはとても仲が良かったし、よく遊んでくれました」
大輔「仕事が好きではなかったとか?」
奈美「それは、あるかもしれません」
大輔「納税者から恨まれていたとか?」
奈美「それは、常にあったと思うわ」
大輔「ということは。やはり仕事の関係で、蒸発した可能性が一番高そうですね」
奈美「やっぱり、そう思う?」
大輔「僕も同じ公務員だからそう思うんですけれど『今の仕事が本当に好きか?』と聞かれたら、即『好きです』と言える自信はないです」
奈美「そうなんだ」
大輔「『差し押さえ』が好きとか、『マルサ』つまり『税務調査』が好きなんて人は、いないんじゃないかな?」
奈美「そうよね」
大輔「僕の職場では、こんなこともあります。収税課で4年間差し押さえをやったと思ったら、次は生活保護で4年間市民を助けるなんてことが」
奈美「市民から取り上げていたのが、次は市民を救うのね」
大輔「はい、180度違う仕事になります」
奈美「差し押さえされた市民が、次に生活保護を受けるなんてこともあるんじゃない?」
大輔「素晴らしい発想ですね。あり得ると思います」
奈美「そう?」
大輔「ええ。だから『今の仕事、市役所が好きですか?』と聞かれても、異動の多い市役所では、自分が次なにをやっているかまったくわからないんです」
奈美「そうか。八百屋さんなら、ずうっと八百屋さん。大工さんなら、ずうっと大工さん。ずうっと同じ職業でいられるのにね」
大輔「そう。だから、ご主人さんは、奥さんや家庭が嫌で蒸発したのではなく、仕事が嫌で蒸発したんだと思いますよ」
奈美「坂口さんにそう言われて、すごい気が楽になったわ!」
大輔「奥さんが理由な訳ないじゃないですか!」
奈美が大輔の手をぎゅっと握った。
奈美「でも、それなら蒸発なんかしないで、仕事を辞めればいいのに」
大輔「そう、普通ならそう思いますよね」
奈美「はい」
大輔「ところが職場の中に居ると、転職とか考えられず、周りが何も見えなくなってしまうんです」
奈美「それって、どういうこと?」
大輔「公務員って、なるのも難しいし、そこそこ給料も良いし。だから、今の仕事を辞めようなんて、これっぽっちも考えられなくなるんです」
奈美「ふーん」
大輔「それと追い打ちをかけるように、公務員は何も手に職を持っていないから、つぶしがきかないんです。公務員を辞めても就職出来ないか、就職したところで給料が半分になってしまうか、それがいいところじゃないですか?」
奈美「じゃぁ、主人もそう考えて税務署を辞められなかったってこと?」
大輔「多分。仕事に行き詰まって、もう仕事に行きたくない。辞めたら妻と子を養っていけない。じゃぁどうしたらいいんだろう? 自分が消えるしかない。と、思ったのかも知れませんね」
奈美「聞いていたら、なんだか、私もそんな気がしてきたわ」
大輔「ご主人さんも苦しかったんじゃないですか?」
奈美「そうね」
そう言って、奈美は右側にゴロンと転がり、自分の体を大輔の胸板に預けた。大輔が奈美の胸のふくらみとぬくもりを感じた。




