第43話 隠密
ホールから階段を上がると身体がずっしりと重くなる。今日は重くなるのは身体だけじゃなさそうだ。
「クローザー、マネージャーを頼む」
園子が真っ青な顔をしていた。バイザーに色を入れた香流が振り返って園子に寄り添って歩いてくれた。リュックを寅吉さんに渡す。ここは人が多いから本名で呼べないのが辛い。
「エース、乗れ」
しゃがむと葵が無言のままドサリと体重を預けた。気合を入れて隅のテーブルまで運んでイスに座らせる。葵は座った途端にテーブルに突っ伏した。ヘルメットがテーブルに当たってゴトンと音がした。園子も同じ格好だ。二人を寅吉さんに任せて香流を誘って自販機に向かう。
香流の方を見ながら小声で話す。
「香流、大丈夫か」
香流が周りを見て近くに人がいないことを確認してバイザーを上げた。瞳を覗き込むとしっかりと意思があることがわかった。
「はい。私は大丈夫です」
そう言うと少し寂しそうに微笑んだ。
「幻滅しました?」
「何に? しっかりと立って歩いていることにかい? まさか! ホッとしているよ。正直、助かると思ってる。すまん」
「ふふふ。謝らなくていいですよ。私、平気です。そうですね。パーティーメンバーには正直に、でしたよね」
香流は「ふー」とひとつ息を吐いた。ゆっくりと各人の飲み物を買う。もう全員の好みは把握している。
「私、正直、なんとも思いません。平気だし、当然の報いだと思っています。今、自分と皆さんの身が無事であることに安堵しています。私、変なんでしょうか」
目の前で五人死んだ。殺した。
「香流、さっきも言ったけどな、俺は香流がそうであってくれて助かってる。それで、その、昔、何かあったのか? 俺でよければ聞くぞ。俺は何を聞いても香流のことを幻滅なんかしないよ」
香流が俺の目を見ていた。試すように、俺の思考の全てを見逃さないように。
「さすがに幼い頃から何度も危ない目に遭ってきましたからね。もう慣れました。幸いにも何もなく綺麗な身体のままですから安心してくださいね。というわけでして、あの手の嫌悪の対象がこの世から減ることにはプラスの感情しかありません。今日はですね、余裕をもって対処出来ました。これぞ私の求めた冒険ですわ」
美しい顔が心の底から楽しそうに笑っていた。
あの時。紅蓮の炎が俺たちを包み込む寸前まで【絶対領域】の展開を待ったことを言っていた。三メートルの距離まで、葵が【範囲攻撃魔法】を使用するまで待っていたのだ。
「なるほど。理解した。香流は間違ってない。俺たちは冒険者だ。ありがとう。香流のお陰で俺も心の整理がついた。初めてのことでショックだっただけだ。俺も理屈で押し退けられる。もう大丈夫だ。問題はあの二人だ」
「乗り越えていただくしかありませんね。あとは本人次第です」
飲み物を持って戻ろうとしたが香流もキツそうだった。香流が持って来ていたエコバッグに飲み物を入れて肩を貸して戻った。
「葵、園子、飲めるか?」
キャップを取ってから置いたペットボトルを触ろうともしない二人に声を掛けると、どちらからともなくモゾモゾと動いて顔を上げた。二人とも血の気の引いた顔をしている。バイザーに色を入れるのも忘れてそうだ。
ノロノロと動くとバイザーを上げて飲んだが、園子はムセてしまった。二人の間に座る香流が園子の背中を撫でていた。
葵は飲んだペットボトルをテーブルに置くと目を閉じて上を向きながらサングラスモードにしたバイザーを下げた。
いつもより時間を掛けてクールダウンをした。
「寅吉さん、査定に寄らせてもらってもいいですか」
「そうだな。その方が休めるだろうし寄って行こう」
気持ちに整理を付けたのだろう。いつもの寅吉さんだった。
「さあ、行こう」
葵の手を取ると立ち上がって歩き始めた。園子には香流が手を貸していた。
◇
いつものショップの個室に入ってヘルメットを脱ぐように促す。隣に座る葵が肩にもたれかかって目を閉じていた。向かい側では園子が同じように香流にもたれていた。
寄り添える相手を求める気持ちがあること、その相手が身近にいることが大事な気がした。自分がその相手に選ばれていることに少し安心した。
「みんな、すまん」
目を伏せた寅吉さんが苦渋の表情を浮かべていた。
「対処を誤った。俺が初撃で斬っておくべきだった」
「いいえ、寅吉さんはなにも悪くないです。むしろ流石の対応でした。間違えたのはリーダーである俺です。それ以外は誰も何も間違えていません。だけど、俺は全ての結果に後悔はありません。今回の冒険は成功でした」
「ウチ、ウチがやったんや。ウチが」
「葵。いいんだ。アレでいいんだ」
肩を抱き寄せ手を握る。できるだけゆっくり、はっきりと目を見て正直な気持ちを話す。
「俺には出来ないことを葵がやってくれたんだ。ありがとう。葵がみんなを救ったんだ。葵は何ひとつ間違ってない。葵、これが冒険者の現実なんだ。命懸けの場所なんだ。ダンジョンで怖いのはモンスターだ。モンスターには悪意を持った人間も含まれるんだ。いや、悪意を持った人間の方がモンスターよりよほど怖いんだ」
全肯定したことで救いを求めるように葵が俺に視線を合わせ始めた。騙すようなことも言いくるめるようなことも言いたくはなかった。
「ちがうわ。わたしよ。葵じゃないわ。わたしがとっとと跳んでいれば誰も何もなかったのよ」
「園子。園子は間違っていないよ。ミスもない。あの場であの時、出来ることは全部やった。みんな聞いて欲しい。俺たちは冒険に行って宝物を確保して、モンスターを倒して全員怪我も無く、無事に帰ってきた。これが事実だ。いいか。これ以外に言いようがないほど大成功だったんだ」
屁理屈だ。だが、大事なことだ。これが現実だ。ダンジョン内に秩序は無い。そこには無法しかない。モラルがあるとしても守るべき法がない。
ダンジョン内は日本国なのか? 判例では日本国内とされている。だが、死体が消失する場所だ。殺してしまえば何も残らない。固定ダンジョンはまだマシだが、不定形ダンジョンでは無機物も時間経過で消滅する。
実質、ダンジョン内は無法地帯だ。日本はまだマシだ。それでもプレイヤーキラーのパーティーやクランは存在する。ダンジョン内で目的の階層まで行くのにみんなが寄り道もせずに同じ最短ルートを歩くのには理由がある。お互いを監視することで秩序が生まれるからだ。暗いダンジョン、みんなで歩けば怖くない、だ。
俺は『ダンジョン以前』と呼ばれる二十年前のダンジョン発生より前に生まれた古い世代だ。葵は『ダンジョン以降』の世代だ。生まれた時からダンジョンがあり、交通戦争と呼ばれた年間交通事故死亡者数一万人を遥かに超える死者を出したダンジョン戦争の最中に生まれたのだ。俺たちはこれが仕事だ。ダンジョンを生業にするとはこういうことを言うんだ。ダンジョン以前より人が死ぬし殺されているのがこの世界だ。
だからというつもりもないし、当然とも言いたくはないが、葵も園子も乗り越えて欲しいと思う。冒険者となった俺たちにとっての今は戦時だ。
「葵くんも、園子くんも、何も間違いはなかった。二人とも素晴らしい対応だったよ。君たちが訓練も無しにここまでの反応が出来ることに俺は感動を覚えるぐらいだ。現役だったとしてもスカウトしたいほどの素質だよ」
「おっちゃん、ウチら能無しなの忘れてるんちゃうか」
「ああ、その問題があったか! すまない。それは正直、忘れていた! だがね、わかって欲しいのは星名さんのいる『Renegades』にいる限り、君たちは冒険者として輝けるんだ。世界最高峰を自認していた立場からも言えるよ。『Renegades』の君たちは最高の冒険者になれるよ。だからはっきり言おう。俺はね、兵士なんだ。人殺しだよ。こんなことは今回が初めてじゃあない。いや、何回こんなことがあったかなんて覚えちゃいない。さっき、星名さんが言ったね。奴らはモンスターだと。その通りだと思う。奴らはダンジョンという魔境に飲まれてしまったモンスターなんだよ。奴らを倒せる俺が倒さないと他の誰かが死ぬことになる。それは自分の大切な人かもしれない。だから迷ってはダメなんだ。だから、すまない。今日の俺は前衛失格だ」
後ろにいるのが娘だと思えと言ったのは俺だ。娘の前で人殺しはできなかったし、殺しをさせたくもなかったのだろう。それでも、娘を人殺しにするぐらいなら自分がやるべきだったと後悔しているのだ。
だが、手を汚さないままダンジョンで稼ぎ続けるのは難しい。最初から大手クランに入り、誰も手を出して来られない大人数でのダンジョン探索に始終しない限り無理だ。そしてそれは、大手クランどころかまともなパーティーにも入れてもらえない能無しの俺たちには不可能だ。手を汚さずに冒険することも、稼ぐことも出来ない相談だ。
功を焦り過ぎた。憧れだけじゃやっていられないリアルな冒険者像を持っていたかどうかが問われている。寅吉さんはもちろん大丈夫だ。香流は大丈夫に見える。葵と園子はどうだろうか。
俺はどうだ? 俺は女の子に守ってもらって自分の代わりに殺してもらうだけのヒモ男だ。最低野郎だな。
「誰も悪くない。すまない。辛い思いをさせてすまない。ただな、これが今の『Renegades』だ。葵、俺がお前の力を持っていたら躊躇なく奴らを燃やした。お前や園子や、香流や、寅吉さんを守るためだ。園子や香流がいて無傷で逃げられるとしても速攻で燃やした。誰かが代わりにやってくれるなんて甘いことを思って自分以外の誰かが傷ついたり死ぬのは見たくない。そんな後悔をするぐらいなら敵は全部殺す。葵、お前が今日やってくれたのはそれじゃないのか? 俺は俺の代わりをやってくれた葵を誇りに思う。だから俺はお前とならダンジョンに潜れる。お前に命を預けられる。だから今日のことも胸を張って欲しい。俺たちの命を救ったことを自慢して欲しい。今日の冒険を良かったと笑って欲しいと思う」
「そうか。ウチがみんなを守ったんかな。それでええんかな」
「葵くん、それでいいんだ。いや、それ以外の何だと言うのかね。私は次に潜っても君たちが後ろにいてくれるなら一番前に立てるよ。今日、それがはっきりしたんだ。背中を預けられる君たちでいて欲しい。私は何をしても生きて帰る必要がある。必要な時に必要なことをするんだ。それが出来ない相手とは行動を共にすることは出来ないんだ」
「園子。園子がいつもギリギリを見極めようとしていること、何かあってもすぐには跳ばないことを俺は心底頼もしく思ってる。今日は香流の方が早かっただけだということを俺は知っている。香流の方が先に限界が来るからだ。【絶対領域】は三メートル以内に入られたらダメだからだ。園子は香流を待っていただろ? いつだって【絶対領域】の内側に危険が来たらテレポートしようと集中していることを知ってるよ。俺は園子の判断を疑ったことはない」
香流は【絶対領域】を展開しないで葵が奴らを燃やすことを期待して待っていた。獣のような男共を燃やせと煽っていたのだ。その前に寅吉さんが斬り捨ててもいいし、園子が耐えきれず【瞬間移動】してもそれはそれで良しだったろう。
「全ては俺のせいだ。俺が寅吉さんにはっきりと殺せと命じなかったせいだ。だけどね、みんな、これからもこれはある。俺たちが冒険者である限り、これはあるだろう。ダンジョンの中は法律があってないような弱肉強食の世界だ。みんな、それはわかっているだろ? 闘うことも守ることも出来ない俺のために、みんなが俺の側にいてくれることに、俺はダンジョンをクリアすることでしか応えられない。与えられるのはダンジョンでの報酬だ。栄光は無いかもしれないけれど。俺が命を預けられると思えるみんなとこれからも一緒に潜りたいと思う」
葵がリュックのサイドポケットの水のペットボトルを引き抜いて一気に飲み干した。
「兄いやん! ウチ、やるで。兄やんは弱すぎるからなぁ。ウチがおらんようなるとすぐに死んでまいそうやん。ウチのこと拾ってくれたしな。兄やんが潜ってる間はウチが助けたるわ」
野良猫の恩返しらしい。猫にしては物騒だ。野良獅子だな。
左手で頭をくしゃりとやった。俺を見上げる笑顔で彼女も追い詰められた獣だと思い出す。逃げ場など最初から無いのだ。俺も、この娘も。
「はぁ~あ。千里、ありがと。目が覚めてきたわ。そうよね。私が葵だったら良かったのに」
「あら? 園子さん、奇遇ですね。それ、私もずーっと思ってたんですよ。ああいう輩はですね、始末しなければなりません。女を便利なモノだと思っているような輩は全部です」
心底うらやましそうな顔で葵を見ていた。超絶美人にそれをやられると説得力半端ない。言ってることは物騒なことこの上ないが。
「葵さんはこんなこと言われてもうれしくないかもしれませんが、私の本心なので言わせてください。私は葵さんがうらやましかったんです。ああいう機会にああいう輩を燃やしたいってずっと、ずっと、毎晩寝る前に想像していました。ですから先ほどは胸のすく思いでしたよ。葵ちゃんは私のヒロインです。私はいま、とても気分が良いのです。ごめんなさいね。変なこと言って。でもパーティーですからね。本音を隠していては一緒に居続けるのは苦しくなります。だから、これが私だと知って欲しいのです。男なんてみんな滅べばいいんです」
背筋がゾクリとした。本気で言っていることが伝わった。お淑やかで上品な清楚超美人の本音だった。
「おおう。姉さん、えらいもん持ってたんやな。でも、兄やんだけは滅ぼさんといたってな」
そう言いながら葵がしがみついてきた。うん、俺もぜひそうして欲しい。
「あら。千里さんは別ですよ。千里さんはなんというか。なんでしょうね? なんと言えばいいのかわからないのですが。他の男とは違いますよね?」
悩まし気に小首を傾げているが買い被りも甚だしい!
なにも違わない。俺だってそこらへんにいる普通の男と同じなんですよとはとても言い辛い!
「香流、あなた、自分でわかってないのね? 信じられないわ。香流って女子校だったの?」
「え? はい。そうですけど。よくおわかりになりましたね」
「あー、香流ちゃん、上品やもんなぁ。お嬢様学校いうやつなんちゃう?」
ニコニコとしながら園子を抱き寄せている姿からは女子校のお姫様で王子様だった姿が思い浮かぶ。
寅吉さんが隠密スキルでも使っているかのように存在感を消していた! ここはいまダンジョンの最深地並みに恐ろしい場所と化していた。ひとつ対応を間違うと全てが崩壊しそうだ! くそ! さっきのダンジョンより緊張してきた!
「あ、そうですわ。千里さん、宝箱の中身を査定していただきましょう」
ニコニコ顔の香流が俺を見ていた。
「おー! せやで! どんなんが入ってたん?」
渡りに船だ!
「そうだな! あまり金にはならなそうだったけどせっかくの戦利品だからな!」
俺はそそくさとリュックを拾うと中から今日の戦利品をテーブルに並べた。
テーブルの上にはゴミ魔石がゴロゴロ。その中に混ざって鉄の玉もゴロゴロ。重さは一個一キロ、全部で二十五個で二十五キロのはずだ。
「【こうしえん】には魔鉄鋼二十五キロって出てたはずだ。鉄だしそんなに価値はなさそうだな」
「いやいやいやいや」
寅吉さんが隠密を解いたらしい。




