第119話 フォネティックコード
別荘に戻ってコーヒーなど飲みながらリフレッシュできるのは大きい。『竜の巣』のような場所でもいいのだが、完全に自分達だけしかいないこの場所はダンジョンの中にあっては非常に贅沢で貴重な場所だ。
風呂とトイレ完備なのは快適過ぎる。無音稼働の魔石発電機のお陰で電化製品使い放題なのも素晴らしい。オール電化でここに住めます。出入りに園子必須だけど。
今夜に向けての買い出しの打ち合わせをしてから再び『竜の巣』のテントに戻った。
パーティーを組み替えて寅吉さんを呼び出してからテントを出て母屋に向かうと、田茂さんと寅吉さんが並んで歩いてくるのが見えた。
帰還の報告をしつつ、前から気になっていた庭にそびえる建物について聞いてみることにした。
「田茂さん、この建物はなんですか? ずいぶん厳重というかなんというか。【地図】で見ると建物の中に建物があるように見えるのですが、何かの特殊な訓練施設とかですか?」
「おお? 秘密基地かいな」
「え? ああ、これはですね。おい、ちょっと開けて見せて差し上げろ」
黒い焼きの入った杉板のようなもので造られた蔵のような窓のない妙に迫力のある不思議な建物だ。ふたりのお付きの隊員が、それぞれ腰に付けた鍵束から選んだ鍵で、それぞれが大きな錠前を外す。そして、重そうな木製の観音開きの扉を、ゴゴゴゴと効果音が付きそう雰囲気で引っ張り開ける。
黒い建物の中にあるのは金属の倉庫のようなものだ。今度は扉にタッチパネルが付いている。すると、ひとりが小さな紙片に書かれた文字を「ズール、タンゴ、デルタ」と、フォネティックコードを読み上げ、もうひとりがコード表と照らし合わせながらタッチパネルで数字を打ち込んでいく。なんだ? 定期的に暗証番号を変えているのか?!
ピー! ガチン!
軽快な電子音の後にロックが解除される音がした。ふたりの隊員は金属扉のレバーをそれぞれ下から上へと回し上げる。
ガッチャン! ゴウッ
隊員たちが身体強化に任せて重い扉を開けると隙間から白いモヤが湧き出てきた!
「なっ! こ、これは!」
「ビールの樽が山のように積み上がっとんな」
「これが我が隊秘蔵のビール樽です」
田茂さんが可愛い我が子を愛でるような慈愛を含んだ目で積み上がった樽を見ていた。
ゴッゴッゴ、ゴン、ガッチャン!
そして再び封印された。
「電気システムのランニングコスト凄そうですね」
「ここに来る直前のボス戦で獲得する魔石は発電に優先的に回すことになっているので特に問題はないですね」
出たよ。ハイ・オーガの魔石だよ? 下取り価格一個七万円前後するんだけどね。どうりでこの敷地設備、どこも電気使い放題になっているはずだ。廊下とかトイレとかそこらじゅう電気点けっ放しなんだよね。リニューアルする時にオートライトとかに換えてしまおう。
まあ、生ビール樽に関しては竜騎兵で管理する分には好きにしてください。その代わり、Renegadesとしては関与しませんから。
だいたい、店内の喫茶コーナーのガラス扉向こうの冷蔵庫にもこいつが置いてあったからね。補充の時から冷やしてて、いつでも美味しくいただけるってことですね。
ここまでしてるならそりゃ、さすがに俺にも違いがわかるほど美味いわけだよ。阿芽さんがいつも磨いてるのはビールジョッキっていうぐらいこだわってるものね。
結局、買い出しに人数が必要になりそうだということで咲耶ちゃんも連れて全員で行くことにした。
「それでは田茂さん、ちょっと買い出しに行ってきます。開始三十分前の十七時三十分には戻ります」
「了解です。監督、お気を付けて」
Renegadesの品出し用テントの中を利用して第一階層の小部屋を二往復して六人で地上へ。ロビーでクールダウン中に寅吉さんは車の中から家に電話。話し合いで寅吉さんには買い出しの間は自宅で家族で過ごしてもらうことにした。もちろん、寅吉さんは渋ったが、多数決とリーダー権限で強制執行とした。寅吉さんは苦笑いだった。
「まさか最初の命令が家族の元に帰れだとは思わなかったよ」
「いつどんな時も最優先にするべき事ですから。竜騎兵の皆さんにも同じようにしてあげたいんですけどね。それはそれで園子や、我々の冒険に支障が出てしまいます。変えられることと変えたいと思うことが一致すればいいんですけど」
寅吉さんはドリンク買い出し担当の小佐原さん、雅代ペアの車で送ってもらった。適当な時間にまた寅吉さんをピックアップしてもらって代々木公園ダンジョン駐車場で合流予定だ。
我々は食料品の買い出しとマジックバッグへの収納で大忙しだ。
買い出し中の車内で詰め込み作業をしていて、交代で手が空いた時にふと思いついたことがあった。
「なあ、手荷物ってどの範囲まで【瞬間移動】の適用範囲なんだろうな」
「え? どういうこと?」
園子が興味を持ってくれたので会話のキャッチボールで思考を進める。
「槍や盾を持っていても一緒に跳べるのはまあ不思議とは思わないよな? 以前、みなとみらいで二人掛かりで脚立を持ったまま跳んだだろ。あれも特に疑問も抱かなかった」
その頃になると作業している者もこちらの会話に耳を傾け始めた。
「まあ、言われてみたらなんやけったいな感じもするけど、武器持っとるのの延長みたいなもんやから大丈夫な感じすんな」
「そうだな。脚立をひとりで持ってたら違和感も無さそうだしな。じゃあさ、ビールの樽を身体の前後に背負ったり抱えたりした場合は?」
「それは当然跳べるでしょうね。逆に跳べない理由が見つかりません」
香流も話の続きが気になるようで会話に乗ってきた。園子は俺の思考の先を知りたくてじっと俺を見ている。そのアーモンド型の二重の大きな瞳が知的好奇心にキラキラと輝いて、いつもの美人さんが可愛らしい少女のようになって俺を見つめ返している。期待を裏切らないダンジョンマニアっぷり。
俺は吸い込まれそうな瞳を見返しながら、最初に思い浮かべた疑問を、今度は声に出しながら想像してみる。
「じゃあさ、ビール樽を身体の前後にセットしたまま、左右の手にも樽をぶら下げたら? これもきっと問題なく跳べるよな。そうしたらさ、身体強化にものを言わせて持ち上げるのではなく、樽を地面に置くとどうなる? 樽を身体の前後にセット、両手はストラップに手を通したままだ。これだとどうだ?」
「んー? さっきまでは持っとったもんを地面に置いただけやろ? 跳べるんちゃう?」
「それはでも所持してるとは言えなさそうではありますね。先ほどとは状況が変わったようにも思います。でも、槍や盾の先端が地面に付いていても跳べるとするなら、やはり跳べるのでしょうか」
「千里、わたしもそれは大丈夫と思うわ。それで?」
地面に着いてる事を俺が疑問に思ったわけではないことを園子が察している。その程度はどうということもないことだ。
「そうしたら今度はその置いてある樽の上に別の樽を置いたらどうなる?」
「は? 手には持ってへん、ベルトに身体通しただけの樽の上に樽を置くんやろ? あれ? なんかアカン気ぃしてきたけど? さっきまでと何がちゃうんや?」
「直接身体に触れていない。間接的にしか触れていないモノは跳べるのかということですね。それはわからないですね」
「千里、わたしもわからないわ。でも、手に刀を持ってたとしたら柄だけ跳んで、手に触れてない刃の部分はその場に残ることはないわ。そんな事になったら肌に直接触れてる服以外残らなくなるもの」
目の前の園子が【瞬間移動】後に下着姿になるのが脳裏に浮かんで目を逸らす。
「千里、こっちを見てて。大事な話だわ。千里の中にあるものを最後まで全部わたしにちょうだい」
そう言われて脳裏に浮かんだものを振り払って園子を見返すと、顔を真っ赤にした園子がそこにいた。園子に俺が目を逸らした理由がバレてる。
気恥ずかしさと気まずさから再び目を逸らしそうになるが、ギリギリ思い止まる。
恥ずかしく思うのは俺じゃなくて、そんな思考を誘導するような事を言ってしまったと自覚する園子の方だ。
その園子が羞恥を我慢してこの思考ゲームの重要性を優先してくれたのだ。
歳上の男の俺が逃げたら園子みたいな女性からはヘタレなダメ男の烙印を押されかねないぞ! そこに気付いた俺の方がこの思考ゲームを思いついた俺より百万倍偉い!
逃げちゃダメだ。園子を見つめ続けろ!
「樽の上に載った樽まで跳べるなら、さらにその上にも樽は載せられる。何個だって重ねられる。じゃあ、横に触れている場合は? 重ねた段ボールに触れていればそれも一緒に跳べるのか? 【瞬間移動】はパーティー五人の人間と装備が跳べる。じゃあ、その五人におんぶされた、あるいは手を繋いだ六人目はどうだろう?」
「わ、わからへん。さすがに六人目は反則ちゃうかぁ」
「千里、凄いわ。わたし、興奮してきちゃった」
そう言いながら乾いたリップを舐める園子はもう可愛いとは言えなかった。
本人を目の前に下着姿の園子が唇を舐めながら迫ってくるところを想像してるなんて悟られたら処されるぞ!?
「あらあらあらあら。園子さんがあられもないですね。ダメですよ? こんなところで素のままになってしまっては。理性をお持ちください」
「面白いわね、千里。さすがね。わたしの可能性を広げてくれるんだもの。理性なんてぶっ飛ぶわよ。早く戻って試しましょう!」
そうだ。ここで何時間議論したって正解なんて出やしない。仮に時間を掛けてみんなが納得いく結論が出たとしても、一回の実証試験で明らかな答えが出るならとっととやればいいだけだ。
大量の肉と野菜を少しずつマジックバッグに突っ込む果てしない作業に戻りながら、この作業をしなくて済む方法があるなら早くそうしたいと願うばかりだった。




