第11話 朝ごはんはしっかりと
温かくて柔らかくて気持ちいいけど背中と腕が痛いし、痺れている。快楽を得るためにはこの痛みを我慢し続けなければならない。何かを得るためには代償が伴うというのは世知辛いこの世の常ですよね。
いや、痛みが耐えられん。そう思ったら覚醒していた。わかりやすく言うと目が覚めた。いつものロフトの天井が見える。文字通り大の字になっている。布団が掛かっている。布団? いや、確か布団は昨夜、下で香流が使って?
左の腕の下から俺を見上げる黒髪のとんでもない美貌があった。布団の中では手足が絡まっている。なんだこれ? エイリアンの襲撃か? 右の腕の下では金髪の姉ちゃんが寝息を立てている。ハロー?
手を回して感触を確かめようかと思ったけど痺れているらしくまったく感覚が無い。痛い。
起きようと動いたら美貌がどいてくれたので抜け出してから右腕もゆっくり抜く。金髪は起きない。痺れて感覚の無い指先でスマホに触れるとまだ八時半だった。ロフトとはいえ朝はまだ冷えるなぁ。
血が巡り始めた腕を揉んでいたら美女が気が付いてマッサージしてくれた。助かる。手のひらのマッサージ最高だぁ。お返しに揉み返したら真っ赤になってた。布団の中で抱きついてたくせに可愛いかよ。
腕に力が入るようになったのでロフトの下を指差す。美女が頷いたのでスマホをポケットに入れて金髪を起こさないように階下に降りる。ついでに布団の横に落ちてた毛布を持って降りた。振り返ると美女がハシゴを降りるところだったが、ズボンを履いていなかったので絶景ではあった。
降りてきた美女に毛布を巻いてビーズクッションを指差すと大人しく座った。
エアコンを付けてキッチンに行くと電気ケトルの中の水を捨てる。トイレに行ってから手洗いをしてケトルに水を入れ直してリビングに戻った。美女にトイレどうぞというようにキッチンの方を指でつんつんとした。美女はニコリとしたあとに毛布から出て歩いて行った。
冷たくなってるリビングの敷布団を部屋の隅に畳んで、テーブルを移動してコーヒーを淹れる準備をする。趣味と言えるほど大して金も掛けていないが、休みの日だけは手挽きでコーヒーを淹れる。ケトルのスイッチを入れたところで美女が戻って来て再び毛布に包まると人間がダメになるクッションに埋もれた。
「香流ちゃん、おはよう」
「へ? あの、はい、おはようございます」
戸惑いを含んだ挨拶が返ってくる。
「香流ちゃん、コーヒー飲める人?」
「え? はい、飲めます」
豆を用意しながら俺のスマホの動画再生をスタートさせて渡す。豆を挽き終わる頃には美女は突っ伏して死んでいた。
「そんなわけでね、香流ちゃん。おじさんとしては香流ちゃんは外では絶対にお酒は飲まない方がいいと思うんだよね。どーしても飲みたいっていう時には、命を預けられるぐらい信用できる人と一緒の時しか飲んだらダメだからね?」
「ええ、はい、それはもうおっしゃる通りでございます」
「人間は反省出来る生き物というところが素晴らしいですよね。でもまあ、香流ちゃんはとっても可愛かったから俺は全てを許しますよ、ええ」
温めたドリッパーにペーパーをセッティングしていると香流が毛布の中に顔を埋めたままモゴモゴと反省の弁を述べていた。
「あの、いろいろご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。たった今、完全に酔いが醒めました」
やはり。布団での出来事も酔いの一環だったか。ゆっくりお湯を注いでぶくぶくと粉が膨らんで部屋にコーヒーの香りが漂い始める。香流の肩をツンツンとするとやっと顔を上げたので、テーブルのマグカップを指差して尋ねる。
「ブラックですか? 砂糖と牛乳もありますけど」
「今朝はブラックでお願いします」
蒸らし終わった粉に再びゆっくりとお湯を回しかける。コーヒーの香りが部屋の中に爆発的に広がる。香流が目を閉じて香りを楽しんでいる。眉間のシワは解れたようだ。
時間を掛けて溜めたコーヒーを陶器のマグカップに注いで香流に渡す。
「いただきます」と言って一口啜ると、笑顔になりながら「美味しい」と言った。寝起きすっぴんのくせに美し過ぎるその様にまるでコーヒーのコマーシャルを見ているかのようだと思いながら自分のためにキャンプ用のチタンのマグカップにコーヒーを注ぐ。
「さっきのは冗談ですから。俺も葵もまったく迷惑だなんて思ってませんよ。ただただ楽しい思い出というだけです。特に昨夜は居てくれてよかったです。出来たら今夜からもずっと居てほしいぐらいです」
「そう言っていただけると助かります。恐縮です。では、お言葉に甘えて可能な限りそうさせて頂きます」
「え? それはどういう」
「めっちゃ良い匂いするー」
ロフトから後光を浴びて金髪女神(寝癖有り)が降臨された。
「寝起きで降りる時は気を付けてなー」
降り始めた。
「パンチラにね」
香流が毛布の上から慌ててスウェットの裾を押さえたがもう遅い。葵は何も気にする素振りもなくそのまま降りてキッチンに歩いて行った。俺はコーヒーをひと口飲んで香りを楽しんだ。
トイレを済ませた葵が昨日の帰りにコンビニで買った食べ物を冷蔵庫から袋ごと持って来た。コーヒーを飲みながら見ているとテーブルに中身を全部ぶちまけてサンドウィッチを取り出してパクりとひと口食べた。そしてそのまま食べかけのサンドウィッチを俺に渡して代わりにマグカップを奪うとコーヒーを注ぎ足して牛乳をドバドバ入れてカフェオレにして飲んだ。サンドウィッチは俺の腹に入ってしまったので葵は別のサンドウィッチを取り出して食べ始める。
「えーと、葵ちゃんってここに住んでもう長いんでしたっけ?」
葵のあまりに自然な振る舞いに香流が首を傾げている。こいつはこういうヤツです。
別のサンドウィッチを開けてひとつ取り出して香流に渡すと残ったひとつを葵に取られたのでブラックコーヒーに手を伸ばしてひと口飲んだ。香流がうれしそうにサンドウィッチを頬張っていた。
「葵、寝ぐせ酷いから食べ終わったらシャワー入っておいで。香流ちゃん、会社に有給の連絡って何時にするの?」
葵がサンドウィッチを頬張りながら「はーい」と返事をして、香流が慌ててスマホを探し始めた。
◇
黒のミリパンを履いて、濃いグレーのパーカーに黒のM65ジャケットを羽織って着替え終了。渋谷に行くとはいえ、ダンジョンに入るのが目的なんだからこれで充分だろう。キッチンでスマホを弄りながら女性陣の着替えを待つ。西宮さんからたくさんメッセージが入っていた。寅吉さんからはまだメッセージはない。昨日は夜が遅かったし、返事を催促する気も無い。
「お待たせー!」
と元気に出て来た女子高生。と、不審者。
「わはははは」
「こら! なにがおかしいねん!」
「いや、ごめんごめん。化粧は香流ちゃんにやってもらったのか? 葵、すごくかわいいよ。制服も似合ってる。うん、葵は元が可愛いんだからメイクは薄い方が似合うとおじさんは思うぞ。じゃないともったいない。あとで写真いっぱい撮ろうな。ふたり並んでる姿があまりに対称的というかなんというか。コントラストがおもしろかっただけだよ」
「ちょっと待っててくださいっ!」
そう言って香流が部屋に戻っていった。キッチンで葵の撮影会をして遊んでたら「お待たせしました」と香流が戻ってきた。
「おー! 香流ちゃん、かっこええやん!」
うん、たしかにカッコイイ。男物を見事に着こなしている。どこのモデルさんですか? でもその服、俺のだよね。サングラスなんてどこから見つけてきたの? 身長が俺とほぼ同じなんだよね。香流は横に並んだ感じ百七十八センチ前後といったところか。ただね、脚の長さが違い過ぎて嫌になるわ。
キッチンの部屋干し用の洗濯ハンガーには三人の下着がぶら下がっていた。葵の洗濯物が溜まっていたらしく、ほとんど葵の物で埋まっている。Tシャツも何枚も干されている。リビングにはさっきまで着ていた香流の服がぶら下がってそうだ。たった一晩で誰の家かわからなくなった。ただ、俺の意識としてそれが自然と受け入れられていた。
本来、お互いに知ることのない秘密やトラウマを共有したことにより、パーティーメンバー、戦友として、一気に男女の垣根を飛び越えてしまったんだと思う。彼女たちがどう思っているかはわからないが、少なくとも俺の中ではそうだ。いや、これは俺の一方的な思いだな。俺は非モテおっさんなんだ、彼女達に不快な思いをさせてはいけないぞと自戒の念を込めて決意を新たにする。
昨夜、葵が何を思いながら毛布に包まって俺を待っていたのかはわからない。でもな、『条件』なんかで一夜を共にするほど俺は安い男じゃないからな。大切なメンバーを使い捨てにするような男じゃないと示さなければならない。リーダーやってるうちはリーダーをやり切る覚悟はあるぞ!
「よし、行こう」
途中の公園や駅でしばし撮影大会。香流も変装セットを外して葵に言われるままポージングをすると本職顔負けに決まり過ぎてて、撮った写真を確認しながら三人で大笑いした。
渋谷駅に着いてからも二人の写真と動画を撮りまくった。香流も葵の写真を撮っていた。通行人に「何の撮影ですか」と聞かれたのも一回、二回じゃない。制服を着て渋谷の街を歩いて友だちと写真を撮り合う。そんな青春がこの娘にはもっと必要だったはずだと思った。
楽しそうに歩くふたりを後ろから撮影しているとメッセージが入った。
「西宮さんがみんなの分もおにぎり作ったから買って行かなくていいってさ」
「ほーん。全体じゃなくて兄やん個人に連絡して来たんか。香流ちゃん、これはニオイますねぇ」
「ほうほう。それは抜け駆けってやつですかねぇ」
「まぁ、でもそれはウチらだけには言われたないやろなぁ」
「あー、それはそうですね。じゃ、ここはお咎めなしで」
前で仲良さそうに話しているけれど周りがうるさくて聞こえない。俺に言ってるわけじゃないから気にしないけど。
「兄やん、撮影し過ぎちゃうかぁ。そんなにウチの制服姿が可愛ええんか」
「おう! めちゃくちゃ可愛いぞ! おっさんの粘着舐めんなよ!」
「香流ちゃん、あれはあかんで。天然で言ってきよんねん。勝たれへんわ」
昨日に続いて渋谷第一ダンジョン到着。




