第108話 五分前行動
「急げ!」
部屋にジャンプアウトして急いでブーツを脱ぐ。
「まだ十二時なってへんで?」
「いや、たぶんああいう人たちは五分前とかには準備万端なはずだ!」
「あー、千里さん、正解っす」
まだ間に合う! ヘルメットとアーマーとブーツをその場に残してスリッパだけ履いて急いで階段を下りて【地図】を頼りにリビングロビーに向かう。入り口で一回立ち止まり、後ろを振り返って息を整える。スマホを見るとまさに正午の五分前になろうとしていた。みんなに頷いて部屋に入る。
「遅くなりまして申し訳ありません! Renegadesです」
部屋はとても広く清潔だった。食堂も兼ねているようで、長テーブルがいくつも並んでいる。部屋の奥にはソファーも並んでいる。どこもミリ単位で揃えたように完璧な配置だ。
今は前に並んだテーブルの奥の方に立神さんと田茂さん、手前に寅吉さんがいて、そこに向かい合わせになるように置かれたテーブルに竜騎兵の隊員の方々が並んで座っていた。
部屋に入ると全員が立ち上がって一斉に拍手をしてくれた。緊張の面持ちのまま、笑顔で手招きをする立神さんの横まで進む。隊員の顔を見るが、みんな、いったいどんな連中が来るのかと若干緊張の面持ちだ。
一瞬、雰囲気が変わったのは、香流が部屋に入ったからだ。振り向くとサングラス越しの香流と目が合って、マスク越しにニコリと笑ったのを感じた。ずいぶんと余裕がある。大丈夫そうだ。俺は素顔を晒しているが、園子と葵はサングラス、香流は完全装備状態のままだ。逆に有名人に見えるかなぁ。
笑顔の寅吉さんの前を通り過ぎる時に咲耶ちゃんと寅吉さんのパーティー登録を入れ替える。
立神さんの前に立つと右手が差し出された。その手をしっかりと握って握手を交わすと拍手が一層大きくなった。
促されて一緒に座ると拍手が鳴り止む。俺たちが全員座るのを待って田茂さんが「着席!」と号令を掛けるが、田茂さんだけは立ったままだった。
「それではこれよりRenegadesと竜騎兵の合併説明会を始める。これから行うのは、すでに決定事項である合併の説明である。合併の可否を議論する場では無い」
そう、クラン同士の運営方針はトップ同士ですでに話し合い済みだ。これが一般企業ならこれはただの発表会でも構わないところだ。ただ、我々は企業でもないし、命を懸けた同志として誠意を示さねばならない。
立神さんが座ったまま声を張り上げる。
「よし、お前ら! 伝達済みの通り、我々は既に冒険者クラン『竜騎兵』ではない。我々は冒険者クラン『Renegades』傘下の竜騎兵部隊だ。陸自方式は部外者には伝わらんからな。ここからは一般常識の範囲でやってくぞ! お前ら常識ないからなぁ。不安やけど気張って付いて来いや」
わははは。と、ひとしきり笑いが起きる。自衛隊方式はわからないので最初にこう言ってくれて助かる。さっきの田茂さんの「着席!」の号令の発音からして独特だった。真似は出来ません。
田茂さんが後ろに手を組んだまま声を張り上げる。
「説明会開始の前に、諸君たちから預かっている秘密保持誓約書についてだ。こちらは一部のメンバーを除き、Renegades側の好意でまだサインを入れていない。これが成立すると契約を反故にした時点でペナルティが課される。内容は理解しているな? 財産を隠すことも、誰かに移譲することも無駄だ。必ず俺たちが後から追い掛けて全て回収する。現時点でRenegades傘下になることを拒む場合は名乗り出よ。誓約書を返却する」
田茂さんはそう言って一同を見渡すが、席を立つ人はいない。全員が神妙な顔をしている。彼らは忠実な兵士だ。内心の不満を表情に出す者はいない。彼らの本心が垣間見えるものが欲しい。
「それではRenegadesの皆さん、全員の賛意が認められたのでサインをお願いします。昨夜サインを頂いた四名を除く残り三十六名分の誓約書です」
田茂さんが守秘誓約書の束を目の前に置く。ペンは既にテーブルに置いてある。
今がちょうどいいタイミングだ。
「田茂さん、サインを入れ終わるまで時間が掛かりそうなので、その間は皆さんで差し入れを食べて待っていただけますか」
なんらかの話が隊員には伝えられているのか、おじさんたちの期待のこもった視線を感じる。部屋の入り口あたりをチラチラ見ている人もいる。普通は外に置いてあると思うだろうな。
「お前ら! 喜べ! 優しいボスがお前らにお恵みを与えてくださるぞ!」
俺が右隣に座る園子に視線を向けると、斜め掛けにしたバッグに手を入れて、厚手の生成りのバッグというにもいささか地味な布袋のようなものを取り出して誓約書の隣に置いた。
目の前に座る人たちはそれを見てしばらくすると「まさか」という顔になる。俺はわざと隊員に見えるようにバッグの口を開いて見せる。そこには光も返ってこない暗黒があるだけだ。
誰かが「マジックバッグ?」と呻いた。その声を聞き付けた他のメンバーが身を乗り出すようにこちらを伺う。
ここに集う人々がダンジョンに潜り続けた時間は幾何たるや。万では効かぬ時間を費やしても、その影さえ見ることは叶わぬ希少アイテムが目の前にある。
その暗黒に手を入れて引き出したるモノは、ひとつ数百円の牛丼の入ったビニール袋だ。
「おい、お前たち、テーブル並べるの手伝え」
寅吉さんが立ち上がりながら声を掛けると、後輩なのか数人がテキパキとテーブルを並べる。
「監督、あとはわたしがやりましょう。さすがにわたしはサイン出来ませんので」
「あ、それじゃわたしも配給手伝うっす」
それはそうだろう。心情は理解できる。彼らは元々向こう側の人なのだ。
「それではお願いします」
マジックバッグを寅吉さんに託してサイン記入に集中する。視界の端で牛丼とハンバーガーが並べ始められる。
「みんなー! 出来立てだよー! どんどん持ってってよー! 邪魔になってるよー!」
「おい、箸どこだ!」「おお!? 生卵も!」「うお! あったけー!」「ポテトも熱いんだが?!」「ケチャップどこだ!」「ガキか! そんなもん付けんな!」「時間停止機能だと?!」「マジかよ!」「うめー!」
「黙って食い始めたヤツは誰だ! お前ら誰にあったかいメシ食わせてもらってると思ってんだ!」
この温厚なイケオジのどこにこの鬼が潜んでいたんだという、とんでもない怒声が響き渡った。これが猛者たちの鬼の副長!
思わずサインをする手が止まる。そして、怒鳴られた瞬間、全隊員が直立不動となった。
「大変、失礼いたしましたあっ! 新、クランボスにー! 敬礼!」
ザン! という音と共に綺麗に敬礼が揃う。どうすんだこれ?! とりあえず立ち上がる。
「あー、すいません。軍隊のやり方に疎くて上手く返せないのですが、たぶん答礼が必要なんですよね?」
目の前の人のを真似て敬礼する。そして下す。
「直れ! ボス! あたたかいメシをありがとうざいます!」
「ありがとうございます!!!」
井形さんが音頭を取ってみんなを仕切ってくれている。気を使って隊員たちを引っ張ってくれていると思う。これも昨夜一緒に飲んで話をした効果だと思う。井形さんに目線を合わせて軽く会釈すると口元を緩めてくれた。
立神さん、田茂さん、寅吉さんもだが、この部隊の上位者はみんなコミュニケーションや人心把握に優れた人ばかりだ。付き合いが深くなればなるほど『精鋭』という言葉が単に肉体的優位だけに留まらないことがよくわかる。
「どうぞ遠慮なく召し上がってください。こちらはですね、昨夜、お店の方に竜騎兵の皆さんへの差し入れということで急遽発注したものです。お店の方が大変喜ばれてですね、皆さんのためにと作ってくださいました。よろしくと言われましたので、あとでお店の場所をお教えします。お近くに立ち寄りの際にでもこっそり食べに行ってあげてください。それでは冷めないうちに召し上がってください。多めに用意してあります。お代わりもあるので遠慮なくどうぞ」
「総員! いただきます!」
「いただきます!!!」
「うめー!」「マジうめー!」
「お前ら! ダンジョン深層階で食うシャバのメシや! 味わって食えや!」
「レンジャー!!!」
「ホンマこいつら、いつまで経ってもガキのまんまや。ボス、一応ここはミリタリーやからな。階級は絶対や。Renegadesは竜騎兵より上やと常に考えとってください。せやから彼女たちも全員、士官待遇ですわ。おう、寅吉! お前今日から士官や!」
「は!? なんですかそれ?! なんで士官様がこいつら下々の者に給仕しなきゃなんないんですか」
「士官どの! お代わりを所望します!」「自分も!」
「勝手に持ってけ!」
わははは!
「貴様ら! 真面目な話だ! 竜騎兵はRenegadesの傘下に入った! Renegadesメンバーは竜騎兵の上官だ! 常に敬意を持て! ここに並ぶ彼女たちはお前たちの守護天使だ! お前達は兵士だ! 彼女たちの盾となれ! 剣となれ! 下僕となれ! 全身全霊を掛けて守り切れ!」
「レンジャー!!!」
こりゃ大変だぞ。




