46話 俺にできること
「……な、に」
予想だにしないアバレの言葉。
まるで心臓を鷲掴みされたような感覚が俺を襲った。
口の中が異常に乾く。
気がつけば俺の額には、暑くもないのに汗が浮き出ていた。
「それがお呼びした本題です。俺たちの恩人でもあるバエルさんに、このことを最初に伝えたかった」
「け、けどよぉ、聞き間違いじゃ? バエルにそんな知り合いがいるとも思えねぇし……いないよな?」
落ち着け。
落ち着かないといけない。
当然、俺に黒いローブの知人などいない。
ならば、俺の名を知る男とは何者だ?
ドラギアスの洞窟で出会った二人——今は消息不明のゲイルのみだが、汎用端末を使用していた以上、飛行能力など有していないはずだ。
いや、そもそもが、俺は名乗った覚えなどない。
必死に脳内に可能性を描くが、どれもズレているように思えて仕方がなかった。
「……」
ひとつだけ、ハッキリとしていることがある。
黒いローブの人物は、いつの日か俺の前に姿を現すだろう。
仲間と共にいる、俺の目の前に。
その時に、俺は——
「……なーんか、人ごとで悪いんだけどさ。ちょっと俺は安心したかな」
「チャイタン?」
「い、いや、気を悪くしないでくれよ! なんつーかさ、俺……バエルってなにも怖いもんとかないんだろうなって思ってた。でも、そうだよなー。そんな得体の知れないヤツに名前を知られてるってなると、さすがのバエルも怖いんだなって」
「おまっ、バエルさんに失礼だろ。そんなの誰だって怖いに決まってる。……すみませんバエルさん。こいつ、昔からデリカシーがなくって」
「んだよ、俺はそんなつもりで言ったわけじゃ」
——そうか。普通、そう捉えるんだな。
明らかな不審人物が、自分の名前を知っていたら恐ろしい。
当然なのだろう。
「……ああ。正直怖い。だけど、そうも言っていられないもんな」
嘘をついた。
二人の気持ちを利用するようで悪いが、そうしておくのが正しいはずだ。
「アバレ、話してくれてありがとう」
「男の姿は、少しの間しか見ていません。それでも不気味、という一言で片付けられない……なんと言うべきか、得体の知れなさを感じました。すみません。自分でもわからないんです。ですが」
「十分だ」
「まっ、バエルもそう言ってるんだ。それにバエルだったら、もしそんなヤツが現れてもなんとかなりそうだって、俺は思うぜ!」
「……ふっ」
自分でも、なぜ口から漏れ出たのかはわからない。
二人は対照的な表情で俺を見ていた。
「ふわぁあ……話が終わったなら、もういい加減帰ろうぜ。俺は明日も仕事が待ってる」
「……バエルさん、お気をつけて」
「ああ。アバレも、お大事にな」
こうして俺たちは神殿を後にした。
ずらりと並ぶ、明かりが目立つ店はどこも賑わっている。
外まで漂う香ばしい匂いに、急に腹から音が鳴り出した。
「……くっ」
俺の帰りを宿で待つ二人を思い浮かべ、誘惑を断ち切ることに成功した。
「そういえば、マーモンの話はどうだったんだ?」
通りを歩きながら、空腹を誤魔化すようにチャイタンに話しかけた。
カードリンク……いや、共調について、チャイタンはなにを知ったのだろう。
「ん? ああ、たいしたことじゃなかったよ。当たり前のことを、当たり前に言われただけだ。あんな言い方するから、俺ってばめちゃくちゃ緊張したのによー。バエルに話すような内容じゃなかったぜ」
「そうか」
「一応、共調は神殿に報告すると、それが未発見のカードの場合は発見者名が記録されて報酬金がもらえるんだとさ。バエルも気が向いたら申請してみたらどうだ?」
「考えておく。そういうチャイタンはどうするんだ?」
俺に聞かれることを予想していたのだろうか。
チャイタンは、待ってましたとばかりに足を止めた。
「いや、俺は申請しない。自分が発見しましたって言っちまったら、なんかダメな気がする」
「別に、セツは気にしないと思うが」
「そのセツさんの件。言われたとおり黙ってたけど、本当に良かったのか? あんな力があるってわかれば、変な噂なんかすぐに吹っ飛びそうだけどなー」
「……その噂ってやつ、いったいなんなんだ?」
エルドラードでウィルが面白げに語っていた時から知りたいと思いつつ、依頼を言い訳に自分を誤魔化していた。
いい加減、覚悟を決めないといけない。
「聞いて気分のいい話じゃない、なんつっても意味ないだろうしな。……くだらない噂話だよ」
俺の顔色をうかがうようにチャイタンは語り出した。
「俺も職業柄、流行してるモンとか噂話は勝手に入ってくる。誰が広めたかは知らないけど、この前客が話してた言葉だ。……左右で瞳の色が違う女に出会ったら注意しろ。それは不吉の前触れ。それは人の姿を取った異形——悪魔の使い」
強烈な言葉に、頭がズキリと悲鳴を上げる。
「……なにを、バカな」
「俺だってそう思う。セツさんと一緒に行動した今なら、なおさらな。ったく、ホントくだらねー」
おそらくその噂が広まったのは、あの日だ。
あの日、神殿の騒ぎに居合わせた誰かが言いふらしたに違いない。
「まぁ、バカみたいな話だし、一部で噂になってるだけだからな。ほっとけば自然に消滅するさ」
「……そうだといいが」
「だから俺、セツさんのことを報告したら、噂してるヤツらの見方も変わるんじゃないかって思ったんだ」
「……そうか」
あくまで憶測に過ぎない。
だがあの時、セツの言葉がなければカードリンクを発見することはできなかっただろう。
セツにはカード同士の繋がり——共調が見えているのかもしれない。
そして、それが事実であれば。
チャイタンの言う通り、今ある噂など吹き飛ぶ可能性が高い。
——それと引き換えに、セツを取り巻く環境は激変することになる。
「……チャイタンも見ただろ? カードに触れたセツには頭痛が起きていた。万が一、このことが国に知られたらどうなると思う?」
「あっ、悪い……忘れてくれ」
チャイタンは慌てた様子で頭をボリボリと掻いていた。
しかし、セツ自身が汎用端末を望んでいる以上、これから先もカードに触れる機会は訪れるだろう。
「——どうするべきか」
「ん? なんだって?」
「いや、話してくれて助かった」
約束した手前、反故にするわけにもいかない。
セツに負担を感じさせないために、俺がやるべきは——
「ホント、バエルはすげぇや」
「すごい?」
「だって、アバレからあんな話を聞かされた後なのによー。自分じゃわからないだろうけど、すごい顔してるぜ。まぁその理由も、顔にバッチリ書いてあるんだけどさ」
「俺にできることをしたいだけだ」
「……だから、それがすげーって話だよ」
頭の後ろで手を組み、チャイタンが先を歩き出した。
こちらからでは、その表情はわからない。
「今日はありがとな。また落ち着いたら会おうぜ」
「ああ。これからもよろしくな」
「へへっ、こちらこそだって」
そうして俺はチャイタンと別れた。
◇◇◇
「おかえりなさい、バエルさん」
「おかえり。遅かったわね」
早足で宿の部屋まで戻ると、二人の声に出迎えられた。
仲良くベッドに腰掛けていた姿を見て、ようやく身体から力が抜けた。
「ただいま」
そうして俺は、二人がいない間にあった話を伝えた。
独断で隠した内容もあったが、それは仕方がないだろう。
「お疲れさま。闇市かぁ、昔一度だけ行ったことがあるけど、今も同じ場所でやってるのかしら」
「ふぁぁ……石化を治せるエルフですか。世界には……いろいろなカードが……あるの、ですね」
「話はそんなところだ。セツも眠いのに待っててくれてありがとう」
「そ、そんなこと……ない、ですよ?」
呂律の回っていない声では説得力もあったものではない。
「それにしても、バエルはすごいわね。話を聞いただけで普通じゃないってわかる相手に目をつけられているのに、全然怖がっている様子もないし」
「それ、チャイタンにも同じことを言われた」
「なら、やっぱりそういうことよ」
リースが自信を持ってと言わんばかりにウインクする。
それを見たセツは、ウトウトした様子が嘘のように真剣な表情を浮かべていた。
「すごい、ですか」
「セツちゃんもそう思うでしょ? バエルの話を疑っているわけじゃないけど、違う世界から突然やってきたのに、信じられないほどカードに順応してる。私がそう思う理由は、他にもあるけどね」
「……拙は、ときどき、バエルさんが怖くなります」
鈍器でガツンと叩かれたように、頭が真っ白になった。
「怖い? うーん、確かにたまに思わなくもないけど」
「な、なんでそう思ったんだ? てか、リースまで」
セツは、思い詰めるような遠い目をしている。
その瞳の奥で、いったいなにを考えているのだろう。
これほど知りたいと思ったのは初めてだった。
「……もっと、ご自身を大切にしてください」
かろうじて耳に届くような声が聞こえると、セツは慌てた様子で口元を覆い隠した。
「き、今日は疲れましたね。そろそろ寝ます」
「そうね。私も疲れたから寝るわ。おやすみ」
「……おやすみ」
部屋から出て扉を閉めると、大きく息を吐いた。
肺にある空気が全てなくなるまで、時間をかけて。
自室に向かおうとするが、足は役割を放棄してしまっている。
想像もしていなかった言葉は、思った以上に堪えたようだった。
「自分を大切に、ね」
そちらは問題ない。
……心配するな、セツ。
俺は死なない。
いや、絶対に死ぬわけにはいかない。
「——俺も、戦い方を変えるべきか」
ポケットから魔導撮影機を取り出し、静かに呟いた。
言葉に出すことで決意を改め、胸の奥底に刻み込む。
背中を押すように、撮影機が光った気がした。




