47話 一歩前へ
「確かこっちの方だったはずよ」
前方ではリースが、薄暗い細道を見回しながら俺たちを先導してくれている。
圧迫感がある壁には、よくわからない落書きのような文字が書かれ、ひび割れたまま風化している箇所も多い。
「王都にこんな場所があったとはな」
「……ほ、本当にあるのでしょうか?」
隣を歩くセツが小声で呟くと、ビクッとしたように俺の服の裾を掴んだ。
セツの視線の先——壁際に座り、興味深そうにこちらを見ていた男を睨むと、露骨に目を逸らされる。
そうして道を進んでいくと、人の気配は少しずつ増えてきたが、こちらに視線を向ける方が珍しいように感じた。
「好き好んで来たい場所じゃないな」
見上げると、崩れかかった建物の隙間からは、この場所にそぐわないほど青々とした空が覗いていた。
俺たちは現在、闇市を探している最中だ。
そこでなら、セツの望む汎用端末が売られているかもしれない。
「あっ、やっぱりここで合っていたようね」
先行していたリースが弾むような声を上げ、俺たちに手招きしている。
狭い路地を抜けて辿り着いたその場所には、想像よりも多くの人が蠢いていた。
人間だけではない。
尾が異様なほど長い妙齢の女性や、肩からは魚のヒレのようなものが突き出ている男性。
みな、視線を合わせようとせず足早に歩いている。
「普通の市場じゃ、自分にあうものが見つからない種族もいるからね」
壁際には煤で薄汚れた露店が並び、使い古されたであろう布の上には見たこともない道具が雑然と鎮座している。
近くの店では売買が決まったのか、購入者の男はグランを店主に手渡して商品を受け取っていた。
「リースがマーモンに、報酬は現物のグランでと言っていたのはそういうことか」
「ここではクレドは使えないのよ」
なるほど、本当に頼りになる。
辺りを見回しながら進むと、こじんまりとした市場という印象を受けた。
だがこの場所からは、以前に利用した市場のような活気が感じられない。
誰もが互いを牽制しあっているような空気が、ある種、ルールのように闇市を守っているのかもしれなかった。
「あったわ」
リースの声に、俺の服の裾を掴んでいたセツが反応する。
俺を引きずるように店先へと向かう姿は、少しだけ微笑ましくも思えた。
「……らっしゃい」
店主の男は、顔を深く隠しており目元しか見てとれない。
似たような風貌が多い場所なので、特に気にすることもないだろう。
俺は雑に置かれた商品を指差し、男に話しかけた。
「これ、汎用端末だろ? いくらだ?」
「……あぁん?」
まるで珍しいものでも見るように、男は俺たちへと視線を向けている。
「兄ちゃん。これが欲しいってことは、あんた普通じゃないな」
「……売る気がないなら、さっさとそう言ってくれ」
値踏みをするように俺を眺めると、男は口元を歪めた。
「二千グラン」
「ふっかけるにしても笑えないな」
隣からはセツの不安げな視線を感じる。
「汎用端末ってのは、元の持ち主が行方不明にでもならない限り、こうやって市場に出てこない。そりゃ、値段も張る」
「……もう少しなんとかならないか」
ドレッドパンサー、そしてコカトリス。
依頼で得た報酬を注ぎ込んでも届かないとは思わなかった。
「そうなぁ……ヘヘッ、そっちの姉ちゃんが一晩相手してくれるなら少しは考えてやってもいいぞ」
「……おことわりね」
「つれないねぇ。サキュバスの魅力ってやつを味わってみたいもんだが」
リースが胸元を隠し、下衆を見るような視線を送る。
男はカカカと笑った。
「ねぇバエル、もう少しこの場所を見て回りましょうよ」
「そう、だな」
「……わかりました」
汎用端末からようやく目を逸らしたセツだったが、足は一向に動こうとしていなかった。
「そりゃいいが、そうそう出回るもんじゃないってことをわかってるんだろうな」
「……その口ぶりからすると、俺たちにも可能性はあるってことか」
「話がわかるじゃねぇか」
隣でセツが息を呑んだ。
男は背後にある袋から、高そうな箱を取り出した。
「グランが無理となったら、物々交換しかないだろ?」
「理解はできる」
「俺はこれに目がなくてね」
男が箱を開けると、大小さまざまな結晶がまるで宝石のようにしまわれている。
そして、それらには見覚えがあった。
「お前らが持ってる記録片によっては、交換してやらなくもない」
「ちょっと待ってくれ」
俺は袋から今までに入手した記録片を取り出した。
ただひとつを除いて。
「ほー、持ってるんだな。……サンダースネークのヤツは珍しくもなんともないが、こっちは初めて見るな」
男はドレッドパンサーの残した紫色の結晶を手に取り、空に掲げた。
「純度も悪くなさそうだ。ううむ、だが」
「……おそらくあんたじゃ、今後目にすることはない代物だろうな」
「……ふん、俺に駆け引きを挑むか」
「そんなつもりはない。それが事実だから教えただけだ」
「そうね。なんたってドラゴンサモナーが直々に入手した特別な代物だもの。激レアよ、激レア」
「おい」
リースは舌をペロッと出した。
「……兄ちゃんが、あの?」
それまで俺の顔を見ても反応がなかった男でも、その名前に聞き覚えはあるらしい。
いい加減、風化してほしい呼び名だが、この分だといつまでたっても聞くことになりそうだ。
「どうするんだ?」
「うーむ……」
「商人さん、お願いします。拙たちには、拙にはどうしても必要なんです」
懇願するように頭を下げたセツを見て、腕を組み唸っていた男がやれやれと息を吐いた。
「この紫のと、サンダースネークの記録片の二つ。これ以上の交渉は無理だ」
「バ、バエルさん?」
「……そんな目で見るな。わかってる」
俺は記録片を男に渡した。
「確かに。……ほらよ、嬢ちゃん」
「あ、ありがとうございます!」
「よかったわね、セツちゃん」
受け取った端末を宝物のように抱きしめたセツを眺めていると、商人から「ふっ」と音が漏れる。
心なしか、その目元が和らいだ気がした。
「……これで、拙も」
「端末を試すにしても、コモンカードが必要ね。カードはあっちの市場を見てみない? ちょうどおなかも空いてきたしね」
「そうだな」
おっさんに顔を見せに行くのも悪くない。
そうして闇市を後にしようとすると——
「……あ?」
背後から、耳奥にへばりつくような低い声が俺の鼓膜を打ち鳴らす。
瞬間、神殿で聞いた話が嫌でも脳裏を掠めた。
——要観察として、釈放される。
わかっていた。
今日にも街へと戻っている可能性があることは。
背筋を駆け抜ける悪寒を押し殺し、振り返る。
「——ガゾン」
「へへっ、まさかこんな場所で会うとはなァ」
リースもすぐに気づいたらしい。
隣にいたセツを庇うように前に出ている。
「おっと、そんな警戒すんなよ。なんもするわけねぇだろ〜? ……こんな場所じゃなァ」
「……お前、あのカードのことを隠したらしいな」
「はァ? カード? 知らねぇな〜」
ガゾンは目線を逸らし、耳の穴をほじくっている。
「忘れたとは言わせないわ! ガゾン、あんたあのカードをどこで——」
「——忘れたとは言わせない。それは、俺の台詞だろ」
低い声が、薄暗い闇市に落ちる。
刹那——俺は無意識に、セツたちを庇うように一歩前へと出ていた。
「ハッ! ヒーロー気取りかよ」
「……っ」
背後から、消え入りそうなほど小さな声が耳に届いた。
見るまでもなく、セツは震えているのだろう。
ポケットの中にある撮影機に手が伸びる。
——だが、俺の予想は外れた。
「せ、拙も戦います」
銀髪の少女——セツが、俺のさらに前に出てガゾンと向き合った。
「……セツ」
「あ、あなたのことは聞いています。もう拙たちに関わらないで、ください。もし、バエルさんたちに酷いことをするなら」
「テメェが戦うってか」
ガゾンの視線がセツを捉えた。
俺の身体が無意識に強張る。
以前、こいつがセツを舐め回すように見ていたことを忘れてはいない。
「……なんだ?」
思わず声が漏れる。
ガゾンの視線は、まるで何かを確認するだけのように、あっさりとセツの顔を通り過ぎていく。
やがてセツの手に握られた端末にとまると、ガゾンは顔を引き攣らせて目を背けた。
「……」
その変化に安堵するどころか、薄ら寒いものが走った。
周囲では、俺たちの様子を眺めるギャラリーも湧き出ている。
「ケッ、興醒めだぜ」
「……仲間に手出しはさせない」
「フン」
ガゾンは背を向け、歩き去った。
それと同時に、増え始めた人だかりもバラけていく。
「俺たちも出よう」
「ええ。セツちゃん、勇気あるわね」
「い、いえ。……拙も仲間、ですから」
セツからの視線を感じる。
何故か、セツの言葉は俺にも向けられているように思えた。
◇◇◇
闇市を出た俺たちは、テマリバナの食事に舌鼓を打った。
おっさんからは、もっと高い料理を注文しろと言われたが、これから出費がある以上、贅沢はしていられない。
その後、表の市場へ到着してすぐにコモンカードを見て回った。
並べられたカードを見て頭痛が起きてしまうのではと、一抹の不安があった。
だが幸い、セツの様子におかしなところはなかったと思う。
汎用性の高さから、セツにはファイアアローとウインドカッターを選び購入した。
セツは初めての自分のカードを手に持ち、ニヘ顔を浮かべていた。
依頼で得た報酬はほぼなくなったが、ぎこちないながらも喜ぶ顔が久しぶりに見られて良かったと思う。
そうして俺たちは、王都を出て近くの草原へと足を運んでいた。
「“シールド”!」
俺がカード名を告げると、宙から大きく無骨な盾が現れた。
明らかに重量がありそうな見た目をしているが、不思議なほどそれを感じさせない。
「……で、バエルはなんでそれを買ったの?」
「まぁ、ちょっと試したくてな」
だが、まずはセツが優先だろう。
「バエルは剣とか似合いそうだけどねー」
「そりゃ、使えるものなら使いたいけどな」
この世界に来てから、剣にはあまりいい思い出はない。
「ど、どうでしょうか」
弾んだような声が聞こえ、そちらを向く。
セツは紐をつけた端末を首にかけ、ネックレスのように下げていた。
それにしては大きいし重そうだが。
そう思った直後、獣型の小さな魔物が視界の端に映った。
既にこちらに気がついていたのか、突進は止まろうとしない。
「ちょうどいいな。とりあえずカードを使ってみたらどうだ」
手に持った盾を見せると、セツは少しだけ安心したのだろう。
「なんだかワクワクするわね! 頑張って、セツちゃん」
「は、はい!」
セツが緊張した面持ちで、端末に差し込んだカードへ指を添えた。
使用するのは、ありふれたコモンカードの一枚。
「——い、いきます! “ファイアアロー”!」




