31話 闇の胎動
再び屋敷に入った瞬間、リースが魔導撮影機を構えた。
「……ほら、だから言ったでしょう。待ち構えているわけないって」
「いや、考えすぎなくらいでちょうどいい」
先ほど訪れた通路には何一つ変化がない。
万が一、ガゾンの他に誰かがいる可能性も考えたが、杞憂なのだろうか。
「でもバエル。私に攻撃力は求めない方がいいわ。ガゾンは撮影者じゃないけど、油断はしないことね」
「俺に使ったカードはどうなんだ?」
「ガゾンには使いたくない……なんてね。実際、本当に使えないのよ」
リースが撮影機のカードスロットを指差し、肩を落とす。
見ると、装填されている一枚のカードに再装填のマークがついていた。
「なるほどな」
「カードごとに再装填にかかる時間が違うとはいえ、私の撮影するカードはどれも待ち時間が長いのよ。不公平だわ」
カードは一度発動すると、使い終わって再装填が完了するまで魔導撮影機から取り外せない。
全てのカードスロットが再装填状態になってしまうと、撮影者として致命的な状態に陥ってしまう。
だからこそ、使用するタイミングは見極めなければならない。
「それだけカードの効力が大きいんじゃないか?」
「効かなかった人間に言われてもねぇ」
その言葉とは裏腹に、リースは微笑んでいる。
自分の撮影したカードだからこそ、文句を言いつつ誰よりも信頼を置いているのだろう。
俺もここまでの暮らしで、撮影者のカードの力は嫌というほど理解しているつもりだ。
「まずは俺の魔導撮影機を取り返す」
真相を探るためとはいえ、出来れば避けたかった選択肢。
装填されていたカードを思い浮かべる。
……絶対に、ガゾンが触れていいものではない。
「ここだ」
先ほど声が聞こえた部屋の前に戻ってきた。
頭の中でシチュエーションを描いたが、穏便に返却されるとは思えない。
「何ボーっとしてるのよ。この部屋なんでしょ?」
「ああ。だが慎重に——」
俺が言い終わる前にリースは、バッッ! と扉を思い切り開けて部屋に踏み込んだ。
「ガゾン! あんたよくも私を裏切ったわね!」
「あぁん!? って、サキュバス女……な、なんでここにいやがる!」
「……リース、度胸あるな」
俺一人だったらまだ扉の前から動けなかっただろう。
成り行きに任せ、部屋の中に足を進めた。
「……っ! テメェ」
俺の姿を見るや否や、ガゾンの態度が一気に変化した。
「——なるほど、テメェまでいたか」
「撮影機を返してもらう」
「ハッ……そう言われて返すようなら最初から奪ったりはしねぇよな」
本人に不釣り合いなほど高そうな外套から俺の撮影機を取り出すと、こちらを睨みつけて大きく舌打ちした。
「……テメェのカードを見せてもらった」
「何——」
「俺は撮影者じゃねぇが、これだけはハッキリわかる。……あのカードは異常だ」
「……ッ!」
今も帰りを待っている、銀髪の少女の顔が過った。
「——テメェ何者だ! どうやってアレを撮影した?」
「……それをお前に答える義理はない」
「フン……正直に言えばカードなんて俺はどうでもいいがな。俺の依頼主もそうとは限らないぜ」
「バカな——! お前が依頼主じゃないのか!?」
思わず奥歯を食いしばるが、乱れた呼吸までは誤魔化せなかった。
そんな俺を見て、ガゾンは嬉々とした声を上げる。
「あの野郎、少し報酬金の相談をしたらキレやがって……次は交渉に使わせてもらうぜ、テメェの秘密をなァ! そんで全て片付いた後は……ヒヒッ、わかってんだろ」
歪に開いた口元から歯茎を晒し、ねっとりした視線で俺を見ている。
下品さを隠しきれないその瞳には、俺ではない別の何かが映っているようだった。
「……あんたの他にも、とんだゲスがいたものね」
「ハハハハ! 俺の操り人形だった同類に、今さら何を言われても痛くも痒くもねぇなぁ」
ガゾンは突き出た腹を抱え、大口を開けて笑う。
「——そう。今さらよね。後悔しても、時は戻らない」
深い哀愁を帯びた声が耳に届く。
次第に顔を俯かせていくリースを見て、ガゾンは満足した様子だった。
「結局、テメェは俺に従うしかねぇのさ。知りたいんだろ? 闇のカードのこと」
「興味がないと言えば、嘘になるわね」
「だったら……わかってるよな?」
ガゾンは、勝ち誇った様子で俺を見ている。
これで形勢逆転とでも言いたいのだろう。
——果たして、どうかな。
「……私も同罪だって、わかってる。……それでも!」
リースの瞳は迷いを吹っ切ったように、ひたすら前だけを見据えていた。
「酷いことをした最低の私を信じてくれる人がいた。こんなやり方に頼らなくても、私は必ず見つけ出してみせる。——踊りなさい! “ドリームテンプテーション”!」
リースの魔導撮影機が桃色の光を放つ。
「ぐっ……! なんだと! テメェの身体なんか、興味ねぇってのに! くそが! な、何で魅了が使える!?」
ガゾンはリースの首元を睨みながら、一歩ずつ前へと進んでいく。
足は抗うように震えているが、その歩みは止まりそうになかった。
「魅了じゃないわ。別にあんた、今も私に魅力なんて感じていないでしょ?」
「ったりめぇだ! 俺はもっと! ……なら、何だってんだよ!!」
「意識を強制的に私へと誘導させるカード……それが、ドリームテンプテーションよ」
リースが俺にパチンとウィンクする。
「……やっぱり強いじゃないか、リース」
これで準備は整った。
「バエル! そろそろ効果時間が切れるわ!」
「……ガゾン!!」
「ッ!! 来んじゃねぇー!!!」
……そんなヤツの手に握らせちまって、悪かったな。
お前も、待ちくたびれただろ?
俺はようやく、魔導撮影機を取り戻した。
すかさずガゾンへ向けて構える。
「——形勢逆転だな」
「くぅぅ……どいつもこいつもふざけやがって……くそっ!!」
「!!」
カードの効果が切れたのか、ガゾンが俺に手を伸ばす。
それを咄嗟に避けると、最初から逃走を狙っていたのか、そのまま脱兎の如く逃げ出した。
「くそっ! 行くぞリース」
「わかってるわ!」
ガゾンが逃げ込んだ先は屋敷の広間だった。
備え付けの暖炉に火は灯っておらず、テーブルひとつ置かれていない。
バルコニーにも窓辺にも装飾品の類は見当たらず、ここまでは空き家と聞いていたとおりだった。
「……なんだ、あれ」
部屋の中心には、ただひとつ、明らかに異質なものが存在感を露わにしている。
「知らない……この屋敷に、こんな部屋があったなんて」
吹き抜けの天井には、明滅を繰り返す紫色の魔法陣が描かれていた。
その中心に刻まれた禍々しい黒い紋様が、部屋全体に異様なまでの圧迫感を植え付けている。
「チッ、こうなりゃーやるしかねぇよなぁ!」
ガゾンは諦めたのか俺たちに向き直り、外套を脱ぎ捨てた。
野太い腕に巻かれた汎用型端末が妙に印象に残る。
「何で何もかもうまくいかねぇんだろうなぁ。俺が何をしたってんだ。何で世界は俺の邪魔ばかりする。なぁ教えろよ……撮影者様ァ! “ファイアボール”!」
ガゾンの手元から火球が襲いかかる。
以前の経験のおかげで、必要最低限の動きで躱せた。
「——ッ!!」
だが、問題なのはその危険性だ。
「——こいつ、部屋の中でカードを使いやがった!」
「嘘でしょ!?」
俺たちがほぼ同時に背後を振り向く。
火球は壁にぶつかると、音もなく吸い込まれていった。
「何——」
「ヒヒッ! この部屋は特別仕様みたいでなぁ。カードの効果は外に及ばねぇって聞いてたが、こりゃぁ疑っちゃ失礼ってもんだ。これで思う存分、ヤレるってことだよなぁ!」
「バエル、ガゾンの様子が変よ。一旦体勢を立て直しまし——」
「“クローズ”!」
ガゾンの端末が光ると、薄い膜が部屋の入口を覆っていく。
ドラギアスと出会った洞窟で使用されたカードだと認識するのに、そう時間はかからなかった。
「……お前も、そういうやり口なんだな」
「こんなゴミでも、たまには役に立つってかぁ?」
「リース、やるしかない」
「わ、わかってはいるけど……ごめんなさいバエル。私、しばらくカードが使えないの」
リースの口元が少し引きつっている。
向けられた撮影機——夢魔の王女。その二つのカードスロットは、どちらも再装填中になっていた。
「撮影者でもないガゾンが、ここまで動けるなんて……」
「いや、助かった。後は俺がやる!」
撮影機をガゾンへと向け、攻撃カードの名を唱える。
「——“ライトニング”!」
鋭い稲妻が、その身を焦がそうと襲いかかる——!
だがガゾンはその名を聞いた瞬間、薄く口元を歪めた。
「……ライトニング、ねぇ」
ガゾンが面白くなさそうに横に動くと、稲妻は壁へと吸い込まれていく。
「躱された!?」
「ハァー! お前さ、まさかそのカードが『強いカード』なんて思ってないよな?」
「俺にとっては大切なカードだ」
「……なぜそれらがコモンと呼ばれているかを、お前らのような恵まれたヤツは考えたこともねぇんだろうな」
「……何だと」
俺の撮影機を睨むガゾンからは、これまでの軽薄さが消えていた。
どこか忌々しげに端末からカードを装填している。
「すっかり酔いも醒めちまった。もう消えろよ、お前」
「避けて! バエル」
「“アイスストーン”!」
「——“アクセル”!!」
頭上に冷気を感じたが見る暇などない。
窓から差し込む月光が床に影を落とし、後方に飛ぶ判断ができた。
「——っ!」
次の瞬間、白い大玉がズドンッと床に激突して砕け散る。
我ながら英断と言わざるを得ない。
アクセルがなければ、おそらく間に合わなかった。
「誰にでも使えるコモンカード最大の弱点。それは——その単純な効果が、国中に知れ渡ってることだ」
「……なるほど、な」
「低級の魔物には通用するが、所詮その程度の微弱な力だ。その点お前ら撮影者のカードは、その全てが強力なオリジナルカード。だからこそ相対しても、完璧な対策はまず立てられない」
ガゾンの瞳からは憎悪が滲み出ている。
どこかやるせなさを含んだ表情は、とてつもなく残酷な真実を物語っているようにも思えた。
「……ああああああ!! 本当に世界ってのはクソ塗れだ!!!」
片手で頭を掻きむしり、興奮した様子で息を整えている。
刹那——ガゾンと再び目が合った。
「……あんた」
そこには、偽りのないガゾンの姿があった。
「コモンなんかじゃ何も成し遂げられねぇ。——撮影者になれないとこの国じゃ成り上がれねぇ! ……だからこそ!! ここから這い上がるには、もうこうするしかねぇんだよぉぉぉおおおお!!!!!!」
ガゾンのこめかみに血管が浮かび、怒り狂ったように新たなカードを取り出す。
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。
「……何だ!?」
ガゾンの手にしたそれは、本当にカードなのか?
通常のものとは明らかに違い、どこか悍ましい気配を漂わせている。
「……え!」
リースが口元を押さえガタガタと震え出した。
「あ……ああっ」
「——まさか!?」
それは、どこかで聞いた話の続き。
「……こんな狂った世界の方が間違ってやがんだ」
黒光りしたカードが、ガゾンの端末に装填された。




