32話 変容
「使うなって言われてたがもう我慢ならねぇ。テメェの魔導撮影機を奪うためなら何でもしてやるよ! “———”!」
ガゾンが何かを叫んだ途端、端末から黒い靄が放たれた。
それはまるで意思を宿しているように、一箇所へと集い闇を形成していく。
「終わりだ! 撮影者ども!!」
黒き幻影から放出された禍津風が俺たちの全身を突き抜ける。
顔を手で覆うのがやっとだった。
「くっ! 何だあのカードは!?」
「あ、あの色……あ、あれ、あれは——」
リースはパニックを起こしており、目の焦点が定まっていない。
凄まじい風圧が空間を支配している。
ガゾンに笑みこそないが、勝利を確信したような態度で闇を眺めていた。
「……な!? 話がちげぇじゃねぇか!!」
刹那——ガゾンの顔色に変化が訪れた。
今や黒い球体となった闇が再びバラバラになり、ガゾンに纏わりつくように身体を包み込んでいった。
「くそ! や、やめろ! わぷっ、た、たすけ……ぎゃあああ!!!!」
ガゾンは溺れるようにもがいていたが、やがて全身が黒に染まる。
時間にすれば、ほんの数秒。
だが、その数秒が異様に長く感じられる。
覆っていた闇が解き放たれ、ガゾンが再び姿を現した。
「——ウヴァァァアアア!!!」
「——なっ!?」
瞳は赤黒く染まり、フシュー、フシューと息を漏らす口元からは血がダラダラと垂れ続けている。
それだけでも異常。
だが、異変はそれだけでは終わらなかった。
「ゥウウウ!!」
ガゾンの頭部に大きな角が生えていた。
それだけではない。身体全体が、元の倍に膨れ上がっている。
酒飲みの贅肉ではなく、魔法のように硬質化された筋肉が隆起していた。
不気味に身体を揺らす姿は、人でもなければ、獣ですらない。
異形と化したガゾンは、ただひたすらに俺たちを睨みつけていた。
「——」
明らかにヤバい。
頭ではわかっているのに、身体は動き方を忘れたように硬直してしまった。
「グゥ……ァァアアアアアア!!!」
既に理性はないのだろう。
その悪魔じみた身体が俺を目掛けて迫り来る。
——早く! 早く動け!
脳が命令を送る。
だが動き出すより早く、後先を顧みない体当たりが俺を直撃した。
「——ゲフッ」
吹き飛ばされて床に転がる。
しかし、身体は無意識に頭を守る役割だけは果たしてくれた。
「ッッヅヅヅ!!!」
全身に激痛が走った。
思わず意識を手放しかけたが、ここで沈むわけにはいかない。
俺が倒れたら、誰が守るっていうんだ——
「リ、リース!」
「あ、ああ……バエル」
前方を見ると、リースは同じ場所でぺたんと座ったままだ。
「……やるしかない!」
異形が悍ましい咆哮を上げている。
あの巨体からねじ込まれる衝撃は、きっとリースの身体では受けきれない。
「“ライトニング”!」
俺はリースに協力すると誓った。
果たさないままでは、終われ——
「——発動しない!?」
だが、唯一の攻撃カードは発動しなかった。
これまでライトニングを使っていた時の感覚とは、何かが根本的に違う。
「リース! 逃げろ!!」
「……ォォオオオオ!!」
俺が叫ぶと、ガゾンは再び俺に向き直り、憎しみがこもったような唸り声をあげる。
変異した肉体も相まって、直視することを本能が拒んだ。
本当に理性がないのか、近くにいるリースをまるで見ていない。
「ッアアァ!!」
再び突撃されると身構えていたが、ガゾンの腕の端末が光り、火球がこちらへと放たれた。
辛うじて避けられたが、次の瞬間にはガゾンが動き出していた。
「くそっ、動け!!!」
とうに体力の限界は訪れていた。
俺の足が、石化したように役割を放棄したのも当然だ。
だが俺が力尽きたら、リースも、セツも守れない。
「……こんなもんじゃねぇだろ、俺のッ」
言葉は続かなかった。
魔導撮影機を見ると、カードスロットに装填していたライトニングが光り輝いていたからだ。
今すぐ膝をつきたい。
そんな弱い心に鞭を打ち、気力を振り絞ってその名称を叫ぶ。
頼むぜ、マジで……!
「——“レールガン”!!!」
カッ!
端末から粒子が舞った。
ジジジジ……ギギ、バリバリ!
幾重もの雷が重なったような破壊的な悲鳴が広間に轟く。
瞬く間に、闇夜を穿つように輝く電磁銃が顕現した。
「いけぇぇぇえええ!!!」
……バリバリバリ! ——ズギュゥゥゥゥーン!!!
銃口が、俺の目前まで迫っていたガゾンを捉えた。
ゼロ距離で放ったのは、無慈悲な電磁砲。
「グォオオオオオオオオ!!!」
バリバリと轟く雷撃がガゾンへと着弾した。
その肩を穿っても勢いは衰えず、巨体ごと壁へと叩きつける。
やがて轟雷が消えると、残光の軌跡が静かに薄れていった。
「……助かった」
ライトニングを装填していたスロットに現れたカード。
その威力を前にすると、ライトニングさえ子供騙しに思えてしまう。
「グ……バァ……バァア!」
ガゾンは撃ち抜かれて膝をついていたが、震える肩を押さえて立ち上がろうとしていた。
片腕は、もう機能していないのだろう。
理性も失っているはずなのに、それでも俺を睨み続けていた。
「ド……バァ!!」
ガゾンの端末が光る。
俺の頭上を、再び大玉の影が覆う。
だが見上げることもなく、電磁銃を掲げ、迫る大玉を一撃で撃ち砕いた。
「……ッアア」
それでも、ガゾンは俺から目を離さない。
何かを訴えかけるような瞳に、俺は唇を噛んだ。
「ッ! これで終わりだ! ——“レールガン”!」
「ゴ……」
最後の一撃は戦闘の終了を告げた。
ガゾンは白目をむき、口を大きく開けたまま床へと崩れ落ちる。
「ッ……ハァ……」
手元の撮影機を確認すると、確かにレールガンだったはずのカードがライトニングに戻っていた。
「……一時的な変化」
俺が力を欲したからか?
……バカな。
そんなお伽話、あるはずがない。
——カードが変化する条件があると考えるべきだ。
そう結論づけた瞬間、ガゾンの周囲に闇が満ちた。
「まさか——まだ!」
だが闇はすぐに晴れる。
その後には、黒いカードを使う前の姿に戻ったガゾンが倒れていた。
「本当に、わけがわからない……」
胸中に渦巻く疑念を押し殺し、リースに声をかける。
「……終わったぞ」
「な、何、今の……それに、あなた——本当にすごい、わね」
まだ腰が引けているのか、リースはゆっくりと立ち上がるとこちらに歩いてきた。
「お礼を言わないと。あなたのおかげね」
「それを言うなら俺の方こそだ。リースがいなかったらガゾンに辿り着くのが遅れていた。そうなっていたら俺の仲間が危なかったかもしれない」
セツを見るガゾンの視線は、言葉にするのも憚られた。
俺一人では後手に回っていた可能性も否めない。
リースと出会えたおかげで、ガゾンの件は解決に向かいそうだ。
「優しいのね」
リースは、倒れ伏したガゾンのそばで端末を確認している。
「……そんなんじゃない」
だが、問題が解決したとは言えないだろう。
先ほどの疑問も晴れない。
なぜ、あのカードを使ったガゾンは化物のような姿になった?
そして、ガゾンの裏で手を引いていた依頼主とは何者なのか。
「……見つけだすさ」
俺が静かに決意を口にした瞬間、リースからしぼんだような声が届いた。
「ガゾンの端末から、黒いカードが消えてる……」
「消えた、だと?」
「ええ。簡単には証拠を掴ませてくれないようね」
ガゾンが使用したカードがリースの求めているものだったかは、今となってはわからない。
だが仮にリースの探す闇のカードではなくても、俺にはあのカードがどうしようもなくおぞましいものに思えた。
「少し、休むつもりだったんだけどな」
——それは、まだ見ぬ戦いを予感させるには十分だった。
「はぁー。また一から探し直しね」
「……どうするんだ?」
そして、俺にとっての小さな戦いが、この場で始まろうとしている。
「たとえ何年かかっても私は見つけるわ。姉を殺したヤツに繋がる手掛かり——あのカードを」
「長い戦いになりそうだな」
「そうね、気長に探してみる。協力してくれる人がいるのは頼もしいわ」
リースは両手を後ろで組み、俺の顔を見て微笑んでいる。
「一人じゃ限界があるって、薄々私も気づいてた。今後はたまに会ってくれると嬉しいわ。私は私で頑張ってみるから、会えた時に情報を教えてちょうだい」
やはりリースはそういうつもりだったらしい。
だが俺は、それだけで協力を申し出たつもりはない。
「……」
これから告げなければいけないと思うと、なぜか心臓が早鐘を打ちはじめた。
伝えることは、決まっているのに。
それでも、もし断られたらどうしようという不安が、最後の一歩を踏み出せなくしていた。
「さてと、そろそろ撤収ね。神殿に報告もしないと」
「……リース」
俺はセツのおかげでひとりぼっちじゃなくなった。
「ん? なぁに?」
今度は、俺の番だ。
口が乾くのを誤魔化すように、強引に喉を鳴らした。
「——俺たちと一緒に来ないか?」




