30話 闇に潜む者
「——え」
ゆっくりとこちらを向いたリースは、まるで幻影でも見たような顔をしている。
「……よっ」
「バ、バエル? どうしてあなた、ここにいるの!?」
「なんだよ、喋れるじゃないか」
出会って間もないのは承知している。
それでも、変わりゆく表情は見ていて新鮮だった。
「だ、だって私のカードが発動していたはずよ。なのにどうして」
「お前が部屋に来る前から、カードを発動していたんだ」
「……カード」
サンダースネークには色々な意味で感謝しないとな。
「アイギスベール。状態変化を防ぐカードだ」
見せてやりたい気持ちはあったが、それは叶わない。
「……そう、準備万全で待ち構えられていたってこと。私もバカね」
リースは力なく笑うと、小さく息を吐いた。
「だったら、どうして魔導撮影機をその場で取り返さなかったのよ。あなたならそれができたんじゃない?」
「俺にも事情があってな」
形のいい唇が動きかけたが、リースはすぐに顔を伏せた。
「……笑いなさいよ。滑稽でしょ?」
「いいや、そうは思わないが」
「それとも、取り返しにきたわけ? 言っておくけど、もう私はあなたの撮影機を持ってないわ」
依頼主の正体。先ほど見た姿が浮かぶ。
「ガゾン、だろ?」
「……ええ。ある報酬と引き換えに、あなたの撮影機を渡す約束だった」
だった、か。
「なぜお前はあんなやつに従ったんだ?」
「……あなたに、何がわかるってのよ」
リースの顔が上がる。
切れ長の瞳が、何かを訴えかけているように見えた。
「話してくれないか」
「……」
互いの呼吸だけが場を支配する。
だが不思議と、居心地は悪くない。
「あのさ——」
「ん?」
リースの口が開いたが、言葉は続かなかった。
またしばらく沈黙が続くのだろう。
そう、思いかけていた。
「……あなた、闇のカードって知ってる?」
「つい最近その名前を耳にしたな。だがそれは、ガゾンの作り話だと——」
「——私が! 勝手にそう呼んでるんだけど……でも、それはね、確かに存在するのよ」
有無を言わせない口調。
ひたすら下を向いたまま、リースは語り出した。
「私には姉がいた。能力が高く慕われていた姉のように、いつか立派なサキュバスになりたいと思っていた。そんな自慢の姉はね……まぐわいの最中に殺されたの」
「……そう、か」
「私は幼い頃、隠れて一度だけ姉の行為を覗いたの。その時に見た姿が、姉の最期だった」
「……気を悪くしないでほしいが、痴情のもつれだったりしないのか?」
「——違う! あんなの……そんな空気じゃなかったわよ!」
声に勢いが増していく。
それまで微動だにしなかった身体が、少しずつ上下し始めた。
「姉を殺した男はカードを持っていたわ。……黒いカードだったと思う。私も幼かったし、パニックで全部は見ていられなかったけど……気づいた時には姉の身体が霧みたいなものに包まれて——」
「霧だと?」
「あれは普通じゃなかった。私は、私は——姉を殺した男の手掛かりを探しているの」
「……それでガゾンに従ったんだな」
「ずっと探していた手掛かりが! ようやく得られるかもしれなかった!!」
激しく叫ぶと、リースが顔を上げた。
その瞳の奥で、感情をせき止めていた何かが今にも崩れようとしている。
「でも現実は非情ね。あなたの撮影機を渡した途端、ガゾンは私を殴って、私の撮影機まで奪った。そして気づいたらこの部屋にいたの。大方、闇のカードの情報も嘘だったんでしょうね」
辿り着いた情報。
ガゾンが話す闇のカードの真偽はわからないが、リースにとっては藁にも縋る思いだったのだろう。
「リース、お前が俺の撮影機を奪ったことに変わりはない。……償う気はあるか?」
だからと言って、リースを素直に許せるほど俺は人間ができてはいない。
座り込んでいるリースを見つめ、静かに告げた。
「こんな牢の中じゃお詫びのしようもないけど……何をお望みかしら」
リースの上目遣いに耐えられる男は少ないだろう。
先ほどの話のせいだとわかってはいるのに、その瞳の潤みは俺に余計な勘違いをさせそうになる。
「……望みか」
それでも——
俺がリースに願うことはただひとつ。
「この件が無事に解決したら、会ってほしい少女がいる」
「……何それ。そんなことでいいの?」
「承諾してくれるなら、今後は俺もお前の探しものに協力すると誓う」
「——え?」
……なんだよ。そんな表情もできるんだな。
「そこまで知りたいなら、二人で探した方が効率がいいだろ」
「あなた……私の話を信じてくれるの?」
「まずはガゾンをとっちめる。報酬、貰いに行かないとな」
「……」
互いに見つめ合う。
客観的に見れば、恋人同士に映ったのかもしれない。
だが、俺の経験値が足りずにその時間は長く続かなかった。
「も、勿論、俺の撮影機の奪還も手伝ってもらうぞ。というかそれはリースの義務だ」
「……不思議な男ね」
リースに「少し後ろを向いてて」と言われたので従う。
俺の方こそ、今の顔を見られたくなかったからな。
「……ガゾンに一泡吹かせるわよ、バエル」
再び向き直ると、リースは不敵に笑っていた。
「この牢はカードキーで開閉できるようになってるわ。屋敷のどこかにあるだろうから、バエルに探してきてもらうしかない」
「だがどうやって屋敷に潜入する。俺はピッキングなんてできないぞ」
「この屋敷は元々空き家よ。頼むわね」
「だから?」
「え?」
なんだか話がかみ合わない。
この感じは久しぶりだな。
そう、ここは異世界なんだ。
これはアレだ。
恐らく、俺の常識が——
「空き家にわざわざ鍵をかける人なんていないでしょう?」
「がら空きかよ!!」
◇◇◇
「やれやれ、まいったな」
半信半疑で扉を押してみると、呆気なく開いた。
今のところ、屋敷にガゾン以外の気配がないのは救いと言える。
懸念は、ガゾンがカードキーを持っている可能性だ。
だがリースから「あの男は興味のないものは持ち歩かない」と聞いていたので、それを信じるしかない。
リースは、ガゾンが俺の撮影機を狙っている理由まではわからないと言っていた。
焦る気持ちを必死に押し殺し、慎重に進んでいく。
「……マジかよ」
玄関からさほど遠くない通路の壁際で、リースの魔導撮影機とカードキーを見つけた。
「……返してもらうからな」
罠かと思い慎重に近づいたが、本当に無造作に置かれているだけだった。
とても撮影機に関心があるヤツのすることではない。
「——遅か——じゃね」
「!?」
奥の部屋からガゾンの声が聞こえた。
俺の侵入がバレたのかと焦ったが、どうも違うらしい。
慎重に近づき、扉にそっと耳を当てた。
「……全然連絡がつかねぇ——か。あんたに——報酬」
途切れ途切れにしか聞こえず、ガゾン以外の声は拾えない。
まるで誰かと話しているような口調に、思わず奥歯を噛み締めた。
「……くそっ」
今、俺のやるべきことは、それじゃない。
気持ちを抑え、リースのところへ戻ることにした。
◇◇◇
ピー!
カードキーを鉄格子にかざすと、錠が難なく外れた。
「これで自由ね。さぁ行くわよバエル」
「ほら」
牢から出て伸びをしているリースに魔導撮影機を渡すと、彼女は宝物を取り戻したように頬ずりした。
「だがリース。その首輪はどうするんだ?」
「ああこれ? 種族の力を封じるものらしいけど、気にしなくていいわ」
まるでどうでもいいことのように振る舞っている。
「いや、サキュバス的には大問題だろ」
「ああ、言ってなかったわね。私——魅了が使えないの」
「——え」
何気なく言われた一言で、一瞬頭が真っ白になった。
……使えない?
「ガゾンは気づかなかったんでしょうね。だから、今は悪趣味なアクセサリーってこと」
先行していたリースはこちらを振り返ると、イタズラっぽく舌をペロっと出した。
「待て! 魅了対策でどれだけ悩んだと思ってる!」
アレも! コレも!!
全部意味なかったってことか!?
「いいじゃない。そのおかげで今があるって考えれば」
「……くっ! ガゾンのところへ急ぐぞ!」
「ええ!」
楽しげなリースと共に地上へと走り出す。
もう深く考えるのはやめた。
俺の口元も、自然と緩んでいく。
「……バエル」
階段を上り終える直前、背後から声が届く。
「……私は、本当にそう思っているわ」




