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29話 サキュバスプリズン




「起きてたのね」


 忘れもしない、あの夜の衝撃を思い返す。

 なまじサキュバスという種族を知っていたからこそ、引っかかりは今も残っていた。


「来る気がしたんだ」

「へぇー、そうなの」


 その女……リースと名乗ったサキュバスは、俺をあしらうように笑った。


「……何の用かって、聞いてもいいのか?」 

「サキュバスがこんな時間に部屋に来る目的なんて、ひとつしかないんじゃない?」


 胸の下で腕を組み、その肢体を魅せつけるように立つ姿は確かにそう見えなくもない。   


「それが本当なら、俺は運がいいのか悪いのか。どっちなんだろうな?」

「……随分と余裕があるようね」

 

 沈黙が場を支配した。

 俺の警戒は、嫌でもリースに伝わっているはずだ。


「どうした?」


 牽制を込めた言葉は無視され、リースは辺りを見回している。


「今日は連れの女の子はいないのね。強がってるけど……ふぅーん。あなた、本当は期待してたんだ?」


 口角があがり、唇の隙間から舌を覗かせる。

 それは夢魔が獲物を狩る前の、種族として染み付いた仕草。


「お前に、それができるのか?」

「……どういう意味?」


 リースの顔から余裕が消えた。


「俺には、お前がその目的で来たようには思えないな」

「……何を言っているのかしら」

「なら魔導撮影機(アルカ・グラフ)を手にしている理由は?」

「……」

「それに、前回のお前は……」


 俺の勘違いならそれでいい。


 あの時のリースは。

 どこか、怯えている(・・・・・)ように見えたのだ。


「……そう。そうなのね」


 リースは俯き、表情がこちらからはうかがえない。


「何か事情があるなら、俺で良ければ話してくれないか?」

「——何も、ないわ」


 再び顔を上げたリース。

 切れ長の赤い瞳には、サキュバスとしての色気ではなく、何かの決意が宿っているように見えた。


「無駄話はやめましょう。あなたに話しても意味がないようだしね」

「なら何の用で俺に付きまとう」

「私の目的はひとつだけ。——あなたの魔導撮影機(アルカ・グラフ)よ」

「……何!」


 だが撮影者本人じゃないと撮影機もカードも使えないはず——


「それは……想定していなかったな」


 思わずポケットに手が伸びる。


「私の雇い主がね、どうしても欲しいらしいの。あなたの魔導撮影機(アルカ・グラフ)


 雇い主。

 リースの口から出た言葉に、俺の心臓は早鐘を打ち始めた。


 ——今回の件は、そう単純な話ではないらしい。


「……素直に了承するヤツは、いないだろうな」

「ええ、そうでしょうね」


 サキュバスのリースを使ってまで、俺の撮影機を狙う敵がいる。


「私の魔導撮影機(アルカ・グラフ)……夢魔(Princess)の王女(Nightmare)。あなたに味わわせてあげる」


 リースは自身の撮影機を持ち直し、俺へと向ける。

 纏っていた色気は、その身から完全に消え失せていた。


「……ここでやる気か!?」


 反射的に撮影機を取り出し構える。

 

「あら、まさかここで攻撃するつもり? そんなことできないわよね」


 宿の中で攻撃カード(ライトニング)を使うわけにはいかない。

 だが、それはリースとて同じ条件のはず。


「サキュバスが撮影者になると、どうなると思う?」

「……さぁな。俺が知っているとでも?」

「私が教えてあげる」


 リースの手に持った魔導撮影機(アルカ・グラフ)が怪しく光り出す。


「人に使うのはあなたが初めて。——“私が上よ”」


 ズゥゥゥウウン!!

 頭上から、身体を押しつぶすような重圧がのしかかる。


「ぐぅっっ!」


 強制的に肺から空気が押し出され、思わず床に這いつくばった。


「対象の重力を変化させてダメージを与える。そして、受けた者はしばらくその場所から動けなくなる。——バインド効果付きのカード」

「くっ……」

「こういう絡め手が撮りやすい種族もいるってことよ。勉強になったわね」


 リースは上から満足そうに俺を見ている。


「雇い主と言ったな。……お前はそれでいいのか?」

「……」

「お前……この前震えてただろ。俺には、お前が悪いヤツには見えなかった」


 一転して敵意を剥き出しにする態度には、どこか違和感がある。

 その原因が雇い主にあるのであれば。

 リースを退けても新たな刺客が現れるだろう。


 ならば、俺は——


「俺で良かったら力になる。……話せよ」

「……いいえ、終わりよ。いくらドラゴン使いでも、こうなればただの無力な人間ね。バインド効果が切れるまで、そこでおとなしくしていなさい」


 リースは俺の魔導撮影機(アルカ・グラフ)に手を伸ばしている。

 敢えて抵抗せず、その手が届くのを待った。

 その瞬間——


「……許してね」

「お前——」


 消え入りそうな声と共に、リースの手が止まった。

 だが、それも一瞬。

 躊躇うように宙に浮かんだ手先は、迷いを断ち切るように俺の撮影機を掴んだ。


「これであなたはもう何もできない」


 冷酷な声色と共に、リースは俺に背を向けた。


「もう会うこともないと思うけど……あなたのこと、嫌いではなかったわ」


 嵐が過ぎ去ると、部屋に静寂が戻った。

 後に残されたのは床に這いつくばる俺一人。


「……さて」


 思わぬ事態になったが、どの道いつか起きていたことだろう。

 バインドとは想定していなかったが、何も問題はない。

 重力に縛られていたはずの身体を、何事もなかった(・・・・・・・)かのように起こした。

 身体の痛みは残っているが、今は我慢するしかない。


「行くか」


 廊下へ出ると、階段を下りていく桃色の髪が見えた。

 距離を保ち、慎重に後を追う。


「……あいつ、さっきも」


 去り際のリースの顔を思い返す。

 

 ……やはり俺には、リースが事情もなく撮影機を強奪するようには思えなかった。

 

 ——黒幕が油断している内に全てを暴く。

 

 リースの向かう先に、必ず答えが待っている。

 

 


◇◇◇




 リースを尾行して辿り着いたのは、周囲の家と比べて大きな屋敷だった。


「豪邸と言ってやりたいが……」


 庭には雑草が生い茂り、窓は塞がれている。

 辺りの静けさもあってか、屋敷そのものが不気味な気配を放っていた。


「……いや」


 どこかで嗅いだような臭いに鼻を押さえる。

 思わず顔を(しか)めていると、中からかすかに声が聞こえてきた。

 

「……何——のっ」

「うるっせぇ——てろ!!」


 内容はよくわからなかったが、悲鳴のような叫び。

 そしてその声は、ついさっきまで近くで聞いていたもの。

 

 ——リースの声。


 やがて玄関から音が聞こえてきた。

 咄嗟に物陰に身を潜めて様子をうかがう。

 開いた扉の向こうには見覚えのある男と、ぐったりして気を失ったリースがいた。


「——ガゾン」


 ガゾンは乱暴にリースを引きずり、屋敷の横手に向かった。


「……どうする」


 ここで対面するわけにはいかない。

 だが、隠れていても埒が明かないままだ。

 侵入するなら今だが、もし仲間がいたら——

 

 様々な考えが頭をよぎるが、何が正解なのかわからない。

 そうしているうちに、ガゾンが一人で戻ってきて屋敷に入った。


「……!」

 

 急ぎ横手に向かうと、そこには掘り返したような地面があり、整った形の石が露出していた。

 よほど焦っていたのか、それを隠そうともしていない。

 石に取っ手があったので力を込めて引き上げた。


「……いよいよきな臭くなってきた」


 俺の視線の先には、地下へと続く階段があった。


 慎重に降りて暗闇を進む。  

 空間には俺の靴音のみが響いている。

 壁に染みついた埃とカビの臭いに、思わず胃液が込み上がってきた。


「急がないとな」


 身体が絶えず危険信号を発しているが、俺の足は止まらない。


 やがて小さな光が視界に入った。

 近づくにつれ、少しずつ部屋の輪郭が浮かび上がる。


 鉄格子の奥で、彼女を見つけた。


「……リース」


 鎖で繋がれてはいないが、装着された怪しげな首輪には黒い紋様が描かれている。

 囚われたリースは、全てを諦めたように力無く座っていた。

 

「リース!」


 その瞳は、まるで世界が終わったかのように虚無に沈んでいる。


「——お前、それでいいのかよ!!」


いつもお読みいただきありがとうございます。


補足ですが

リースの撮影機『夢魔の王女』のルビは誤字ではありません。

本文どおりの表記です。


いよいよ3章も終盤に近づいてきました。

長編にもかかわらず、「それでもいいよ!」と快くお付き合いいただいているみなさんに感謝しております!

今後ともグリモフォトグラフをお楽しみください。

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