22話 私が上よ
「……誰だ? あんた」
「もう。そんなに怖い顔しないで」
そのまま自然にこちらへ歩いてきた。
まるで自分の部屋みたいな足取りで、だ。
「話がしてみたかったのよ。最近、王都で話題になっているドラゴンサモナーさんとね。ふふ、あだ名はちょっとどうかと思うけど」
「……くっ」
ずっとモヤモヤしていたことを初対面で言われた!
女は口元を押さえながら、ベッドで寝ているセツを横目で見ている。
「あなたも騒がない方がいいんじゃない? この状況を見られたら、その子はどう思うのかしら」
「……昼に来れば良かっただろ」
「あーら、何言ってるのよ」
上品な仕草でクスッと笑う。
「私の種族はわかるでしょう? 昼間から私のようなサキュバスと話しているところを誰かに見られたら、今のあなた……もっと変な噂を立てられちゃうんじゃない?」
「……なるほど」
冷静になると、もっともな話だ。
派手な見た目のわりに、ちゃんと人のことを考えてくれているのかもしれない。
「ふぅん?」
俺を見る瞳は、興味を隠そうともしていない。
異種族なので見た目通りの年齢かはわからないが、この世界での俺と同じくらいの歳に見える。
しかし、どうしたものか。
サキュバスなんてフィクションの中の存在だと思っていたのに、実際に目の当たりにすると抗えない何かを感じる。
目と目が合い、俺の身体が火照ったように熱を伴った。
「私はリース。見ての通り種族はサキュバスよ。よろしくね、バエル」
「あ、ああ」
「……あなた、いい男ね」
——その一言で、全ての思考が霧散した。
「私ね……あなたに興味があるの」
「なっ!」
しなだれかかってくるように距離を詰められたので、反射的に後ろにのけぞった。
「っ!」
背中をやわらかい衝撃が迎えた。
そこは、先ほどまで横になりかけていた場所。
漂う匂いにくらくらして、そのまま身動きがとれなくなった。
「ふふ、なぁに? 誘ってるのかしら」
リースは唇に指を当て、そのまま俺に迫ってくる。
どさっ、と。
腰の上に、体重がかかった。
「———」
「やだ……顔、熟れたランランベリーみたいよ?」
なんで——こんな。
ここに来るまで、特に出会いもなかった俺が——!
「……そんな表情されちゃったら、私も」
窓から覗かせる月光が、怪しげに寝室の悪魔を照らした。
俺に跨り、見下すように舌をペロっと出している。
太ももがゆっくりと擦り寄せられると、薄布を越えて彼女の体温を密に感じてしまう。
「……っ、あ」
甘い痺れが背筋を駆け抜けた。
脳が、溶かされる。
豊かな膨らみ……そして、両手で掴んでみたくなる美しいくびれ。
サキュバスの身体全てが、まるで絡めとるように、どこまでも深く俺を誘っている。
理性では危険だとわかっているのに。
それでも、その姿を見て平静でいられるほど俺は枯れてはいない。
この気持ちに正直になれたら、どんなに満たされるのだろう。
それが、今の俺にはできてしまう。
「ふふ……いいのよ。素直になって?」
吸い込んだ匂いが脳を揺らす。
それは蠱惑的な香りを放つ、悪魔の花。
「——!」
声が、出せない!
ただリースが服を着たまま跨っているだけなのに、いよいよ俺は追い詰められていた。
このまま身を委ねてもいいんじゃないか?
理性を手放しかけていた、その時——
「あっ……」
リースのその声で、俺は正気に戻れた。
「っ!!」
身体が、熱い。
気がつくと、心地よい重さと体温を感じていた部分が強く熱を帯びていた。
「~~~」
リースを見ると、頬が熟れた果実のようになっている。
身体まで小刻みに震えていた。
「……どうした」
「え! な、なにが」
こちらを見やる顔に、先ほどまでの妖艶な雰囲気は一切感じない。
これは、むしろ——
「い、いや……大丈夫か?」
「———!!」
その言葉を告げた途端、嘘のようにリースの震えが止まった。
交差した瞳の奥には、悔しさが滲み出ているような光を宿している。
「私は……サキュバスなのよ!」
リースは逸らしかけた視線を、再び真正面からぶつけてきた。
キッとした表情で睨まれた瞬間——
カシャッ!!
「え——」
聞きなれた音が耳に残る。
だが、俺は何も手にしていない。
「……言い忘れていたわね」
寝室の悪魔が不敵に笑った。
いつの間にかその手に、何かを持っている。
「——まさか!」
ハートのような、特別な形。
それはこの世界において、絶対的な力を持つ証。
「私はリース。サキュバスで、あなたと同じ——撮影者よ!」
「お、お前……も」
「とはいえ、こんなタイミングで撮影できるなんてね……“私が上よ”。ある意味、サキュバスらしいカードなのかしら?」
生まれたカードをひとしきり眺め、リースは端末にカードを装填した。
「この体勢だし、どうせなら試してみたい気持ちはあるけどね。……今日は挨拶ができたからいいわ。バエル、また会いましょう」
リースは俺の上から素早くどき、逃げるように扉から出ていった。
「……何なんだよ」
未だに頭が働かない。
まさに、夢のような出来事だった。
ただの挨拶にしては距離が近すぎた。
そして何よりも、あの去り際の顔。
「……はぁ」
彼女——撮影者リースは、また俺の元に現れるだろう。
その時までに、俺は——
「うぅん……」
セツが寝返りをうっている。
隣で起きた事件など知らないような柔らかな表情に、少しずつ平静を取り戻せた。
「……まぁ、いいさ」
本当に次から次へと、飽きさせてくれないな。
予定通り、明日は市場に向かおう。
◇◇◇
「はぁ……拙が寝ている間に、そんなことが」
翌日になり、セツと市場に向かいながら昨日の出来事を話した。
セツの自衛のためにも、情報は共有しておく必要がある。
……まぁ、内容は一部ぼかしているが。
サキュバスとの遭遇。
——しかも、異種族の撮影者。
「逆にあそこで起きられなくて良かったよ」
「……バエルさん、その言い方は、その……何か、したのでしょうか」
「何かって?」
「その……拙が寝ている隣で、その……」
言い終わる前にセツが黙った。
その頬を見れば、何を考えていたかはわかる。
……そりゃ、そう思われても仕方ないな。
「あー、誤解するな。俺は何もしていない。さっきも言った通り、撮影した途端にサキュバスが逃げるように出ていったんだ」
「は、はぁ」
セツが訝しげな目を向けてきた。
事実なのだから、変に隠す方がおかしいと判断したのだが。
「……もう、いいです」
「本当だって」
その後も、市場に到着するまでセツの態度は変わらなかった。
市場に到着し、カードショップ……という名目の露店を見回る。
「例えばの話だけど、俺に合いそうなカードってなんだと思う?」
「バエルさんは、何でもできそうですが」
「そうだったら苦労はしないな」
いざという時に身を守れるカードがあるのとないのじゃ、安心感がまるで違う。
今後も依頼をこなす上で、攻撃に使えるカードは必須だった。
そして、俺にはそれ以外にも欲しいカードがある。
「らっしゃせー。見ていって―」
カード屋の店主がニコニコとしている。
「常用カード以外で、使いやすいコモンカードが欲しいんだが」
「あいよっ!! どんなやつをお探しで?」
「そうだな……例えばファイアボールとか、そういうのかな」
そもそもどういったカードがあるかがわかっていないので、洞窟で聞いた記憶を頼りに言ってみた。
できれば、遠距離で使える魔法カードが欲しい。
「ファイアボールねぇ。人気はあるし、コモンカードでも優秀な方だが……お客さん本当に買う気あるの? 高いよ」
「ちなみにいくらだ?」
「八百グラン」
「は!? それがカード一枚の値段かよ」
「あんた本当に買う気あるのか? 最初に言ったが人気カードだ。これでも安くしてるんだぞ」
自分の顔が引き攣っていくのがわかった。
それを買ったが最後、今後の生活費が尽きかけてしまう。
安定した仕事もない今は、とてもじゃないが手が出ない。
「じゃあ状態異常をケアできるカードはあるか?」
「そんなもんあるわけないだろ。所詮はコモンだぞ?」
「……参考になった」
「あああああ! やっぱり冷やかしかよ」
店主がへそを曲げて、俺たちは「帰れ!」と怒鳴られてしまった。
「マジか……クリーンやアクアが安く感じるんだが」
「拙には、もう雲の上のお値段です」
「こんなの簡単に買えるわけないだろ」
気になって別のカード屋を覗いてみるが、ファイアボール以外の魔法カードも軒並み高いものばかり。
今の所持カードで新しい依頼を受けるのは難しい。
相談も兼ねて、俺たちは一度テマリバナに向かった。
◇◇◇
「二度とくるんじゃねえぞ!!!!!」
「!?」
テマリバナの入口に近づいた途端、店の中から怒鳴り声が響いた。
「……チッ!」
「ひゃっ」
「うおっ! ……危ないな。大丈夫か? セツ」
「は、はい」
振り向いたが、店から出てきた男の姿は路地の奥へ消えていた。
「これは……酷いな」
店内ではテーブルがひっくり返り、まだ湯気の立つ料理が周囲に散乱している。
酒を飲んでいた客も真顔になり、みな壁側に避難しているようだった。
「……バエルか」
「おいおっさん! 何があった?」
最後までお読みいただきありがとうございます。
サキュバスとの出会い、そして異種族の撮影者・リースが登場しました!
次回はテマリバナで起きた騒動の真相へ。
更新は7/3(金)の夜を予定しています。
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