2話 理不尽な村
丘の上に立つ少女は、俺が見上げている間も去ろうとはしなかった。
逆光で顔は見えにくいのに、左右で色の違う瞳だけがはっきりと見える。
「えっと」
ポケットにスマホを戻して少女に話しかけた。
「わ、悪い。別に怪しいもんじゃないぞ!」
急に話しかけようとして声が上擦った。
これでは説得力がない。
その瞳はずっとこちらを見つめ続けていた。
改めて見ると、少女は十五、六歳ほどで、俺とそう離れていないように見える。
「人、ですね」
か細い声だった。
だが、言葉は自然と頭に入ってくる。
異世界で問題なく会話ができ、今更ながら安心した。
「俺はバエルっていうんだ。お前は?」
「……拙は、セツです」
「セツ、か」
名前を口にした瞬間、少女——セツが彫像のように微動だにしなくなった。
まるで名前を呼ばれることが珍しいみたいだ。
俺がセツの方に歩き始めると少しして硬直が解かれた。
「俺さ、遠くから来たばかりでこの辺りがわからないんだ。近くに村や街はないか?」
「村、ならあります」
「良かった。どの方向だ?」
「拙が、住んでいる村です。でも、何もない村ですよ」
セツの服を見る限り、それは嘘ではなさそうだった。
色褪せた灰色のワンピースは言葉は悪いが、使い古したボロ布のように見える。
「良かったら案内してくれないか? お礼できるようなものはないけど」
「……拙が一緒でも、いいんですか」
「? どうして」
「気味が悪いって、よく言われるので」
その言い方があまりにも慣れていて、一瞬、言葉に詰まった。
「バエル……様が、変な目で見られることになると、申し訳ないので。せ、拙は、村の入口までご案内します」
「いや、すまない! 気味が悪いって言われる理由がわからなかったんだ。聞いていいかわからんが……まさか呪われてるとか? それか特殊な信仰があるとか」
「拙は、ただの人間です。何も特別なことはできません」
セツは不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。
やわらかそうな銀髪が肩のあたりで静かに揺れている。
「それなら気味が悪いってのも変な話だな。普通の女の子に見えるが」
「拙の、目が。その、不気味だと」
片方は綺麗な水色。
もう片方は、少し暗めの琥珀色。
——オッドアイ。
「綺麗だと思うけどな。その目」
「不思議な方ですね、バエル様は」
「バエルでいいよ。それに、セツに村の中も案内してもらいたい」
「……よろしいのですか。拙は、やめた方がいいかと」
「一人じゃ心細いんだ」
「……はぁ。それでは、ついてきてください」
セツは俺に背を向け、ゆっくりと歩き出した。
◇◇◇
「おお! あれが異世界の村かぁ」
数十分ほど歩くと村が見えてきた。
「異世界?」
「いや、なんでもない」
セツにツッコまれてしまった。
「しかし、ここまで誰とも出会わなかったな」
「この辺りは安全ですが、道から外れたら魔物が出てくるかもしれません。村には対抗手段が少ないので、外出は極力控えています」
「魔物か」
「魔物は……恐ろしいです。拙たち普通の人間ではどうしようもありません」
「もし魔物に出会った時はどうしてるんだ?」
「この村には力がありませんから」
その抑揚のない声で、村に余裕がないことは嫌でも伝わってきた。
「魔法とか、なんかないのかよ」
「……もし、カードさえ」
セツがぼそっと呟いた。
「カード?」
「……何でもありません」
そこから少し歩くと村の入口に到着した。
「こちらが、テールの村です」
案内されて村の中を歩く。
道端では小さな子ども二人が、キャハハと笑い声をあげている。
遠くに見える家の煙突からは煙が上がり、風に乗って香ばしい匂いがここまで届いていた。
「そういや腹減ったな。食べ物はどうしてるんだ?」
「あの道の曲がり角を超えると、共用の大きな畑があります。村では自給自足が中心です」
見たところごく普通の村だ。
平和な村で、セツはおだやかに暮らしているのだろう。
そう信じたかった。
——村人の視界に、セツの姿が入るまでは。
「……っ」
最初に気づいたのは子供を呼びに来た母親だった。
こちらへ向けていた視線が、セツを捉えた途端に強張る。
まるで、化け物でも見たような顔をしている。
それが合図になったのか、周囲の空気が一変した。
子どもたちは遊ぶのをやめて家に引っ込んだ。
前方では俺たちを見て、ひそひそと話し込む男たちの声が聞こえる。
「げぇ! あいつに遭っちまった。なんで歩いてるんだよ」
「おいやめとけ、なんか見たことない兄さんがいる。関わらんほうがいい」
…………
横目でセツを見る。
セツは俯いたまま、何も言わずに歩き続けた。
「……こちらが、村長の家になります」
到着まで冷ややかな視線を浴び続けたことで、嫌でもセツの扱いがわかってしまった。
トン、トン
「村長、急に申し訳ありません。セツです」
「……なんだ」
ガタッと音を立てて出てきたのは、不機嫌そうな初老の男だった。
「あんたが村長か。いきなりで申し訳ない」
「見ない顔だな。お前が連れてきたのか?」
村長はセツへと視線を向け、ふぅと溜息をついた。
「俺はバエル。遠くから来たばかりで、こっちの常識に疎いんだ。良かったらこの国のことを教えてほしい」
「……よかろう。おい、お前はもう行っていいぞ」
「わかりました。バエル様、これで失礼します」
「あ、おい」
バタンッ
俺の言葉は扉の音に阻まれた。
「それで、若いの。何が知りたいんだ」
「聞きたいことは山ほどあるが。とりあえず、どうしてあんたたちがあの子に冷たい態度を取るのかってことだな」
「フン……何も聞いてないんだな。あの娘はこの村の生まれではない。何年前だったか、突然村に来たんだ。それまでの記憶がないというおまけ付きでな」
そう語りだす村長は、自分たちは間違っていないと言わんばかりの態度だ。
「ほとんど記憶がなく覚えているのは名前だけ。それにあの異質な瞳を見ると、ワシはどうにも恐ろしくて仕方ない」
セツには儚さを感じていたが……そうか、記憶喪失だったのか。
「だがワシらも鬼ではない。不気味ではあるが村に置いてやってるんだ。代わりに、外の森になっている果実を収穫してもらっているがな」
「村から離れると魔物が出ると聞いたが、その森は安全なのか?」
「確かに森には魔物が棲みついているが、昼は安全のはずだ。それに果実は定期的に行商人と取引している村の収入源。あの娘が村の住人なら、労働するのは当たり前だろう?」
なんて無責任な。
危険と聞く村の外でセツと出会ったのは、村長の指示だったのか。
「だが、夜の森は恐ろしい魔物が目を覚ます」
「……っ!」
「だからこそ昼に働かせている。互いに助け合いというヤツだ」
去っていったセツを思い、自然と拳に力が入った。
……また俺は、理不尽に見て見ぬふりをするのか?
前世ではわかっていても何もできなかった。
いや——どんな時も、自分から動こうとはしなかっただけ。
「やれやれ。この村にも撮影者がいればな」
村長は大きく息を吐き、どこか愚痴るように呟く。
その冗談とも取れる発言で、俺はついに我慢の限界を迎えた。
「——撮影、ね。写真を撮るくらいなら俺にもできるんだがな」
「ホラを吹くな。お前が撮影者なら、魔物なんか簡単に倒せるだろう」
「簡単? 写真を撮れば倒せる魔物ってことか? なら楽勝だな」
「言いおったな小僧。ならばお前に討伐を依頼しようじゃないか」
村長が家の奥に向かいゴソゴソと何かを探し始める。
戻ったその手に握られているのは、立派な装飾の剣だった。
「本当に撮影者なら不要だろうが、念のためにこれを渡しておく」
「そんな立派な剣があるのに、なぜこの村の連中は戦おうとしない」
「やるのか、やらないのか。所詮は口だけか?」
馬鹿げている。
一蹴しようと村長を見ると、冷ややかな薄笑いを浮かべていた。
「魔物を倒せば、あの娘を森の仕事から外すと約束しよう」
やめろ。
早まるな。
頭の中では危険信号が鳴り続けている。
「——言ったな!」
それでも、口が開くのを抑えられなかった。
「お前がホラ吹きじゃないことを祈っておくよ」
その言葉で俺は依頼を受ける決断をした。
本来なら、あまりにも厳しすぎる依頼だ。
まして剣技などド素人。
通常の思考なら、決して頷くはずがない。
「……その言葉、忘れるなよ」
——もう前世の俺のままでいたくない。
理不尽の連鎖に抗っているセツ。
それでも優しくしてくれた彼女に、俺にできることをしたかった。
村長に目的の場所を聞き、夕食代わりにもらった硬いパンをしまう。
家を出ると、セツが心細そうに外に立っていた。
俯いたまま俺を見ようともしない。
「待ってたのか」
「……呼び止められた気が、したので」
その声は心なしか、先ほどまでより元気がない。
「扉の隙間から、声が、聞こえていました。森に向かうと」
「聞いてたんだな。まぁこう見えても俺は強い、安心し——」
「ダメです!」
俺の言葉を遮り、初めてセツが大声を出した。
「夜の森は、危険です。お願いですからやめてください」
「大丈夫だ。……必ず朝には戻る」
この不憫な少女をどうにかしたい。
一人待っていたセツを見て、もう引き返す気はなくなった。
後ろからまだ声が聞こえてきたが、歩みは止まらない。
そして一人、森へと向かう。
まもなく、異世界での最初の夜が訪れる。




