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雪山に捨てられた少女、伝説の元最強諜報員に拾われる。無自覚万能令嬢は『普通の生活』をお望みです!  作者: 三沢ケイ


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1.雪山に捨てられた少女、伝説の元最強諜報員に拾われる(5)

 目を覚ますと、見知らぬ天井があった。質素な木の天井だ。


 ぱちぱちと薪が弾ける音がした。

 頬に当たる空気は温かい。


「起きたか」


 低い声がして、エノレアはびくりと肩を震わせた。

 ぎこちなく首を回してそちらを見ると、大柄な男が椅子に座っていた。


 軍人のようながっしりとした体格で、焦げ茶色の髪は短く切られている。年齢は三十代半ばから後半くらいだろうか。

 顎には剃り残しの無精髭がはえていて、目付きは肉食獣のように鋭い。


 端的に言うと、怖い顔だ。


「ひっ! ご、ごめんなさい」

「あ?」

「ごめんなさい」


 男は眉をひそめた。


「起きてそうそう謝るやつがあるか」

「……申し訳ありません」

「だから謝るな」


 男は立ち上がると、鍋から何かを椀によそった。

 湯気が立っている。


「食え」


 ずいっと差し出された椀を、エノレアはおそるおそる受け取る。


「これは……」

「粥だ。たぶん」

「たぶん?」

「米を煮た。だから粥だろ」


 エノレアは椀の中を見た。

 エノレアの知る粥は白いが、これは薄茶色のどろどろの液体だった。米の原型は残っていない。

 匂いは……鼻を寄せてもよくわからない。


 けれど、温かいのは確かだ。

 それだけで胸がいっぱいになった。


(温かいご飯なんて、いつ以来だろう)


 エノレアはありがたく、粥を一口食べる。

 味は……薄い。何の味なのかよくわからない。

 お世辞にも美味しいとは言えなかった。


 粥を食べてから不思議そうに椀を見つめるエノレアを見て、男が口を開く。


「あー、すまん。その……俺は少々料理が苦手だ」


 男はぽりぽりと頭を掻く。


「だが、米を煮たんだ。つまり、これは間違いなく粥だ!」


 男は堂々とそう言った。完全に開き直っているとしか思えない態度に、エノレアは目を丸くする。


 椀の中を見る。この茶色い液体を見てすぐに「粥だ」と言い当てられる人は皆無に近いだろう。


(米を煮て、どうやったらこうなるのかしら?)


 そう思ったら、なんだかおかしくなってきた。


「ふっ、ふふっ……」


 エノレアは笑いを漏らす。


 粥は美味しくはない。

 けれど、とても温かい。体の芯が温まるほど。


「……っ」


 不意に、涙がこぼれ落ちる。


「おい。食べられないほど不味かったか?」


 男は動揺したように、おろおろしだす。


「違ます」

「いや、不味いのは知ってる」

「違うんです」


 エノレアは首を振る。


「温かいです」


 男は黙る。

 ほろほろと泣きながら粥を食べるエノレアを、彼は静かに見守ってくれた。


「お嬢ちゃん、今何歳だ? 名前は?」

「私……」


 答えようと思ったが、声が詰まって出てこない。

 男はそれを、エノレアが答えたくないと捉えたようで、質問を変えた。


「お父さんとお母さんは?」

「いない……」


 エノレアは答える。どうしてだろう。記憶が曖昧だ。けれど、両親がいなくて寂しかった記憶はあった。


「養ってくれる親戚は?」

「養ってくれる親戚?」


 そういえば自分はこれまでどこにいたのだろう。そんなことすら思い出せない。

 ふと脳裏に過ったのは、豪華な調度品が並んだ立派なお屋敷だ。その瞬間、ぞわっと寒気がした。


「いや……いや……」


 なぜだかわからない。けれど、強い恐怖心が湧いた。

 胸が苦しくなって上手く呼吸ができない。

 ひゅーひゅーと喉が鳴ると、男はすぐにエノレアの異変に気付いた。


「おい! しっかりしろ! ゆっくり息を吐くんだ」


 大きな手で背中を摩られる。


「お嬢ちゃん! 俺は無理やりそこにお嬢ちゃんを追い返そうとしているわけじゃない。状況を確認しているだけだ」

「……本当?」


 頭を抱えていたエノレアは、涙にぬれた目で男を見る。男の薄茶色の目と視線が絡んだ。


「ああ、本当だ。……よっぽど辛い目に逢ったんだな。一種の記憶障害だろう」


 男ははあっと息を吐いた。


 エノレアはいたたまれなくなり、俯く。

 演技や嘘ではなく、本当によく思い出せないのだ。断片的な光景は頭の中に残っているのに、いざ説明しようとすると上手く思い出せなくなる。


「何か身に付けている物に手がかりでもあれば──」


 そう言った男は、ふとエノレアの首元に視線を留める。


「お嬢ちゃん。そのペンダント、ちょっと見せてもらってもいいか」

「うん」


 エノレアはペンダントを男に手渡す。男はペンダントトップを指先で抓んで眺めてから、ぱかっと蓋を開けた。


「中身は空か。……ん、何か刻印してあるな。愛するエノレアへ。聖王歴451年10月4日……。今からざっと八年前だな」


 エノレアはそれを聞いてハッとする。


「そ、それ……名前……」

「名前? お嬢ちゃんの名前か? 聖王歴451年10月4日生まれでもうすぐ八歳?」

「……うん。それは……お母さんの形見」


 不思議なことに、それはしっかりと覚えている


「そうか、いい名前だな」


 エノレアは無言で頷く。

 男はロケットを閉じると、エノレアに返した。


「よし、エノレア。お前のことは俺が拾ったから、責任を持って面倒を見てやる。だから、ちゃんと食って元気になれよ」

「……いいの?」

「いいから言ってるんだろ。それとも、俺の世話になるのは御免だってか?」

「ううん、違う!」


 エノレアはぶんぶんと頭を横に振る。


「じゃあ、決まりだ」


 男はにっと笑うと、エノレアの頭をがしがしと撫でる。

 乱暴なのに、とても優しい手だった。

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