7.第三王子と伝説の諜報員(3)
「そこまで言うなら、やってみろ。失敗した場合、白雪宮での地位がなくなるだけでは済まないことを覚悟しておけ」
「承知いたしました。すぐに準備します」
眼鏡の文官は深々と頭を下げてから、大会議室から出る。
扉が閉まる間際、レオナルドが次の指示を出しているのが聞こえた。
「それともうひとつ。レニオスは今年度採用したばかりの新人女性文官をとても気に入っており、頻繁に食事を共にしているということだ。しかも、その女が最近の青嵐宮の目覚ましい成果に一役買っているらしい。誰かその女に接触し、こちらに引き入れてこい」
ちらりと中を窺い見ると、誰がそのミッションを受けるのが皆が探り合っている。
ぱたんとドアを閉じた。
「バカが。俺の娘が、お前らみたいな能無しの策略に引っ掛かるわけがねーだろ」
文官に変装していたガレスは、ふっと笑う。
連中は何か企んでいるようだが、エノレアのことは心配していない。ガレスが持つあらゆる知識・技術を十年かけて教え込んだのだから。
「さてと。俺はロングレイン侯爵に接触するか」
ガレスは大きく伸びをする。
青嵐宮からの依頼を受けたガレスは、すぐにその黒幕が白雪宮であることは突き止めた。それと同時に、フォレストからは驚くべき報告が上がって来た。
エノレアが前ロングレイン侯爵の娘であること。
今のロングレイン侯爵は彼女の腹違いの兄にあたる人物で、家族ぐるみでエノレアを虐げていたこと。
エノレアが八歳の時、ロングレイン侯爵は母親のロングレイン侯爵大夫人と共謀して第三王子であるレニオスのお茶会でエノレアのカップに毒を仕込んだこと──。
毒を仕込んだ目的は単純だった。レニオスの招いた茶会で自分の身内が死ねば、その責任を追及できる。そこで事を荒立てない引き換えに、実の娘であるリリアナを彼の婚約者に据えることを要求しようとしたのだ。
だが、彼らにとって予想外だったのは、毒を飲んだのがエノレアではなく、実の娘であるリリアナだったことだ。瀕死の孫をみた大夫人とロングレイン侯爵はパニックになり、結果としてリリアナは生死をさまよい、エノレアは犯人扱いされて山に捨てられた。
雪が降り積もる、人もほとんど近づかないような雪山に、たったひとりで。
「ただ殺すだけじゃ生ぬるい。どうやって調理してやろうか」
大夫人のほうがすでに亡くなっているのが残念でならない。だが、もうひとりは残っている。
「エノレアに味わわせた以上の絶望を、ロングレイン侯爵に味あわせてやろう」
たとえエノレアが彼らを許したとしても、許す気はない。
数日後。
ガレスはリーヴ有数の社交サロンにいた。
パイプをふかしながら、壁の鏡越しに、親交のある貴族たちとグラスを傾けるロングレイン侯爵を観察する。白髪交じりの金髪を後ろになでつけた、神経質そうな男だ。
二時間ほど経ち、一行が立ち上がる気配を見せたのでガレスはグラスを片手に席を立った。
歩きながら位置を調整し、歓談しながら歩くロングレイン侯爵がすれ違いざまに向こうからぶつかったように見えるよう仕向けた。
「うわっ」
グラスの中身をぶちまける。赤ワインがガレスにかかった。
「なんてことだ。スーツが」
大げさに困惑した顔をすると、ロングレイン侯爵がちらっとガレスのほうを見る。
「失礼。クリーニング代はロングレイン侯爵家に請求してくれ」
そのまま立ち去ろうとしたロングレイン侯爵の肩を、ガレスは掴んだ。ぐいっと耳元に口を寄せる。
「侯爵閣下。白き太陽が閣下との会合を希望されています」
ロングレイン侯爵はハッとした顔でガレスのほうを見た。
「すまない。私は彼と少し話してから帰るとしよう」
一緒にいた友人達を先に返し、ガレスを人気のない個室に誘う。
「お前、何者だ?」
「白雪に春の訪れを望むものです」
「一体、私に何を望む?」
「それは、閣下が一番よくお分かりでは?」
ガレスはふっと笑う。
白雪宮の主であるレオナルドと青嵐宮の主であるレニオス。このふたりが王太子の有力候補であることは、リーヴの貴族であれば誰でも知っている。
リリアナが青嵐宮から実家に帰されたこのタイミングで接触してくるのは、『レオナルド派にならないか』という誘いに他ならない。
「見返りは? 我が家門が白き太陽を支持するメリットは何かね?」
「今は何も提示できません。働きによって決めると」
「なんだと?」
ロングレイン侯爵は眉根を寄せる。
「話にならない。見返りもなしに、なぜ私が──」
「しかし、あなたはこの話を断ることはできない」
「……なんだと?」
「十一年前にレニオス殿下を囲んで行われたティーパーティー。そこで、前ロングレイン侯爵令嬢のエノレアは妹のリリアナの紅茶に毒を盛って生死をさまよった。この事件がもとで、あなたは青嵐宮とレニオス殿下に対して強い影響力を持つようになった。ですが、この事件の真相は果たして本当にそうでしょうか?」
探るように言うと、ロングレイン侯爵はガレスを凝視して顔を強張らせた。




