6.伝説の諜報員、再び(8)
窓際に駆け寄ったエノレアが一点をじっと見る。
「あそこから投げてますね」
エノレアが指さしたのは、百メートル以上離れたところにある建物の屋根だった。
「あんな場所から、この石を?」
クロスボウとは違う、ただの石ころだ。それを、目視できないスピードで寸分も狂うことなく正確に撃ち込んできた。
こんなこと、ふつうの人間にはできない。
(俺を狙った殺し屋が外した? いや、狙いが正確すぎるし、わざわざ石を使う理由がない)
そもそも、不正がバレたから口封じしたという仮説自体がおかしい。なぜなら、すでに証拠の書類がそろっており責任者の存在は不正の証明になんら影響を与えないからだ。
(何者だ?)
レニオスは、エノレアの横に行くと、彼女と並んで外を見ようとする。すると、エノレアは片腕を大きく広げ、レニオスを下がらせようとした。
「殿下は危ないので下がっててください」
「エノレアだって同じだろう」
「私はあれくらいの攻撃、避けられるので平気です。殿下は無理でしょう?」
エノレアは眉根を寄せる。レニオスはショックを受けた。
(今、俺は暗に『弱いから下がってろ』と言われたのか?)
言い訳するわけではないが、剣術と武術は人並みに嗜んできた。通常の騎士であれば互角に戦える自信がある。それに、猟銃も割と得意だ。
それなのに、細くてか弱そうにしか見えないエノレアにそんなことを言われてしまうなんて!
「……かなりの巧手ですね。もう一切気配を感じません。ただ、殺気は感じないので我々を攻撃する気はないのではないかと」
「そうか……」
(どうしてそんなことがわかるんだ? それも木こりの常識なのか?)
ただ、エノレアがそういうならそうなのだろうと思わせる説得力がある。
レニオスはバツの悪さを感じてごほんと咳をする。
「とにかく、この男は救護室へ。我々は残りの監査を続ける」
「はい」
その場にいた一同が頷いた。
◇ ◇ ◇
後日、青嵐宮に戻ったレニオスにより全ての監査結果が王都へ報告された。
件の事件はラナーの責任者が独断で、自身の私腹を肥やそうと実施したことだった。だが、第二王子は監督責任を問われる。王太子選で大きな後れを取ったことは明白だった。
地方行政の不正を暴いた青嵐宮の迅速な対応は、議会でも高く評価された。そして、それに伴いレニオスも評価を上げる。
「さすが第三王子だ」
「レニオス殿下は現場をよく見ている」
「青嵐宮は最近成果が続いているな」
そんな声がそこかしこで聞かれるようになった。
レニオスは執務室で報告書を閉じる。
「……今回も、お前の手柄だ」
「え?」
エノレアは首を傾げた。
「私は大したことはしていません。みなさんのおかげです」
「違う。大したことをしている」
レニオスは静かに首を振る。
「お前以外は、帳簿しか見ていなかった」
「あれは……父に昔教わったことを思い出しただけなので」
「それでもだ」
レニオスはエノレアを見る。
「お前がいなければ、不正は見逃していた」
「ありがとうございます」
エノレアは少し照れくさくて、はにかむ。レニオスに褒められるのは、胸がむず痒い。
「本当に優秀で助かっていますよ。エノレア」
同じくレニオスの執務室にいたエドガーが相槌を打つ。
「一つだけ、確認しても?」
「はい。何でしょう?」
エノレアはエドガーを見返す。
「現時点で、ご結婚の予定はありますか?」
「へ?」
エノレアが目を丸くするのと同時に、ガシャンと音がする。
音のほうを見ると、レニオスがコーヒーカップを落としていた。目をまん丸にしてエノレアを見つめていた。
「答えてください、エノレア。あなたが辞めると、青嵐宮が困ります」
「そんな」
「大問題なんですよ。あなたの穴は優秀な文官三人、いや、五人でも埋められない」
エドガーは真顔でエノレアに詰め寄る。
「待て! エノレア、結婚の予定があるのか⁉」
レニオスががばっと立ち上がる。
「いえ、ありませんが。なんでそんな話になったのか……」
エノレアは困惑して首を振る。
「それを聞いて安心しました。ちなみに、結婚願望はありますか?」
「え? それは少しは──」
エノレアは少し声を小さくして答える。
一応乙女の端くれなので、全く興味がないといえば噓になる。今のところ、恋人すらいないが。
「なるほど。職場恋愛はいかがでしょう? 職場恋愛であれば、結婚後も問題なく働けるはずです」
「それは──」
なんて答えればいいかわからず、エノレアは言葉に詰まる。
「私のお勧めは、オリバーか隣の文化局のスコットですね」
「はあ……」
オリバーのことは大好きだが、男性として好いているかと聞かれると違う。スコットなる人物はそもそもよく知らない。
「どういう男性がお好みですか? 私が責任をもって、青嵐宮の職員から探し出します」
「えっと、あの……」
エノレアはいよいよ困惑する。レニオスは一言も言葉を発せず、エノレアを凝視していた。
(どうすればいいの、これ?)
困ったエノレアはふと思い出す。
「強い人がいいです。お父さんより強い人!」
そういえば、ガレスが『俺より強い男じゃないと認めない』と言っていた。今はとりあえずこの条件で逃げさせてもらおうと思った。
「強い男……」
レニオスがぼそりと呟く。
「それは難易度が高い。文官は運動が苦手な者が多いんですよ」
エドガーはすぐに思い当たる人材がいないようで腕を組む。
(とりあえず、この場はしのげた?)
エノレアはほっと息を吐いたのだった。




