6.伝説の諜報員、再び(6)
ちょうど一ケ月の休養を経て、エノレアは青嵐宮に戻った。
そこまで長期の休暇ではないのに、青嵐宮のそこかしこに嵌め込まれた青いタイルがどこか懐かしく感じられた。
執務室のドアノブに手をかけ、深呼吸をする。
「おはようございます!」
勢いよくドアを開けると、先に来ていたオリバーが勢いよく立ち上がった。
「エノレア!」
「オリバー、久しぶりね」
「おかえり! もう大丈夫なの?」
「うん。お父さんのところでゆっくり休んできたから」
「それならよかった」
オリバーは心底安心したように笑う。
「私がいない間、大変だったよね。迷惑をかけてごめんね」
「だーかーらー! 迷惑じゃないって言っているだろ。むしろ、鍛えられていい機会になった」
「鍛えられて?」
「エドガー様が、これまでエノレアに分担していた業務の大部分を僕に回してきて……否が応でも処理スピードは上がったかな」
オリバーはどこか遠い目で宙を見つめる。
平気だというけれど、やっぱり大変だったようだ。
「そっか。ありがとう。私、休んだ分まで頑張って働くから」
エノレアは両手にこぶしを握り気合を入れる。そのとき、執務室の入口から落ち着いた声が響く。
「朝から騒がしいな」
低く、耳触りの良い声色。エノレアはハッとして振り返る。
そこには、エドガーを連れたレニオスがいた。
「レニオス殿下! エドガー様! おはようございます。長らくお休みをいただき、ご迷惑をおかけしました」
「ああ」
レニオスは少しだけ頷き、短い返事をする。
相変わらず素っ気ない。
「ところで、殿下が朝から文官用執務室に来るなんて珍しいですね。どうかされたのですか?」
「たまたま通りかかったところで、騒がしい声がしたから立ち寄っただけだ」
「え、すみません!」
エノレアは慌てて謝る。そこまで煩くしたつもりはなかったのだが、女性の声は高いので響いてしまったのかもしれない。
そう思ったそのとき──。
「体調は」
「え?」
「もう問題ないのか」
心配してくれていると気付いたエノレアは、ぱっと笑顔になる。
「はい! すっかり元気です」
「そうか」
それだけ言うと、レニオスは黙り込む。斜め後ろに控えていたエドガーが、その様子をみて小さく笑った。
「エドガー。何がおかしい?」
レニオスはエドガーを睨む。
「何もおかしくありません。殿下と部下のやり取りを微笑ましく見ておりました」
エドガーは真顔で答える。レニオスは眉を顰めたが、それ以上何も言わない。
「お前の元気な姿も見れたことだし、俺は戻る」
「はい。……殿下!」
「なんだ?」
「父に手紙を書いてくださったそうで、ありがとうございました」
エノレアはぺこりと頭を下げる。
「俺は日々様々な書類を扱っている。手紙の内容など、忘れた」
「そうですね」
エノレアはふわっと笑う。
ぶっきらぼうなところが、この人らしいと思った。
◇ ◇ ◇
リーヴの国内はいくつかの地域に区分され、それぞれの地域を各王子たちが長となった宮殿が治めているが、未熟な王子たちの采配によって不都合が起きないようにいくつかの対策が制度として行われている。その一つが、各宮殿同士の相互監査だ。
とある宮殿が治める地域の財務、法務、福祉制度などについて、リーヴが国として定めた基準を守っているか、また、不正が行われていないかを、別の宮殿がチェックするのだ。
この相互監査は毎年一回二か月かけて行われており、青嵐宮ももちろん参加する。
「今年度は、黄玉宮について監査を行います。逆に我々を監査するのは白雪宮です。例年以上にしっかりと準備してください」
エドガーが文官たちに活を入れる。
「なんで例年以上にしっかりと準備する必要があるの?」
エノレアは不思議に思う。
「白雪宮の主は第一王子のレオナルド殿下だろ? レニオス様のことを後継争いのライバルだって敵視しているから、細かいところまでつついて不正を探そうとしてくるはずだからだよ」
オリバーがこそっと耳打ちする。
「その通り」
そう言ったのはエドガーだ。オリバーは小声で話していたが、しっかり聞こえていたようだ。
「現時点で、王太子としての有力候補なのはレオナルド殿下、そして我々の主であるレニオス殿下だ。万が一我々の処理に問題があれば、白雪宮は絶対に見逃さないでしょう」
「なるほど」
エノレアは頷く。
「つまり、レニオス殿下のためにも抜かりがあっちゃいけないってことですね」
「その通りです。それに、監査をする側としても是正が必要な処理を発見できれば評価されます」
エドガーは頷く。
つまり、監査される際はひとつでも指摘事項を少なく、監査する際は指摘すべきことを漏れなく指摘する必要があるということだ。
(よし。ただでさえ休んでいて迷惑をかけていたんだから、たくさん頑張らないと)
エノレアは気合を入れたのだった。




