6.伝説の諜報員、再び(3)
◇ ◇ ◇
森の夜は、静寂に包まれている。
リビングから続く部屋のドアをそっと開けて中を覗くと、エノレアはベッドに横たわり安心したように眠っていた。
(少しだけふっくらしたか? 飯がうまいって言ってたもんな)
エノレアからは定期的に手紙が届いていて、そこには『ごはんが美味しい』とよく書かれていた。それに、今日もごはんが美味しいと何回か言っていた。
きっと、よほど青嵐宮の食事が気に入っているのだろう。
そのほかにも、エノレアは色々なことを手紙で知らせてくれたし、今日も話してくれた。
歴代最高点で文官試験に合格したこと。
優しくて尊敬できる同僚がいたこと。
仕事はとても忙しいけれど、毎日が楽しいこと。
話しているときの表情を見れば、とても充実した日々を過ごしていることがわかった。それだけに、急に自宅療養しなければならないほど精神的ショックを受けたという毒物混入事件のことが気にかかる。
ガレスはリビングに戻ると椅子に座り、拳をぎゅっと握る。
雪山で拾ったばかりのころ、エノレアは高熱にうなされながらも何度も同じ言葉を口にしていた。
『違うの』
『毒なんて入れてない』
『信じて』
懇願にも似た悲痛な訴え。
しばらくしたら落ち着いたと思っていたが、深層心理ではまだ忘れることができずにいるのだろう。
それどころか、今回のことで、エノレアの昔の記憶が欠落しているのは辛すぎる過去を忘れて自分自身の精神状態を正常に保とうとする、自己防衛反応なのではないかと思った。
「俺の可愛い娘をこんなに怖がらせるとは、ただじゃおけねえな」
ガレスはぼそりと呟く。
相手が誰であろうが、娘のためなら容赦する気はない。完膚なきまでに叩きのめす。
それと、気がかりなことがもうひとつ──。
『レニオス殿下のもとでずっと働きたいって思うし、レニオス殿下が一緒にいると、すごく安心する』
そう言ったときの、エノレアの表情。
頬がほんのりと赤く染まり、うっとりした顔をしていた。
色恋沙汰にあまり興味のないガレスでもわかる。本人は無自覚だが、エノレアは恋をしている。
(なんてこった。俺の娘が、第三王子に惚れてやがる)
娘の心を奪うとはけしからん野郎だと思う一方、ここまで娘を惚れさせるとはどんなにいい男なのかと興味深くもある。ただ、問題なのは相手が王族ということだ。
王子であれば、いずれは他国の王女または国内の貴族令嬢と結婚する。エノレアが最終的には失恋するのが目に見えていた。
だがそれでも……あんな幸せそうな顔をするエノレアを想えば、一日でも長くその幸せが続けばいいと願うのが親心というものだ。
「暗殺されそうになったって話だったな」
愛する人が誰かに暗殺されて涙を流す娘の姿など、見たくない。
ガレスはピーッと口笛を吹く。すると、どこからともなくフォレストの使い魔が現れた。
「フォレスト、応答せよ。こちらコードネーム『伐採』」
ガレスが話しかけると、使い魔の上にヴィーンと魔法の画面が浮かび上がる。
そこには、狐の仮面をつけた女が映っていた。
『こちらフォレスト。伐採から連絡くれるなんて、一万年ぶりかしら』
「昨日送って来た青嵐宮からの依頼、誰か受けたか?」
『いいえ、まだね。難易度Sランクだから、受けれる人材も限られているし』
「なら、俺が受ける」
ガレスの言葉に、狐面の女は「あら」と言う。




