6.伝説の諜報員、再び(2)
「あのね、青嵐宮で毒物混入事件があったの。レニオス殿下を狙ったものだったのだけど──」
「毒?」
「うん。たまたま花弁が混入しちゃってレニオス殿下はそれを飲まなかったんだけど、高級紅茶を捨てるのはもったいないからって使用人が勝手に飲んだみたいで。私はたまたま悲鳴を聞いて、倒れている現場に駆け付けたの」
エノレアは、あの日あったことを順番にガレスに告げてゆく。ガレスは静かにエノレアの言葉に耳を傾けていた。
「ブラックリリーか。よく解毒方法を覚えていたな。じゃあ、使用人は助かったんだな?」
「うん。お父さんが事前に教えてくれていたおかげだね。だけど──」
エノレアは、そこで言葉を止める。
「そのあとから、変なの」
「変?」
「よく分からないの。あの現場にいたら、急に頭の中に知らない景色が浮かんできて……」
エノレアは俯く。
「芝生に転がるカップとか、右往左往する人たちとか……。それで、周囲の大人が私が毒を入れたって糾弾してくるの」
ガレスは黙って聞いていた。
「その景色が浮かぶと、すごく怖くなるの。まるで、この世の終わりみたいな絶望感に襲われて──。上手く息を吸うことすらできなくなる」
エノレアは胸元を押さえる。
あの恐怖を思い出し、指先が震えた。
「そうか。大変だったな」
ガレスはそう言うと立ち上がり、部屋の隅に置かれた棚の引き出しを開けた。
「これ」
エノレアへ差し出されたのは、白い封筒だった。
上質な封筒には、見覚えがある。
「これ、青嵐宮で使っている封筒?」
「ああ。お前が帰ってくる前日に届いた」
裏返すと、青嵐宮の紋章が押されていた。
「まさか……解雇通知?」
青嵐宮からここに届く手紙なんて、思い当たるのはそれくらいしかない。
ゆっくり休んで復帰するように言われたが、やっぱり解雇することにしたのだろうか。
「第三王子から直々の手紙だ。読むか?」
「レニオス殿下から?」
エノレアは恐る恐る封筒から中身を取り出す。
もう二度と青嵐宮には来なくていい。そう書いてあるかもしれないと思うと、とても怖い。
そこには、整った筆跡で文章が綴られていた。
──エノレアは本人こそ問題ないと言い張るだろうが、しばらくは何もさせず、ゆっくり休ませてやってほしい。
──仕事を持ち帰ってやろうとする可能性があるので、注意してほしい。
──青嵐宮にとって欠かせない人材なので、万全の状態で戻ってくることを願っている。
書いてあるのは、全てエノレアのことを心配している内容だった。
「仕事を持ち帰ってやろうとする可能性がある……」
実は、カバンの中には仕事の書類がぎっしり入っている。少しでも役に立ちたいと、納期がまだずっと先のものだけを選んで、持ち帰ったのだ。
ガレスは呆れたような顔をする。
「図星だったか?」
「えへへ」
エノレアはぺろっと舌を出して笑う。
もう一度手紙へ目を落とす。
心配している、などという言葉は一つも書かれていない。
それでも、彼が自分を心配していることが伝わってくる。
(ぶっきらぼうで、殿下らしい)
自然と口元が緩む。
わざわざガレスへ手紙を書き、エノレアには黙っていた。
そんな不器用な優しさが、なんだか嬉しかった。
「レニオス殿下ってね、お父さんに似ているの」
「俺に?」
ガレスは怪訝な顔をする。
「うん。ぶっきらぼうだけど、本当はすごく優しい方なの」
「へえ」
「厳しいけど、それは誰よりも国民のことを考えているからだと思うわ。部下にも、自分にも厳しいの」
エノレアはレニオスのことを想い浮かべる。なぜか、胸の内にほんのりと温かさが広がるような、不思議な感覚がした。
「だから、レニオス殿下のもとでずっと働きたいって思うし、レニオス殿下が一緒にいると、すごく安心する」
エノレアは言いながら、少し照れくさくなって笑う。
ふと、ガレスが固まったまま自分を凝視していることに気付いた。
「お父さん? どうしたの?」
「いや、なんでもねえ。いい上司に恵まれて何よりだ」
「うん」
「エノレア。一つだけ、はっきりと伝えておく」
「何?」
「俺より強い男じゃなきゃ、嫁には出さん!」
ガレスが強い調子で宣言する。
「え?」
エノレアは呆気に取られて、ガレスを見つめた。
「お父さん、急になんの話?」
「とにかく、覚えておけ。俺より強い男じゃなきゃ、嫁には出さんからな!」
「うん。わかった」
どうしてそんな話になったのか理解できないが、エノレアはとりあえず頷く。
「よし。わかったなら、いい。猪汁、もっと食べないか?」
「もらおうかな」
エノレアは微笑む。
こうして自分を大切にして、心配して、いつだって受けれてくれる場所がある。
そのことが、とてもありがたかった。




