6.伝説の諜報員、再び(1)
王都から乗り合い馬車を乗り継いで揺られること数日。
賑やかな街並みが遠ざかり、景色は次第に穏やかな田園へ変わっていく。その田園を過ぎると、今度はうっそうと木々が茂る森の街道へと入っていった。
(この感じ、懐かしい)
窓の外から香るのは、木々の匂いだ。
どこからか鳥の囀りが聞こえる。
懐かしい故郷の温もりを感じ、エノレアは外を眺める。
やがて、土の広場に木を切った椅子が置かれただけの質素な馬車乗り場で、馬車は停まる。
「着きましたよ。終点です」
御者の声がする。
扉を開けると、見慣れた小さな村の街並みがあった。
エノレアが通っていた村立学校のある村だ。
ガレスの住む家には、ここからさらに一時間くらい、歩く必要がある。
エノレアは、歩きなれた懐かしい山道をひとり進む。途中でリスと鹿は見かけたが、幸いにして熊には会わなかった。
「見えてきた!」
坂の上に見覚えのある、ログハウスが見えた。
調理中なのか、煙突からは白い煙が上がっている。
(突然帰ってきて、お父さん驚くだろうな)
会ったら、なんて言おうかと考える。
(まずは「ただいま」よね。そのあと「ちょっと体調がよくなくてお休みをもらったの」って言う? でもそれじゃ心配させちゃうから、第一級文官には長期休み制度があるんだって言い張る?)
ガレスを心配させないようなうまい言い訳がすぐに思い浮かばず、エノレアは悩む。
そのとき、家の玄関が開き、大柄な男が出てくるのが見えた。
エノレアはその人物を見てハッとする。
玄関扉ぎりぎりまである大きな背、年齢を感じさせないがっしりとした体格、そして、まっすぐにエノレアのほうを見据える、精悍な眼差し。
「お父さん!」
エノレアは思わず、大きな声で叫ぶ。
その声に反応するように、ガレスが右手を大きく振った。
「よう、エノレア。久しぶりだな」
ガレスはにかっと笑う。
一緒に暮らしていたころと全く変わらない様子に、懐かしさがこみ上げた。
「お父さん!」
思わず走り寄り、そのままガレスのほうにダイブする。ガレスは少しもよろめくことなく、エノレアをしっかりと抱きとめた。
「なかなかいいタックルじゃねーか。体は訛ってないようだな」
ガレスは豪快に笑う。相変わらずの口の悪さだが、それがむしろエノレアをホッとさせた。
「お父さん、会いたかった」
何から言おうか歩きながら散々考えたのに、そんなことはすっかりどうでもよくなる。
一緒に暮らし始めてからというもの、こんなに離れていたことは一度もない。ただ、会いたかったのだと気付く。
「なんだ、お前。泣いてんのか? 大人になったと思ってたのに、まだまだガキだな」
「ガキじゃないわ! もうちゃんと働いているもの」
「はいはい。俺にとってはいくつになってもガキなんだよ」
ガレスは笑いながら、エノレアの頭をガシガシと撫でる。
「おかえり、エノレア」
その一言を聞いた瞬間、胸に熱いものが込み上がる。
「うん、ただいま。ただいま、お父さん」
エノレアは噛みしめるようにそういうと、もう一度ガレスに抱きついた。
「とりあえず入れ。積もる話もあるだろ」
ガレスに促され、エノレアは家に入る。
夕食は、ガレスが作った猪汁だった。
「猪肉、久しぶりだわ」
「エノレアは猪肉が好きだもんな」
ガレスは豪快に笑う。味は相変わらず塩味だが、この味付けが懐かしくてとても美味しく感じた。
「……お父さん、なんで私が帰って来たか聞かないの?」
食事も中盤に差し掛かったころ、エノレアは恐る恐る尋ねる。
ガレスはエノレアが帰ってきてから、一度も理由を聞かない。それどころか、エノレアが帰ってくることを最初から知っているかのような態度だった。
「エノレアが言い出すまで待っている」
「そっか」
エノレアは猪汁を一口すする。
相変わらず、ガレスはぶっきらぼうだけど優しい。




