5.万能令嬢、里帰りする(7)
脳裏に浮かぶ光景はどれも断片的で、誰の記憶なのかすら分からない。
その夢を見るときまって、胸の内に絶望感が押し寄せる。
(そういえば、あの歌。どんな歌詞だっけ?)
夢の中のエノレアは、よく歌を歌っていた。確か──。
「月のしずくに赤い実ひとつ 白き大地の眠り草 金の花びら銀の糸 めぐる季節を待ちましょう──」
口ずさんで、違和感を覚える。
(この歌って──)
そのとき、頭上から「エノレア」と呼ばれる。ハッとして顔を上げると、そこには眉根を寄せたレニオスがいた。
「本調子でないと聞き見に来てみれば……真っ青じゃないか」
「申し訳ございません。もう二、三日すれば──」
「しばらく田舎の実家に戻れ」
エノレアは、驚いてレニオスを見返す。
「実家に?」
「ああ。明日以降、出仕は禁止する」
エノレアは目を見開いた。
(それって、クビってこと?)
青嵐宮は、仕事のできない文官には厳しい職場だ。主であるレニオスは、使えないと判断すると、クビを斬ることにためらいがない。
「そんなっ! 大丈夫です。私、働けます。働かせてください!」
エノレアは必死に訴える。
まだ青嵐宮に入って一年も経っていない。こんなふうに里帰りしたら、ガレスをどんなにがっかりさせてしまうだろう。
その必死さが伝わったのか、レニオスは目を細める。
「エノレア。勘違いするな。俺は、お前のことを高く評価している」
「じゃあ、なんで……」
「お前は今、自分の状態が最高のパフォーマンスを出せる状態だと思っているのか?」
「それは──」
エノレアは言葉を詰まらせる。
自分が本調子でないことは、自分自身が一番よくわかっていた。
「万全に働けない人間は、足手まといだ」
冷たい言葉が、胸に突き刺さる。
エノレアは唇を引き結び、俯く。だが、続いた言葉に驚いて顔を上げた。
「だから万全になるまで休めと言っている。お前を切り捨てると言っているわけではない」
エノレアを見つめる金色の瞳に、責める色はない。
「まずは一ケ月だ。調子が戻らなければ、さらに延長する」
「殿下……」
「戻ってきたら、今以上に成果を上げることを期待している」
エノレアの胸が、じんわりと温かくなる。
ぶっきらぼうだが、エノレアのことを想ってこそ、休めて言っているのだと感じた。
「承知いたしました。ご迷惑をおかけします」
「迷惑なんて、誰も思ってないから大丈夫だよ。いつもエノレアに助けられてる」
そう言ったのは、横に座っているオリバーだ。
目が合うと、オリバーはにこっと笑う。
「そうそう。エノレアはただでさえ、ふつうの新人じゃ考えられないスピードで仕事してるんだから」
同じ部屋にいた先輩文官たちも相槌を打つ。
「オリバー、先輩……」
胸がジーンとして、目に涙が浮かびそうになり、エノレアはごしごしと目元を擦る。
(お父さん、私、上司だけじゃなくて先輩や同僚にもとっても恵まれたよ)
故郷に戻ったら、ガレスに青嵐宮でのことをたくさん話したいと思った。
◇ ◇ ◇
王都から遠く離れた村はずれの森の中。
ガレスは、自宅裏で薪割りをしていた。ぎっくり腰で使いものにならなかった腰はすっかり回復した。
ピーッと鳥の鳴き声がして顔を上げると、見覚えのある鳥の使い魔がいた。
「珍しいな。フォレストからの依頼か」
鳥は迷うことなく、ガレスの元に舞い降りる。鳥の付けているペンダントトップに魔力をかざすと、ヴィーンと音がして空中に暗号文字が浮かび上がった。
内容は、王都にある青嵐宮からの依頼で、主であるレニオスを暗殺しようとしている黒幕を暴いてほしいというものだった。
「青嵐宮? それって確かエノレアの──」
そのとき、ガレスはハッとする。遠方二百メートル程度先に、人の気配を感じたのだ。
目の前の使い魔が一瞬で姿を消す。
家の正面に回ると、通りを中年の配達員が近づいてくるのが見えた。
「こんにちは、グレイさん。郵便ですよ」
配達員はガレスを見つけると、手紙を持った片手を振る。
ガレスは彼のほうに近づき、手紙を受け取った。
(随分と上質な封筒だな)
差出人を見ると、青嵐宮の印が押されている。
「青嵐宮? エノレアか?」
だが、普段エノレアが手紙を送ってくる際はもっと安物の便箋だ。不思議に思いつつも、ガレスは家に戻って封を切った。
「これは……? エノレア経由で鹿のXXを送ってきた奴じゃねーか」
手紙の差出人は、思いもよらない人物──青嵐宮の主、レニオス・アッシュフォードだった。
ちなみに、鹿のXXは手つかずのまま棚の上に置いてある。見た目が完全に鹿のXXなので、どうにも食べる気になれず、かといって大事な娘がくれた物を捨てるわけにもいかず、そのままになっているのだ。
「いったい何の用だ? 鹿のXXの感想を求めてきたんじゃねーだろうな」
ガレスはレニオスからの手紙を読み始める。
そこには、エノレアが青嵐宮で起きた毒物事件で精神的ショックを受けているため、しばらく自宅で療養させてほしいという旨が書かれていた。
そして、エノレアは多少無理をするところがあるのでしっかり休むように見守ってやってほしいことや、彼女は青嵐宮にとってかけがえのない人材であり、万全の状態で戻ってくるのを待っているとも書かれていた。
「エノレアが精神的ショックを?」
手紙を読み終えたガレスは腕を組む。
エノレアは、明るくて快活な娘だ。
大人になったときに誰からも踏みにじられないようにと色々なことを教え込む過程で少々手荒な修行もあったが、一切弱音を吐かずにガレスの特訓に付いてくるような、根性のある子供だった。
そんなエノレアが長期療養を必要とするほどショックを受けているというのが、引っ掛かる。
「そういえば、あいつを拾ったとき──」
遠い記憶が蘇る。雪山で倒れているエノレアを助けたとき、エノレアは『毒なんて入れていない』とうわごとのように言っていた。
「毒混入の場に居合わせて、昔のトラウマが蘇ったか?」
ガレスと過ごし始めて半年もした頃には夜うなされることもなくなったので、もう大丈夫だと思っていた。しかし、エノレアの受けた過去の傷は想像以上に深いようだ。
「あえて触れないようにしていたが……、過去に何があったのか、調べてみるか……」
ガレスは手紙をもう一度読み返す。
文面から判断するに、エノレアが城を出るのとほぼ同時に出しているようだ。ということは、エノレア自身もそろそろここに到着するはずだ。
「まずは、あいつが帰ってくる前に好物の猪でも捕りに行くか」
ガレスは猟銃を持つと、森の中に入っていった。




