5.万能令嬢、里帰りする(3)
リリアナが入宮して一週間が経ったこの日、エノレアはレニオスの執務室で会議資料の説明をしていた。
資料のページを捲ったタイミングで突然ドアが開き、エノレアはびっくりする。入り口を見ると、ティーセットの載ったトレーを持って優雅に微笑むリリアナがいた。
「殿下。お茶をご用意しました」
「茶は必要なときに言うから不要だと言っただろう」
「でも、殿下はなかなか休憩なさいませんから」
「不要だ」
にこやかなリリアナに対して、レニオスはびっくりするほど塩対応だ。
見ていていたたまれなくなったのか、オリバーが「さすがはリリアナ様ですね。ちょうど喉が渇いたところでした」とフォローを入れる。
「まあ、やっぱり! きっとそうだと思ったんです」
リリアナは朗らかに微笑むと。テーブルにティーカップをおいてお茶を注ぐ。
「殿下、本日の紅茶はわたくしが淹れたんですよ」
「そうか」
「お口に合えばよいのですが」
「茶葉が同じなら誰が淹れても同じだろう」
「全然違います。これからわたくしがお教えいたしますね」
レニオスの素っ気ない態度にめげることなく、リリアナは平常運転だ。
(凄い! これが鋼のメンタルってやつね。お父さんが昔言ってたわ!)
王都に来る前に、ガレスが社交会について少しだけ話してくれたことがある。それによると、貴族の世界は常に化かし合いの連続なので何があっても動じない仮面と鋼のメンタルが必要らしい。
エノレアの前におカップが置かれる。
芳醇な香りに誘われて一口飲むと、すっきりした味わいが口の中に広がった。
「これ、美味しい……! いつもと同じ茶葉ですか?」
「ええ。青嵐宮で用意されていたものを使ったわ」
「同じ茶葉なのに?」
正直言うと、紅茶なんて適当にお湯の中に茶葉を突っ込んで色が変われば出来上がり。味なんて誰が淹れても同じだと思っていた。
しかし、そんな考えは改めなければならないと思うような衝撃的な美味しさだ。
「美味しい紅茶を淹れられることは、貴族令嬢の嗜みですから。お菓子もご用意したのでどうぞ」
リリアナは皿に盛ったクッキーもテーブルに置く。
「わあ、美味しそう……」
スライスしたアーモンドが練り込まれたアーモンドクッキーからは、甘い香りが漂う。食べてみると、サクサクとした触感で、程よい甘さだ。
「これも美味しい!」
仕事中に美味しいお菓子が食べられるなんて、なんという幸せ。
幸せに浸っていると、くくっと笑い声が漏れ聞こえた。正面に座るレニオスが笑っていた。
「お前は相変わらず、幸せそうに食事をするな。俺の分もやる」
「え、いいんですか?」
エノレアは目を輝かせる。
「ああ」
レニオスは立ち上がると、クッキーを手に取りエノレアの口元に差し出す。同席しているエドガーやオリバーの視線がレニオスの手元に集中した。
「自分で食べられます!」
さすがにこの衆人環視の中でレニオスの手から食べる勇気はなく、エノレアはクッキーを奪い取る。
口の中に入れると、先ほどより甘く感じるのはなぜだろう。
「……殿下はエノレアさんを可愛がっておられるのですね」
「大事な部下だからな」
「そうですね」
リリアナは頷く。
(ん?)
エノレアはふいに違和感を覚えて顔を上げる。目が合うと、リリアナはにこりと微笑んだ。
(今、視線に敵意に似た感覚を覚えたけど……気のせいかな)
森に行かなくなってしばらく経つので、感覚が鈍ったのかもしれない。
青嵐宮で事件が発生したのは、そんなある日のことだった。
執務室に突然現れたリリアナが、腕を組んでエノレアの前に立つ。
「エノレアさん。わたくし、殿下とゆっくりお茶をいただく時間が欲しいのです。なんとかして」
リリアナから毎日のように言われるその要望に、エノレアは眉尻を下げる。
「殿下にお伝えはしたのですが、お忙しいようで──」
「また同じ返事! レニオス様からあなたは優秀だと聞いていたのに、こんな簡単な要望を叶えることもできないなんて大したことないのね。もういいわ。エドガーさんにお願いします」
リリアナは憤慨した様子でくるりと体の向きを変える。
ちょうどそのタイミングで、エドガーがエノレア達のいる執務室にやって来た。
「まあ、エドガーさん。ちょうどよかったわ」
「リリアナ様? こんなところに、どうなさいましたか?」
文官の執務室には似つかわしくない人物の存在に、エドガーは怪訝な顔をする。
「エノレアさんに何度も要望を伝えているのに、一向に動きがみられなくって困っているのです。上司として、エドガーさんがなんとかしてください」
「要望、ですか?」
エドガーはちらりとエノレアを見る。目が合ったエノレアは、肩を竦めた。




