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雪山に捨てられた少女、伝説の元最強諜報員に拾われる。無自覚万能令嬢は『普通の生活』をお望みです!  作者: 三沢ケイ


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1.雪山に捨てられた少女、伝説の元最強諜報員に拾われる(3)

(助けないと!)


 エノレアは考えるより先に動いていた。


 いつも首からぶら下げているロケットを外し、蓋を開けると小さな包み紙を取り出した。亡き母がエノレアに残した「特別な薬」だ。


『本当に困ったときは、これを使いなさい。飲んだ人を、危機から救ってくれるわ』


 母はいつも、そう言っていた。


(いまは〝本当に困ったとき〟よね?)


 エノレアは震える手で包みを開ける。中に入っていたのは、白い粉薬だ。


「リリアナ、飲んで!」


 倒れたリリリアナの上半身を支えて起こし、薬と水を口元に流し込む。


(お願い、お母さん。リリアナを助けて)


 そう祈りながら。

 そのとき、リリアナに同伴してお茶会に訪れていたロングレイン侯爵家の大夫人の鋭い声が響いた。


「何をしているの!」


 エノレアは顔を上げる。


「お薬です。リリアナを助けようと――」

「何言っているの! ああ、どきなさい! リリアナ! しっかりして!」


 大夫人は血相を変えてエノレアを突き飛ばすと、リリアナを抱き起こす。


「た、大変よ! うちの孫の意識がないわ! この疫病神に毒を飲まされたに違いないわ」


 大夫人は悲鳴を上げる。周囲の空気が凍りついた。


「毒? 毒だと!?」


 自慢の子どもたちを連れて参加していた周囲の大人達も一斉にざわめく。

 彼らの冷たい視線で、エノレアは初めて自分の状況に気づいた。


 彼らはリリアナの口に何かを飲ませた、エノレアを疑っているのだと。


「違います、あれはお母さんが作った薬で――」

「お黙り! この疫病神が!」


 大夫人がエノレアをひっぱたく。

 エノレアの小さな体は地面に倒れ込んだ。


「この疫病神がリリアナに毒を飲ませたのです! ああ、リリアナ。どうしてっ!」

「ち、違います!」

「この期に及んで言い訳を!」


 大夫人は泣き叫ぶ。


「この子は以前からリリアナを妬んでいました! 自分が正当な娘ではないことを恨んで、リリアナを……!」

「違う! 違います!」


 エノレアは必死で誤解を解こうとする。


(誰か……誰か信じて)


 エノレアは必死に辺りを見回す。けれど、周囲の視線はどれも冷たい。


(違うのに……)


 あまりのことに、声が出てこない。

 そのとき、会場の一角で世間話をしていたロングレイン侯爵が、騒ぎを聞き付け駆け寄ってきた。


「母上。何事ですか!?」

「スティーブ! エノレアが、この疫病神がリリアナに毒を!」

「違います、お兄様!」


 エノレアはロングレイン侯爵──スティーブに縋ろうとした。スティーブはその手を勢いよく振り払う。

 手の甲に鋭い痛みを感じた。


「貴様、なんてことを……」


 怒りに満ちた、低い声だった。


「早く医師を! それと、この疫病神を捕えよ!」

「お兄様、違うんです!」

「黙れ! ロングレイン家の恥め。……父もとんだ負債を残したものだ。お前のような疫病神を引き取ったのが間違いだったのだ!」


 スティーブは吐き捨てるように言う。

 その言葉は、孤独だったエノレアの心を何よりも深く抉った。





 その後のことを、エノレアはよく覚えていない。

 何日もの間、牢屋に押し込められ、ご飯や水も最低限しか与えられなかった。


(大丈夫だもん。私は何もしていないもん)


 このまま一生ここから出られないのではという不安に押しつぶされそうになるたびに、エノレアは自分自身を叱咤する。


「月のしずくに赤い実ひとつ 白き大地の眠り草 金の花びら銀の糸 めぐる季節を待ちましょう──」


 ひとりぼっちで心細くてたまらないときは、母が歌ってくれた歌を口ずさんで耐えた。

  

 そんな日が続いたある日、エノレアのいる牢の鍵が開けられる。


「出ろ」


 無表情に告げる看守。エノレアは、ようやく自分の無罪が明らかになったのだと思った。


(やっとお屋敷に帰れる)


 迎えの馬車は質素なものだったが、そんなの全然かまわなかった。

 家に帰れる。ただそれが、嬉しかった。


 けれど、馬車に押し込められしばらくするとまた不安に駆られる。


「どこへ行くの……?」


 窓の外では、雪が降っていた。もう夕方で、辺りは薄暗い。

 馭者は何も答えない。


「こっちはお屋敷の方向と違うわ!」


 エノレアは声を張り上げる。やはり、馭者は何も答えない。

 そうこうするうちに、やがて馬車は山道に入った。


 雪が深くなり、明かりは馬車に付いたランタンしかない。

 暫く走り、ようやく馬車が止まった。


「降りろ」


 扉が開き、冷たい風が吹き込んだ。

 エノレアは首を振る。ここは、見える限り何もない。こんなところで下ろしてどうするつもりなのかと、嫌な予感がした。


「いや……」

「降りろ」

「お屋敷に帰して!」

「お前の帰る場所はない」


 その言葉の意味を、七歳のエノレアはすぐには理解できなかった。

 腕を掴まれ、雪の上に引きずり出される。


「やだっ!」


 抵抗して馬車に乗り込もうとしたが、首根っこを掴まれて地面に突き飛ばされた。

 雪の上に倒れたエノレアは呆然と、御者を見上げる。


「お願い、置いていかないで」


 エノレアは御者の服にしがみつく。


「お願い」

「悪いが、これは命令なんでね。お前への罰だ」

「わたし、悪いことしてない!」


 必死だった。こんなところにひとり置いてきぼりにされたら、間違いなく死んでしまう。


 けれど、御者は同情する様子もなく、ふいっと目を逸らす。そして、御者席に乗り込むと、手綱を引いた。


 遠ざかる馬車の後ろ姿を、エノレアは呆然と見送る。

 そして、幼いながらに悟った。


 ──自分は捨てられたのだと。



  ◇ ◇ ◇

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