2.無自覚万能令嬢、王都に行く(3)
エノレアは声に反応して振り返る。すると、カバンを抱えて走る男と、それを必死に追いかける中年の男性が見えた。
「泥棒だ! 捕まえてくれ!」
追いかける男性が叫ぶ。
「もしやあれは、ひったくりってやつかしら?」
王都に出てくる前に、ガレスから〝王都で遭遇する危険について〟というテーマで色々伝授された。その中に、道行く人の鞄を突然奪って持ち去る強盗がいるという話もあったことを思い出す。
「こんなにすぐに遭遇するなんて……お父さんが言うことはやっぱり正しいのね」
多少だらしがないところはあるが、さすがはエノレアの敬愛する父だ。ガレスが教えてくれた様々な知識や技術は、どれもエノレアにとって役に立つものばかりだった。
「強盗ってことは、捕まえないといけないわ」
強盗を捕まえる技術には自信がある。
なにせガレスから、相手がひとりから多数まで、色々なシチュエーションで敵に襲われそうになったときの対処法を教え込まれたから。
これはちょっとした自慢だが、故郷の村ではたまたま居合わせた窃盗団をひとりで壊滅させたことだってあるのだ。そのときは、学校の校長先生と村長から表彰状を貰った。
「怪我したくなかったらどけ!」
盗人が叫ぶ。左脇に鞄を抱え、もう片方の手には小刀を持っていた。「わー」とか「キャー」とか、周囲からは悲鳴が上がった。
「善良な市民に刃物を向けるとは許しがたいわね」
エノレアは眉を顰める。そのとき、近くにいた兵士がエノレアに向かって叫んだ。
「お嬢さん、下がってください!」
「大丈夫よ。任せて」
エノレアは盗人が近づいてきたその刹那、体を屈めると彼の足を思い切り蹴とばした。
強盗がバランスを崩して前に倒れ込む。エノレアはすかさず背後から彼の体をホールドすると、ナイフを叩き落して首を締めあげた。
男は「うわっ」と悲鳴を上げる。
「人の物を盗んではいけません! もうしないって誓える?」
「くそっ……! 誰が──」
「誓えますか?」
エノレアは首を絞める腕に力を籠める。
「……た、助けて。誓う! 誓う!」
「ならよろしい。二度とやらないように!」
エノレアは自分の下にいる男に向かって喝を入れた。
こんなこと、村の学校では一年生で教えられる。
「お嬢さん! 大丈夫ですか!」
そうこうするうちに、先ほどの兵士が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「大丈夫です。この人は無事に悔い改めました。ただ、その場逃れの言葉かもしれないので逃げられないように足の関節を外しておきました。あとはお願いします」
「え?」
兵士は呆気にとられた顔をする。
エノレアはさっと立ち上がると、パンパンとスカートの埃を払った。
時計を見ると、試験開始まであと三十分だ。
「あら、大変。では、私は予定があるのでこれで」
エノレアは朗らかにそう言い残すと、颯爽とその場を立ち去ったのだった。
エノレアが試験会場に到着したのは、試験開始の十五分前だった。
既に数百人の受験者が集まっており、会場となる大広間は多くの人で賑わっている。
「わあ、人がたくさん」
見るからに仕立てのよい服を着ているのは貴族の子息だろうか。眼鏡をかけた学者風の人や、本を見つめたままぶつぶつと何か呟いている怪しげな人もいる。
この中で合格するのは十人程度しかいない。倍率が二十倍近い難関だ。
試験官が問題を配る。「始め!」という掛け声で、エノレアは問題用紙を開いた。
所謂総合問題で、歴史、国語、数学などの様々な科目が複雑に絡んだ問いになっていた。
(さすがは第一級文官試験だわ。学校のテストとはひと味違うわね。お父さんの出してくれる問題よりはだいぶ簡単だけど)
今まで、エノレアの中で『試験』と言えば、それは即ち学校のテストのことだった。しかし、今受けているこの試験は学校の試験より明らかに捻りが効いている。
しかし、ガレスに鍛えられたエノレアにとって、そこまで難しい問題はなかった。
エノレアはさらさらと解答を書き始める。
(あ、これは暗号だわ)
ずっと昔に、ガレスと似たような問題を解いたことがある。
(古代語翻訳は北方方言が混じっててちょっと読みにくいわね)
エノレアは最初から最後まで、迷うことなく筆を走らせ続ける。
全てを解き終えて、エノレアはペンを置く。
(終わっちゃった)
時計を見るとまだ一時間半も残っていた。元は二時間半の試験なので、一時間で終わらせたようだ。
暫くそのまま座って待ってみたものの、一時間半は長すぎる。
エノレアはサッと右手を上げた。それに気づいた試験官が近づいてくる。
「どうしましたか?」
「もう帰っていいですか?」
「途中辞退ということでよろしいでしょうか?」
「いえ。辞退じゃなくて、全部解き終わったんです」
エノレアは大まじめに答える。
試験官は怪訝な顔をした。
「一度退室したら、再入室は禁止です」
「再入室はしないから大丈夫です」
「まだ一時間半あります。あきらめるには早いですよ」
まるで諭すような言い方だ。
今度はエノレアが怪訝な顔をした。
(うん? 話が通じないけど……つまり、部屋から出ちゃだめってことかしら?)
試験官の様子を見ると、どうやらそのようだとエノレアは判断する。
「じゃあ、ここにいます」
「はい。残りも頑張ってください」
残りも何も、全部解き終わっている。
(暇だわ……)
ただ座って一時間半も待てなんて、暇すぎる。
暇を持て余したエノレアは、回答用紙の端っこに落書きを始めたのだった。




