第5話:紫電の終焉 ―祓い師の流儀―
1.
夜明け前の古美術「九条」。
引き戸が軋みながら開き、湊が入ってきた。
店内には美晴が待っていた。壁にもたれたリリが湊の顔を見て、何かを言いかけて、やめた。
湊はカウンターに向かい、いつものように安酒を一口含み、洗面台に吐き出した。
「……手が届かなかった」
それだけ言って、カウンターに座った。誰も何も言わなかった。スピーカーからは音割れしたジャズが、いつもと変わらず流れていた。
2.
しばらくして、美晴が口を開いた。
「……一人、心当たりがおります」
湊が視線を向ける。美晴は手元の茶碗を見つめたまま、続けた。
「蘆屋道徹。蘆屋道満の血を引く祓い師です。腕は確かです。ただ、貴方とは……おそらく」
そこで止まった。
湊はしばらく美晴を見てから、短く言った。
「連絡しろ」
美晴は湊の顔をもう一度だけ見た。それから静かに、懐から電話を取り出した。
3.
夜明けの飛行場跡地。
朝霧の中から、道徹が現れた。和装、白髪交じりの鬢、表情のない顔。挨拶はなかった。菅野の気配が漂う空を一瞥し、ただ一言だけ言った。
「祓う」
「待て」
湊が前に出た。
「あいつには事情がある。自分から頼んできた案件だ。俺のやり方でやらせろ」
道徹は湊を見た。初めて人間を見る目ではなかった。値踏みする目でもなかった。ただ、答えが決まっている目だった。
「霊に事情は不要。理に従わぬものは祓うのみ」
美晴が二人の間に割り込もうとした。だが道徹はすでに動き始めていた。
4.
菅野が現れた瞬間、道徹の祓いが走った。
速かった。湊が「待て」と叫んだ時にはもう、間に合わなかった。
菅野は祓われる直前、湊だけに見える角度で、あのボロボロのノートを空に投げた。
ノートは光の粒子になって、霧の中に溶けた。
書かれていた言葉は、読めなかった。
5.
道徹が踵を返した。去り際、湊に一度だけ振り向いた。
「案内人とやら。情は霊を縛る。覚えておけ」
湊は答えなかった。
足音が遠ざかり、朝霧だけが残った。美晴が湊の隣に立ち、小さく言った。
「……ごめんなさい」
湊は首を振った。
九条に戻り、安酒を一口含み、吐き出した。廊下の奥、重厚な鍵を開ける。
緩やかな電子音。暗闇の中で緑の点が、静かに点滅している。
湊はしばらく、光の粒子になって消えたノートの残像を見つめていた。書かれていた言葉は、読めなかった。それでも、確かに在った。
扉に鍵をかける音が響き、古美術「九条」には、またいつもの気だるいジャズだけが流れ始めた。




