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第4話:光の陰陽 ―紫電の空を征く者―

 1.

 午後、近所の寂れた公園。

   湊はベンチで安物のカップ酒を煽り、リリは隣でいつものように、昨夜の無駄遣いについて激しい説教を垂れていた。

「あんたね、ガソリン代がタダだと思ってるの? あの部屋の電気代を、あんたの快楽走行のために削ってる自覚を持ちなさいよ!」

「……ああ、耳にカビが生えそうだ」

 空を仰いで独りごちる湊に、不意に涼やかな影が落ちた。

「……そんなに叱ってあげなさんな。彼は彼なりに、境界ボーダーを守ろうとしているのですから」

 和装をモダンに着崩した、凛とした佇まいの女性。安倍美晴だ。

 彼女の視線は湊を通り越し、隣で言葉を失っているリリを正確に射抜いていた。

「……あんた、私が見えるの?」  

 リリが息を呑む。美晴は微笑んだまま、不意に湊のすぐ傍に歩み寄り、その耳元に唇を寄せた。

(……あの御仁には聞かせぬ方がよろしいでしょう? 貴方の傍にいる彼女……あれは守護霊などという生易しいものではない。貴方の命を苗床に咲く、この世で最も美しい『呪い』だ)

 湊の喉が鳴った。

 美晴はリリが「湊の命を削って存在している」という残酷な真実を、初対面で見抜いていた。

 2.

 美晴は身を引くと、リリに向かって優雅に一礼した。

  「初めまして、リリさん。私は安倍美晴。あやかしを専門に扱う者ですが……今回は、私の手には余る『迷霊』の案内を、この案内人さんにお願いしに来たのです」

 リリは警戒を解かないが、美晴の圧倒的な霊格に気圧され、大人しく湊の背後に回った。


「陰陽師様が、俺みたいなろくでなしに何の用だ」

  「私たちが扱うのは、ことわりに従う霊や妖。ですが、戦後の空に遺された『烈火の執念』は、理では斬れぬ。……ターゲットは、菅野直かんの なおし

 湊は、懐の鉄道時計を弄る指を止めた。

「……紫電改の、あの『デストロイヤー』か。空のあやかしを相手にしろってのか」

 3.

 深夜、かつての軍用飛行場跡地。

   美晴が結界を張り、現世と隠世の境界を曖昧にする。

 爆音と共に現れたのは、幻影の戦闘機「紫電改」だが、操縦席に座る男の瞳は、巷説に語られる狂犬のそれではない。

 彼は片手に操縦桿を、もう片方の手にボロボロのノートを握りしめていた。

「……湊さん、でしたか。美晴殿から聞いています」

 菅野の霊は、カブを降りた湊の前に降り立ち、静かに笑った。その佇まいは「撃墜王」ではなく、文学を愛した一人の青年のものだった。

  「私はね、もっと生きたかった。もっと読み、もっと書きたかった。この空の青さが、インクに変わるその日まで」

 湊にはわかっていた。彼を繋ぎ止めているのは、未練などという言葉では片付かない「生」への圧倒的な渇望だ。

 文学の深淵を知り、命の輝きを言葉にしようとした矢先に、彼は鉄の塊となって空に散った。

「解決策は見えないな」

 湊はカップ酒を差し出した。

「あんたの抱えてるものは、俺みたいな案内人がどうこうできるもんじゃない。あんたが書き遺せなかった言葉を、俺が代筆してやるわけにもいかねえしな」

「ええ、その通りだ。だからこそ……」

 菅野は紫電改の翼に手を置き、湊の目を真っ直ぐに見据えた。

「案内人殿。私を……強制的に、案内はらい落としてくれないか」

 湊は息を呑んだ。

  「……正気か。案内ってのは、あんたの心が納得して、はじめて……」

「納得など、永遠に来ません。生きたいという欲求に、終わりなどない。私はこのままでは、いつか空を汚すあやかしに堕ちる。そうなる前に、貴方のその無茶苦茶なカブで、私のこの執着ごと、強引に断ち切ってほしい。……それが、私の最後の『わがまま』です」

 菅野の瞳には、死への覚悟ではなく、自分の高潔さを守るための、壮絶なまでの生への拒絶が宿っていた。

 湊は沈黙した。安ウィスキーを一口含み、それを足元の土に吐き出す。

  「……とんだ難題を押し付けてくれるぜ、文学青年」

 カブのエンジンを蹴り上げる。  美晴が結界を強める中、湊はアクセルを全開にした。

 菅野の望みは、救済ではなく、永遠に満たされない渇望を道連れにした「強制終了」だった。


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