第32話「サヨナラだけが人生だ」
男が三度目に来た。
手ぶらだった。
シナリオはまだ棚にあった。レコードもあった。男が入ってきて、今度はレコードを長く見た。前回より長かった。
美晴が「かけますか」と聞いた。
男が少し迷った。
「いえ」と言った。
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男が話し始めた。
フランキー堺が写楽を撮った話をした。川島のシナリオに近いものを作ろうとして届かなかった話をした。
「フランキーさんは写楽を撮り終えた翌年に亡くなったんです」
少し間があった。
「まるで川島先生に呼ばれたみたいに」
男が続けた。
「後輩はそれを死ぬまで悔やんでいました。お前がやれって言いたかったんだと思います、あの人は」
「できなかったんですよ」
それだけ言った。
湊がシナリオに手を置いた。
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届いた。
怒りではなかった。嘆きでもなかった。撮りたいものがまだある、という衝動だけだった。川島の声はそれだけだった。
湊が男に向いた。
「妥協したら、残るのは後悔だけだと言っています」
男が少し間を置いた。
「わかってるんですよ、そんなこと」
誰も何も言わなかった。
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しばらくして男が言った。
「レコード、かけてもらえますか」
美晴が棚からレコードを取った。針を落とした。
スパイク・ジョーンズが九条に流れた。
男がシナリオを手に取った。封筒に入れた。立ち上がった。
「持って帰ります」
美晴が頷いた。
男が出ていった。
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リリがレコードを聴いていた。
「なんか、おかしいね」
誰も答えなかった。おかしかった。それでよかった。
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守り鏡が静かに光った。誰も見なかった。
湊は安酒を飲んだ。




